112 フィオナが確認したかったこと
フィオナが俺の正体に気づいた。いつかはバレるだろうとは考えていたけど、それがこのタイミングだとはな。これはさすがに読めなかった。
ただこっちもこれまでずっと隠してきたんだ。馬鹿正直に答えるわけにはいかない。
「面白い冗談ですね。その魔王シヴァというのは、二十年近く前に勇者に討伐された魔王のことでしょうか? 名前までは知りませんでしたけれど、私の略称と同じなのですね」
一瞬ポカンとした表情を作ってから、さも初めて知ったとばかりに笑ってみせる。
だけどフィオナはこれに動じることなく俺のことをジッと見続けていた。嘘なんてお見通しだとばかりに。
お互いに黙ったままで時間だけが過ぎていく。
無言の圧力に負けて先に折れたのは俺の方だった。
「……まさか本当に私が魔王だとでも?」
おそらく俺が魔王シヴァだと確信を持っているだろう相手に、素知らぬふりを続けることは果たして意味があるのだろうか。かといって認めるのはそれはそれで色々とマズいだろうし、困ったな。
「もしも間違いであれば、私はあなたに謝らなければなりません。ですがそうなることはないでしょう。先日の戦いの場で”深淵”の残滓を見つけました。私が知る限りあれはステラ様と魔王シヴァの二人だけが使える力。そしてステラ様の封印は未だ続いています」
なるほど。俺が魔人化してるときの姿を見たとかじゃなくて、グレイルたちとの戦いで”アビス・ブレイク”を使ったからバレたのか。戦いの後すぐに気を失ったから、地面に残った”深淵”の残滓を消すとかそういった後始末なんてできなかったしな。
割と納得のいく理由だった。それだけにこれ以上隠し通すのは難しいだろう。
でも俺って世間的には討伐、実際には封印されているわけなんだが、そこら辺はどう考えてるんだろう。
「魔王シヴァは勇者が討伐したのではないのですか?」
「わざわざあなたに説明をする必要はないと思いますけれど、討伐はできませんでした。そのため魔王シヴァは封印という形で無力化しました。この説明だけだとステラ様と同じように感じるでしょうが、封印の質が異なります。ステラ様は魂そのものを封じて転生すらできないようにしています。しかし、魔王シヴァにかけた封印はそこまで強力なものではありません。力を抑え込んで行動を封じる……肉体の時を止めているというのが近いでしょうか。当時はここまで考えてはいませんでしたけれど、体を捨てる覚悟さえあれば封印の直前に魂だけ逃れることもできたのではないかと予想しています」
びっくりするほど読みが正確だ。さすが封印をした本人だけのことはある。まあ”深淵”の残滓っていう証拠を見つけたからこそできた推理なのかもしれないけど。
「それと明言しておきましょう。たとえあなたが自身を魔王だと認めても、それだけであなたに手を出すということはしません。他の方に口外することも」
手も出さない、他の人にも言わないか。これが本当であれば認めてもいいんだけど、そこまで信用していいものかどうか。
俺とフィオナはほぼ初対面。だけどアリスとフィオナは長い付き合いだろうし、アリスがフィオナのことを信頼しているのはなんとなくわかる。だったら……アリスが信じるフィオナを俺も信じてみるか。
「もしもあなたがアリスや他の仲間にも隠しているというのであれば、私もそれに協力します。どうでしょうか?」
「アリスは知ってるよ、俺が魔王だったってこと」
フィオナは一瞬大きく目を見開いて、でもすぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「そうですか」
「アリス以外にこの事は話してない。だからセレンたちや他の人には黙っていてくれると助かる」
「ええ、もちろんです」
正確にはサーベラスとノーブルの二人も知ってるけど、今それを話すとややこしいことになりそうだからあえて言わなかった。
俺が魔王シヴァだと認めても、フィオナの態度は変わらない。
