116 ソフィアのお願い
聖教会での目的を果たした俺は中立都市に戻ってきた。
宿にアリスがいないけど、きっとまだソフィアのところにいるんだろう。
念のためライナー、セレンたちが借りてるそれぞれの部屋の前で声をかけたけど返事はなかった。
このまま宿で待っているべきか、それとも俺もソフィアのところに行くべきか。まあ待っていてもやることないし行くか。
そんな訳でヴァイオレット家までやって来たのだが、柵の上から確認できる庭を見て首を傾げた。
「こんなきれいだったっけ?」
人の家の庭を見てこの感想もどうかと思うが、前に来たときはもっとごちゃごちゃしていた気がする。一回しか来てないから俺の記憶違いという可能性もあるけど。もしくはあのときだけ片付いてなかったとかかな。
「はっ! やあ!」
張りのある声が裏手から聞こえた。というかこれライナーだな。
家の周りを囲う柵にそって裏手に移動する。敷地内を見るとライナーが剣神流の型を一つ一つ丁寧に演じていた。ライナーは俺にすぐ気づいたみたいだけど、そのまま演武を続けた。
そしてライナーの演武を、ソフィアが家の壁を背にして食い入るようにして見ていた。
初めて会ったときと違って、ソフィアはちゃんと汚れのない綺麗な恰好をしていた。しかも今日は髪を下ろしている。
ソフィアの髪って胸にかかるぐらい長かったんだな。しかも丁寧に梳かしたのか、艶がでていて真っ直ぐだ。外行きの恰好に見えるけど、どこかに出かけていたのかな。
辺りを見回してもアリスたちは近くにいなかった。四人でソフィアに会いに行ったはずなんだけど、どうしてこうなってるんだろう。
俺の疑問は解消されることなく、淡々とライナーの演武が進んでいく。
一通り型を演じ終えたライナーが締めのポーズをとると、ソフィアが大きく拍手をした。
「かっこよかった! もう一回見せて!」
そう言うソフィアは鼻息を荒くしていた。
区切りがついたところで俺は柵に両腕を乗せ、前のめりになって尋ねる。
「ライナー、なにしてんだ?」
「実は剣を振ってるところを見せてほしいって頼まれて。それよりもアニキの方はちゃんと腕治ったんスか」
「ほら」
「おぉー」
左腕を持ち上げて見せると、ライナーが感嘆の声をあげた。
俺たちが話してる間にソフィアがこっちに近づいてくる。
「どうしてお兄さんがここに? もしかしておじいちゃんに会いに来たの?」
「いや違うよ。というかアリスたちが来たと思うんだけど、俺からの紹介って聞いてない?」
「ううん、聞いてないよ」
これはどういうことだろうか。不思議に思ってると、ライナーが俺に向かって手招きしている。
ソフィアから少し離れたところで、柵越しに顔を近づけ小声で話す。
「実はアニキのことを話す前に、空島のことを話題に出したら色々とあって」
「色々ってソフィアが暴走したのか?」
「まあそんな感じで」
経緯はどうあれ、いまの状況から考えると問答無用で追い返されたりはしなかったんだろう。
「それで馬車についてはどうなったんだ」
アリスとセレンがソフィアに会いに行った目的はちゃんと果たされたのだろうか。
「あー……それは交渉が終わってるんだけど」
「どうした歯切れが悪いな」
「できればアニキもみちづ――ごほん、協力してほしいッス」
「協力?」
というかいま道連れって言おうとしてなかったか、こいつ。
「ちょっとー、二人でコソコソしないでよー」
ソフィアの方を向くと頬を膨らませていた。
たしかに目の前で堂々と内緒話をされるのは気分のいいものじゃないだろう。
「わるい。どうしてソフィアはライナーの剣を見てたんだ?」
「それが契約だからだよ」
「契約?」
「そうだよ。私が馬車の造り方というか技術を教える代わりにお願いを聞いてもらってるの」
「お金じゃなくてお願いなんだ」
「うん」
発明家って呼ばれるぐらいだから、馬車以外にも色々と発明していてお金はもう十分もってるってことかな。それで対価がソフィアのお願いを叶えるってことになったと。
交渉の場にいなかったから詳しくはわからないけど、きっとそういうことだろう。
「それじゃあライナーの剣を見るのがお願いってこと?」
「本当は剣を教えてほしかったんだけど危ないからダメって」
「ちなみにいままで剣を使ったことは?」
「ないよ!」
「普段運動は?」
「しないよ!」
胸を張って堂々と宣言するソフィア。
なるほど、これは剣を教える以前の問題だな。
「あー……それならライナーの判断は正しいな」
「むぅ、だから代わりに戦ってるところ見たかったんだけど、他の人には別のお願いしてるから、剣舞とか型とか見せてほしいなーって」
「そういうことだったのか。じゃあさ、俺とライナーが戦ってるところって見たい?」
確認するとソフィアは大きく頷いた。
俺もちゃんと手合わせして腕の調子を確かめたかったから丁度いい。
アリスたちへのお願いがなんなのかは気になるけど、それは後で確認しよう。
「わかった。それなら俺もそっちに入っていいかな?」
「いいよー」
ソフィアの了解をもらい、俺は柵を飛び超えて敷地内に入った。
「それじゃあ危ないから離れて見てて」
「はーい」
ソフィアは元気よく返事をして、さっきまでライナーの剣を見ていた場所に戻った。
俺とライナーは向かい合って剣を構える。
「いつでもいいッスよ」
「じゃあいくぞ」
最初はゆっくりと、お互い様子をみながら剣を交わす。振り下ろし、防ぎ、ときには躱し、そして少しずつ速度を上げていく。
