114 腕の治療
セレンたちはソフィアの名前を聞いても誰か分からなかったらしい。
アリスだけは俺の意図を理解したのか、納得したような顔で頷いた。ノーブルやソフィアと会った日に軽く話していたからピンときたんだろう。
「ほら、ここに来るまでに乗ってた馬車覚えてるか?」
「ええもちろん。揺れが少なくてびっくりしたもの。そういえば御者の人があれを考案したのがソフィアって言ってたわね。もしかしてそのソフィアなの?」
馬車の話を出したことで、セレンは俺が言っているソフィアがどんな人物か思い至ったらしい。
「そうそう、そのソフィア。ちょっと会う機会があってさ。アリスもセレンもあの馬車に興味あっただろ。せっかく同じ都市にいるんだから、みんなも一度会ってみたらどうかなって思ってさ」
「特にこれといって他にやることも決まってないし、いいんじゃないッスか」
ライナーは軽い感じで賛成してくれた。よっぽど腹が減っていたのか、それとも料理がうまいのか、自分の意見を言い終わった後はまた料理に夢中になっている。
「まあいいわ。あたしも無理にあなたに付いて行こうとは思わないし、発明家のソフィアに会ってみたいのも事実だしね」
「ソフィアに会ったらあんまり発明家って言わない方がいいぞ」
「そうなの?」
「本人はあまり好きじゃないってさ。それと仲良くなりたいなら空島について教えてもらうといいぞ」
「空島?」
不思議そうにしているセレンに頷いて返した。
空島を話題にだしたらロマンがどうたらと話が長くなると思うけど、手っ取り早く相手の懐に入るにはたぶんこれが一番早い。
「まあ頑張れ」
「ええ、あの馬車を持ち帰ってみせるわ」
「私も王都に普及させたいから協力するよ」
アリスとセレンはやる気になってる。ただ俺が頑張れって言ってるのそこじゃないんだよなぁ。ソフィアのあの熱量は説明しても伝わらないだろうからあえて言わないけど。
どうやって交渉しようかと盛り上がってる二人を横目に食事に戻った。手近の皿に手を伸ばし、ちょっと大きめに角切りしてある豚肉の煮物をスプーンですくって口の中に放り込む。噛む前にホロホロととけて旨味が口の中に広がった。
「うまっ」
ちょっと濃い目に味付けされているのも、パンと一緒に食べるとちょうどいい。他の料理も順番に味わっていくけど、どれも甲乙つけがたかった。
一夜明けてからの昼過ぎ。アリスたちは宿を出てヴァイオレット家に向かった。行き方は伝えてあるし、簡単な地図も書いて渡したから迷うこともないだろう。
みんなを見送ってから、俺は一人だけ宿の部屋に戻った。
「さて、そろそろ行くかな」
聖教会にある屋敷に転移することはアンジェリカさんに連絡済み。これは今朝方、セレンがギルドにある魔法通信機を借りてしてくれた。今日は屋敷を利用する人がいないから転移先として使ってもいいと許可をもらっている。
部屋の中央に立って目を閉じ、転移先を脳裏に思い浮かべる。魔力を解放して転移魔法を発動させた。
窓辺から聞こえていた町の喧噪が消えて、物音一つしない。
瞼を持ち上げると、以前お世話になった部屋が視界に映った。部屋の装いは俺たちが使っていたときと変わっていないようだ。
屋敷を出てアンジェリカさんたちが働いている所へ向かう。
ロザリーとの戦いの直後は町中に悲壮感が漂っていた。
だけど街道をゆっくり歩いて辺りに視線を向けると、住民たちの元気な姿が目にとまる。行き交う人たちも復興のために一生懸命働いているみたいだ。
こういう景色を見てるとむかしを思い出す。悪魔たちの襲撃を受けてめちゃくちゃになったカムノゴルの町。それを住人みんなで協力しながら、復興のために毎日遅くまで作業を頑張って。全部が全部元通りになったわけじゃないけど、それでもいまのカムノゴルはむかしに負けない活気を取り戻した。
すぐには無理かもしれないけど、ここの人たちもそうなってくれるといいなと思う。
しばらく歩き続けて、アンジェリカさんたちが働いている屋敷の前に到着した。
以前ここに来たときはセレンがいたから扉の前にいる守衛を顔パスできたけど、今回はそうもいかない。
扉の左右に立っている守衛二人の内、年の若そうな方に声をかけようとしたところで、逆に相手から声がかかった。
「もしやシルヴァリオ様でしょうか」
「そうですけど、以前お会いしたことありましたっけ?」
前に来たときは違う人が守衛をしていた気がする。もし俺の記憶違いで同じ人だったら申し訳ないな。
「いえ、遠くからお顔を拝見させていただいただけですので、私どもが一方的に知っているだけです。シルヴァリオ様はここアレクサハリンを救ってくださった英雄の一人ですからね。騎士や神官の方たちはもちろんのこと、私どもや一般市民でもシルヴァリオ様のことを知っている者は多いですよ。こうしてお会いすることができて光栄です」
なるほど。ここに来るまでの間にも見られてるなとは感じていたけど、そういう理由か。自分は相手のことを知らないのに、相手は自分のことを知ってるってなんだか変な気分だな。
「シルヴァリオ様がいらしたら通すようにとお話は伺っております。一階の右手通路、一番手前の部屋にてお待ちください。お前はアンジェリカ様に報告を」
年配の守衛が両開きの扉を開ける。若い方の守衛は俺に一度頭を下げてから、屋敷に入って足早に二階へと上がって行った。
「わかりました。ありがとうございます」
俺も屋敷に入り、彼に言われた通り右手の通路に向かう。
その途中で玄関ホールの中央に置かれた天使像が視界に入った。
アリスはあれを見て怖いって言ってたんだよな。いまならその理由もわかる。魔王ステラ、その恐怖を体が思い出したんだろう。
そう結論付けたところで、ちょっと待てと足を止めた。
「どうしてステラに会ったことないはずのアリスが怖がるんだ?」
ステラが魔王として君臨してたのは千年前だ。いまは封印されているからアリスがステラと会う、ましてや戦うといったことは不可能だ。それならどうして?