いつでも剣を抜けるようにと身構えていたのが馬鹿らしくなる。
「ちなみに俺が正体を白状しなかった場合はどうする気だったんだ?」
ここまできたらもう取り繕ってもしかたないと、口調を普段のものに戻して問いかけた。
「素直に頭を下げて謝っていたと思います。ですがその場合はあなたのことを魔王シヴァだと疑ったままですね」
「なるほど」
フィオナに正体を気づかれたことを気にしながら日々を過ごすとか、それはそれでイヤだな。そう考えるといまの状況は悪くない。まあこれは結果論にすぎないけど。
「ところであんたにこんなこと聞くのもおかしな話なんだけど、俺が”深淵”を使える理由について心当たりはあるか?」
今回正体がバレる原因になった”深淵”の力。これは俺が悪魔として生まれたときから使えていた。今までは俺固有の力なのかと思ってあまり気にしていなかったけど、魔王ステラの話を聞いて違和感を覚えた。
「……グロウリードという名に心当たりはありますか?」
初めて聞く名前だな。アリスが使った技がそんな名前だったような気がするけど。あれは”ブレイブ・グローリー”だったっけ。似てるけど人名じゃないし、さすがに関係ないか。
「聞いたことないな。それがどうかしたのか?」
「そうですか。それであれば私の予想は外れているのでしょう。ステラ様と違ってあなたが、というよりも魔王シヴァが”深淵”を扱えたのはおそらくイレギュラー。そこに理由を見つけるのは難しいのではないかと思います」
フィオナは勝手に納得してそれ以上の言葉を続けなかった。
「そのグロウリードってのは何者なんだ?」
「私の古い戦友ですよ」
「戦友ね」
人の交友関係について無遠慮に聞くのもどうかと思うし、グロウリードについてはこれ以上追及しないでおこう。めっちゃ気になるけど。
「そういえば俺の正体を確認してなにがしたかったんだ? 俺を倒す気もない、正体を言いふらすつもりもない。じゃあなんでわざわざリスクを冒してまで確認した。俺があんたに剣を向けるとか考えなかったのか?」
「考えなかったわけではありませんよ。もしもそうなっていればさすがに私も全力で対応していました。ですがアリスやセレンさんたちとの関係性を考えれば、その可能性は無視できるぐらい小さいと判断しました。それともあなたは彼女たちのことを無視してまで私に刃を向けるような方なのですか?」
「いや、そんなことはしないけど……」
フィオナのことは苦手ってほどではないけど、なんだかやりにくいなぁ。
「リスクをというのであれば、あなたの人間性をこの目で確かめたかった。ただそれだけです」
果たして俺はフィオナのお眼鏡にかなう人物だったのかどうか。まあ正直俺としては敵対関係にならなければどっちでもいいんだけど。
「最後に一つ聞かせて下さい。あなたにとってアリスはどのような存在ですか?」
「大切な人だ。きっと自分よりも」
日に日にアリスの存在が大きくなっていってるのは自覚してる。アリスと初めて想いを重ねたあの日よりも、今の方がずっと。だからこそこう答えることに迷いはなかった。
「そうですか……その言葉を信じましょう。そして私もあなたを信じることに決めました。もしあなたの正体が他の天使にバレた場合には私の名前を出して構いません」
「名前を出したら踏みとどまってくれるのか? 嘘をついてると思われたら意味ないだろ」
「では私の方で一度話を通しておきましょう。あなたのことでなにかあれば私に確認するようにと」
「それなら、まあいいか」
さすがにフィオナから直々に話がいっていれば、問答無用とばかりに切り捨てられることもないだろう。
「でもどうしてそこまでしてくれるんだ? 仮にも以前は敵だっただろ?」
「状況は日々変化するものですよ。それにあなたならば勇者の運命を覆せるのではないかと、そう期待しているのです――シルヴァリオ」
フィオナと別れた後も、最後に聞いた言葉が頭の中をグルグルと回っていた。
「勇者の運命か」