横目にソフィアのことを見ると、俺たちが戦うところを楽しそうに眺めていた。目をキラキラと輝かせて若干前のめり気味に。
思った以上にソフィアの反応が良いな。こうなるともう少しサービスしてもいいかなと思ってしまう。
「もっと速くするぞ」
「りょーかいッス」
こっちが回転を上げればライナーも同じだけ速く返してくる。逆にライナーが強く切りかかってくれば俺も同じだけ力を込めて返す。
段々と手合わせの領域を超えて、本気の切り合いに近づいていく。
元々俺は純粋な剣技ではライナーに劣る。それでも押されることなくついていけてるのは、グラードたちと戦っていたあのときの感覚を体が覚えてるからだろう。
一つ手を間違えれば即死ぬという状況で、覚醒にこそ至らなかったけど、通常以上の集中状態だった。あのときの集中力を、全能感を、今度は自らの意思だけで再現する。
上段から迫る剣を最小限の動きで弾き、前に出て一気に手数を増やした。
「ちょっ!? アニキまた強くなってる気がするんスけど」
そう言いつつもライナーは俺の攻撃をすべて防ぎきった。
以前のライナーならいまので終わってた気がするんだけどな。ライナーも経験を積んで強くなってるってことか。
「それをいうならお前だって相当強くなってないか」
手足の挙動やわずかな体の動き、視線の流れ、呼吸のタイミング。様々な要素から次の攻撃を予測する。だけどその予測は半分ほどが当たって、あとは外れる。
いままでライナーが使ってこなかったような攻め方もあって読み切れていないのだろう。だけど初めて見るかというとそうじゃない。
「なんか師匠の動きに似てきたな」
ライナーと戦ってるはずなのに、なぜだか師匠と戦ってるような感覚になる。もしかしたら師匠を相手に戦っていると想定した方がいいのかもしれない。
「そりゃ師匠から剣を学んでるんだから似てるのは当たり前なんじゃ」
「うまく言えないけど、なんていうか技や型というよりも、その場その場の判断というか」
「それは”黒金”のおかげッスね」
ライナーは手を止めて、なぜか申し訳なさそうな顔でそう言った。
俺もライナーに合わせて剣を下ろした。
「どうして”黒金”が関係してるんだ?」
「こいつには歴代の剣聖たちの魂が宿ってて、オイラはその剣聖たちから指導を受けてるんスよ。こうして戦ってる今も。たぶん師匠も同じだったんじゃないッスかね」
なるほど。自分の力だけで俺と戦ってる訳じゃないってのを気にしてるのか。
「先代たちの指導を受けて、それをちゃんと実践できるのはお前がいままで真面目に鍛錬をやってきたからだろ。そんな申し訳なさそうな顔するなよ。もっと自信持てって」
「へへっ、アニキにそう言われるとちょっと自信出てきたッス」
ライナーは嬉しさを誤魔化すように鼻の下を掻いていた。
そういえば師匠がライナーに”黒金”を渡す時に魂が宿ってるみたいなこと言ってたな。魂の正体はいままでの剣聖たちだったのか。
「じゃあ師匠が言ってたのは本当だったんだな」
「そうッスね。”煉獄”とわずかな時間とはいえまともに剣を交わせたのも、実は剣聖たちの声を聞きながら戦っていたからなんスよ」
「急に止まってなんの話してるの?」
ソフィアが駆け足気味に近づいてくる。
「ライナーの剣は特別で、いままで所持していた人たちの魂が宿ってるんだってさ」
「おおーそんな剣があるんだ。あ、前におじいちゃんがそんな石があるって話してたかも?」
「その石から作られた剣なんだよ」
「そうなんだ。ねえねえ、ちょっと触ってみてもいい?」
「いいッスよ。危ないから刃の部分は触らないように気を付けて」
ライナーが”黒金”を地面に刺してソフィアに場所を譲った。
「えーっと握ればいいのかな? ……うーん、なにも聞こえないよ?」
「俺も試したいんだけど代わってもらえるかな」
「はい、どうぞ」
ソフィアと場所を交代し、”黒金”を地面から抜いた。空に掲げたり軽く振ったりしてみても、ライナーが言うような声は聞こえなかった。諦めてライナーに剣を返す。
「ありがと。やっぱ俺にも聞こえなかった」
師匠から俺は”黒金”に認められてないって聞いてたから予想はしていたんだけど、ちょっと、いやかなり悔しいかもしれない。
「アニキでもそんな顔するんスね」
「仕方ないだろ。たぶん剣聖と剣聖候補にしか聞こえないんだろうけどさ、俺だって真面目に剣の修行をしてきたのに認めてもらえないってのはやっぱり悔しいじゃん」
「意外と負けず嫌い」
「そりゃお互いさまだ」
「たしかにそうッスね」
ライナーが白い歯を見せて笑った。俺もつられるようにして口元を緩める。
「そういや途中で止めちゃったけど、俺たちが戦ってるところを見た感想はどうだった?」
「うーん、最初は楽しかったんだけど、途中から全然見えなくなってなにやってるのかよくわかんなかった」
ちょっと頬を膨らませてむすーっとしてる。
これはちゃんと見えるように手加減したうえで見ごたえのあるのをもう一回やらないとダメそうだな。
「それに結構うるさいんだね。びっくりしちゃった」
「あーそれは……」
言われて気づいた。住宅街のど真ん中で俺とライナーが本気に近い状態で手合わせをしたら近所迷惑になるよな。
「ライナー、ちょっと抑えてもう一回やるか」
「そうッスね」
それからもう一度戦ってるところを見せたんだが、興奮したソフィアがやっぱり私も剣を振ってみたいと騒ぎ出した。