……もしかして出会っていたのか、アリスとして生まれるその前に。
俺のように、ノーブルのように、転生していたのなら合点がいく。転生していたから千年前に戦った勇者としての記憶がある。そしてそれをアリス自身は自覚していない? そんなことありえるのか?
わからない。アリスに勇者の記憶があるのかもしれないし、なにか別の理由なのかもしれない。
ただもしアリスが勇者の記憶をもっていて、それを俺たちに黙っているんだとしたら……そのときはアリスから話してくれるまで待っていよう。言わないならそれなりに理由があるだろうし、単純に言い出しにくいのかもしれない。
俺もライナーやセレンたちに対しては未だに元魔王だってことを言えずにいるしな。
「とりあえずアンジェリカさんに腕を治してもらってから考えるか」
問題を棚上げしている気もするけど、ここで悩んだところで解決しそうもないしな。まずは当初の目的を果たさないと。
指定の部屋で二人掛けの長椅子に座って待っていると、すぐにアンジェリカさんがやってきた。
「お待たせして申し訳ありません。シルヴァリオ様」
「いえ、全然待っていませんから大丈夫ですよ。それよりも今日はよろしくお願いします。アンジェリカさん」
立ち上がって頭を下げる。
「はい。お任せ下さい」
セレンが事前に話を通しておいてくれたおかげだろう、アンジェリカさんに詳細を語る必要もなく、すぐに治療が始まった。
「それではそちらに詰めて座って頂けますか」
言われるまま椅子の右側に座ると、アンジェリカさんは空いている俺の左側に腰かけた。
「上着脱いだ方がいいですか?」
「そのままで大丈夫ですよ」
肘から先が無くなっていて、だらんと袖が垂れている俺の左腕。アンジェリカさんはそこへ両手をかざした。そのまま目を閉じて、一度深呼吸をしてから詠唱を始めた。
「天高く、海深く願うは奇跡の御業。世界の理を知る青の灯は、我が願いに応えて慈愛の光へと姿を変えた。魂に刻まれし器の記憶よ、今ここによみがえりたまえ――”エクスヒーリング”」
アンジェリカさんの手元から透き通る青い光が溢れ出た。視界一杯の青の光が俺の体を包み込むと、陽光を思わせる温かな白い光へと変わっていく。ゆっくりと体の中に癒しの力が優しく浸透していくのがわかる。
すべての光が体の中に入り終えると、今度は左腕の断面の部分から光が生まれた。その光が少しずつ腕の形に伸びていくと、だらんとしぼんでいた袖が膨らみ始めた。光が手の平、指先の形を作ったところで一層強く輝いた。あまりの眩しさに目をつむる。
しばらくして光がおちついたところで瞼を持ち上げると、袖の先に肌色の左手が見えた。それを顔の前まで持ってくる。手の平を見て、うらっ返して、また表にして、拳を作っては広げてと繰り返す。
「おぉ、元に戻ってる」
驚きと感動のまざった声が出た。
椅子から立ち上がって机の上に置いていた剣をとる。アンジェリカさんから距離をとって鞘から抜いた。室内だから派手には動けないけど、左手だけで柄を握り何度か軽く振ってみて調子を確かめる。
「どうかしら?」
「全然前と変わらない、違和感ないです。すごいですね」
剣をしまってから姿勢を正し、アンジェリカさんに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「お役に立てて良かったです」
そう言って腰を上げるアンジェリカさんに、今回の治療に対する対価について確認する。
「すみません、治療費はいくらぐらいになりますか」
結構するって話をどこかで聞いたけど、それが具体的にどれぐらいかは知らない。それでもロザリーの討伐報酬があれば足りるとは思うんだけど。
「お礼はいただけませんよ」
「ですが」
「私たちはシルヴァリオ様に、皆様に返し切れないご恩があるのです。むしろお礼をというのであれば私たちこそしなければいけません。これでそのご恩が返し切れたなどとは到底思えませんけれど、どうか受け取ってはいただけませんか」
ちょっと困ったような素振りで言われる。こうなるとこれ以上食い下がるのも逆に失礼だろう。
「わかりました」
「ふふっ、ありがとうございます」
治してもらったのは俺の方なのに、逆にお礼を言われてしまった。