それがなにを意味してるのかは聞いてもはぐらかされた。一体あの天使は俺になにを期待してるんだか。
みんなの所に戻る途中、木に寄りかかって空を仰ぎ見ているアリスを見つけた。
「もしかしてずっとここで待ってたのか?」
声をかけると、アリスは笑顔で俺の前まで歩いてきた。
「心配だったってのもあるけど、私もフィオナとちょっと話したいことがあって」
「それなら待ってようか?」
「ううん、大丈夫だよ。先に戻ってて。少し長くなるかもしれないから」
「分かった。それとアリスに言っておかないといけないことがあるんだけど」
「言っておかないといけないこと? なに?」
なんて伝えるべきか。まあここは素直に事実を言うしかないか。
「フィオナに俺が魔王シヴァだったってことがバレた」
「えっ、大丈夫だったの? 怪我はしてないみたいだから戦ったりはしてないんだよね。なにか言われたりした?」
「俺の人柄を確認したかったみたいだから、大したことなかったよ。ただちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「勇者の運命ってなんだと思う?」
ただの世間話のように聞いてみる。するとアリスの笑顔がどこかぎこちないものに変わった。ほんのわずかな違和感。注意して見てなかったら気づかなかっただろう小さな変化。
「多分魔王ステラが復活しないようにするとか、復活したら頑張って倒すとか、そういうことじゃないかな?」
「まあそんなところか」
「うん。じゃあ私行ってくるね」
フィオナの下に向かうアリスを見送る。その背中が見えなくなったところで、俺は思わず呟いた。
「なんかはぐらかされた気がするな」
フィオナも、アリスも、一体何を隠してるんだか。
「戻ってきたわね。あら、アリスと一緒じゃないの?」
樹上の部屋に入ると、セレンの明るい声に出迎えられた。あんな話があったんだ、もう少し落ち込んでるものかと思っていたけど、意外と元気そうだ。
「アリスはフィオナ様と話があるってさ」
「そう。ところでフィオナ様になにを聞かれたの?」
「それは……」
魔王シヴァかどうか確認されたなんてことはセレンたちには言えないからな。
なんて言い訳するか考えながら、みんなが腰かけているテーブルに向かう。
「言えないなら言わなくていいわよ。あたしたちに話せることならわざわざ二人きりで話をしなかったでしょうしね」
どうやらセレンは一人で勝手に納得したらしい。うまい言い訳も思いつかなかったし、俺から変に突っ込むのは止めておこう。ライナーやベルがなにか言う前にさっさと話題を変えたほうがいいな。
空いているイスに腰かけて、なんてことないように話を振った。
「それよりもちょっと聞きたいんだけど、セレンたちはフィオナ様が言っていたことを信じたのか? 俺がティナ様と同じぐらいの実力があるって」
「信じたわよ」
あっさりとセレンが答えて続ける。
「”煉獄”の悪魔と遭遇して戦った……なんて言えるほどのことをあたしはできなかったけど、それでも古参悪魔と呼ばれる存在がどれほど強敵なのか、少しだけ理解したわ。それにティナ様が”煉獄”と戦っているところも見てる。だからこそ古参悪魔二人と戦って、こうして生きてるあなたが不思議でならないわ。だってそうでしょ? ティナ様ですら”煉獄”一人を相手にして互角の戦いをするのが限界だったのよ」
セレンが言い終わると、今度はライナーが神妙な顔で会話を繋いだ。
「オイラは少し剣を打ち合ったけど、すぐに吹っ飛ばされちゃったんスよね。一発喰らっただけでほとんど即死というか、たぶんもう少し治療が遅かったら死んでたんじゃないかなって」
俺はアリスから話を聞いただけだから、セレンたちがどういった戦いをしてなにを見たのかまでは知らなかった。だからあのときフィオナの発言を受け入れたセレンたちが不思議だったけど、これが理由だったのか。
それから俺たちはアリスが戻ってくるのを待った。
ただ、夜になってティナが迎えにくるまで、アリスは俺たちの下に戻ってくることはなかった。