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110 深淵の魔王

「千年前になにがあったのか……それを語るにはまず、とある天使について話さなくてはなりません。彼女は誰にでも優しく微笑み、彼女はどのような人にも救いの手を差し出しました。傷を負った人がいれば奇跡のような力で瞬く間に治し、貧困に苦しむ者がいれば共に悩み、考えて幸福への道を模索して導きました。多くの人が彼女に救われたのです」


 誰にでも救いの手を差し伸べる天使か。フィオナが語る人物は想像上の存在ではないかと疑いたくなるような、まさに理想の体現者って感じだな。


 エルザとティナ、それに目の前のフィオナぐらいしか天使は知らないけど、昔はそんな天使が多くいたんだろうか? それともやっぱりフィオナが語っている天使が特別なのか。


「多くの人が彼女に尊敬のまなざしを向けました。それはたとえ罪に手を染めた者であっても同様でした。彼女は罪人でも見捨てることなく、罰を与えて罪を償う機会をつくり、最後には(ゆる)しとして罪と(けが)れの浄化をしました」


 罪と穢れを浄化するって、そんなことができるのか? しかも奇跡のような力で治癒したってのは、セレンたちが使う治癒魔法のことだよな。ふと俺は聖教会で見た天使の石像のことを思い出す。あの天使の名前はたしか……


「もしかして今の話はステラ様のことでしょうか?」


 セレンがフィオナに確認する。どうやらセレンも俺と同じ予想らしい。


「ええそうです。始まりの天使。大海を統べる者。福音をもたらす存在。様々な呼ばれ方をされていますが、結局のところそのすべてが彼女の一面を表しているに過ぎません」

「たしか伝承ではステラ様は悪魔との戦いで亡くなられたと」

「セレンさんの言う通り、伝承ではそのようになっていますが、事実とは異なります」

「えっ……」


 驚くセレンに代わって、ベルがフィオナに質問した。


「フィオナ様、事実と異なると(おっしゃ)りましたが、本当はなにがあったのでしょうか?」

「ステラ様は亡くなってなどいません」


 ティナから聞いた話だと古参天使は四人。目の前のフィオナ、中立都市で出会ったエルザとティナ、あとはたしかカインって名前だったかな。ステラが生きているなんて話は出てこなかった。


 五百年前に生まれたティナが知らなかっただけなのか、それとも意図的に隠していたのか。まあ仮にティナが知らなかったとしても、フィオナと一緒に戦ったらしいエルザが、ステラもまだ生きているって指摘しなかったんだ。きっとエルザは意図的に隠していたんだろうな。


 なんにしろ今こうして聞いている話だってどこまでが本当なのか、結局のところフィオナをどれだけ信じれるか次第だよな。千年前のできごとなんて当事者にしかわからないんだから。……疑り深い自分が少しだけ嫌になる。


 俺が多少の自己嫌悪に陥っている間にも話は進んでいった。


「それではステラ様はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」


 ベルが少し前のめり気味になって聞く。


「死んでいないという話を聞けば当然の疑問ですね。彼女は……今も私たちの側にいます」


 そう言ってフィオナは青い宝玉を見つめた。


「それでは、まさか……」

「始まりの天使ステラ様が魔王になったのです。そして私たちの手で封印し、今もこの宝玉にその魂を封じています。これが私たちが隠していた千年前の真実」

「ステラ様が魔王に……それは、なぜなのですか?」


 絞り出すようにしてセレンが言った。


「ステラ様は”深淵”――より正確には罪と穢れ、その負の力とでも呼ぶべきものに飲み込まれたのです」


 急に出てきた”深淵”という言葉に、俺は思わず大きく反応しそうになる。どうにか一瞬目を見開く程度にとどめることができたけどあぶなかった。


「罪と穢れに飲み込まれる……? すみません、どういうことか私には理解できませんでした」


 混乱した様子のベル。セレンは無言でなにかを考えこんでいるようだ。ライナーは理解することを諦めたのか、涼しげな顔をしている。


 そしてアリスだけがどこか悲し気な表情を浮かべていた。俺たちと同じで初めて聞くはずなのに、以前から知っていたかのように。


「人々は……いえ、この世に生を受けたあらゆる命は、生きていく過程で大なり小なり罪と穢れを背負います。とはいえ私も細かい定義を把握しているわけではありませんが、多くの国で罰せられる行為のほとんどが”深淵”の罪に当たると考えて問題ないでしょう。そして誰かを恨んだり妬んだり、陥れたいと願う心。またはそれらに近しい負の感情が”深淵”の穢れだと思って下さい」


 罪と穢れが”深淵”って、そんなこと俺は今まで意識したことないんだけど。俺の”深淵”と、フィオナが話している”深淵”は別のものなのか? でも目の前の青い宝玉からは同じ気配を感じるんだよな。


「この罪と穢れは魂に蓄積していきます。死後の世界では”煉獄”に焼かれ、これらを浄化し、清らかな魂となります。浄化された魂はいくつかの魂と混ざり合い、再び人としての生を授かるのです。そして”煉獄”でこれらが浄化されずに残った場合は悪魔としてこの世に生まれます」

「人の魂が、悪魔に……?」


 セレンがショックを受けた様子で呟いた。


「そうならないように、この世から悪魔を減らすために、ステラ様は人が生きている間に多くの罪と穢れを祓おうとしたのです」

「ちょっ、ちょっと待って下さい。それじゃあ、あたしたちは悪魔として生まれた、元は人間と戦っていたってことですか!?」

「あなた方がそのことで罪悪感を感じる必要はありません。悪魔は人に害をなすだけの存在。討伐し、”煉獄”へと送って早々に浄化すべきなのです」

「でも……でも、それは……」


 珍しくセレンが取り乱している。でもそれは仕方ないのかもしれない。今まで倒してきたのが、実は自分たちに近い存在だと言われたのだから。


 それに俺も今の話を聞いて、一つ気になることができた。俺は、魔王シヴァは、かつて人間だった誰かの生まれ変わりなのかもしれないと。


「千年前、人々は罪と穢れを落とすために、様々なことをしました。ステラ様の力が宿った聖水や滝、泉、はては海といったところで罪と穢れを祓い、心身ともに清めました。しかし……それら(みそぎ)の結果、負の力が水に溶けて海へと流れ着き、海底へと溜まっていきました」


 清めてそれですべてが万事解決ってわけにはいかなかったのか。


「ステラ様はそれらを浄化する力をもっていました。最初は問題なかったのです。しかし人間は増え続け、少しづつ、少しづつ罪と穢れが溜まる速度が増していきました」


 人の魂についている罪と穢れを禊で取り除き、それをステラ自身の力で浄化していたのか。だけど人が増えたことで罪と穢れの量が、浄化の速度を上回ったと。


「水を統べるステラ様は海底に溜まったそれら負の力の影響を受けて、少しづつ蝕まれていきました。最後には罪と穢れに魂を侵されて意識を失い、”深淵”の魔王としての人格が生まれたのです」

「その罪と穢れを祓う行為っていうのを止めることはできなかったん……できなかったということでしょうか?」


 ライナーが途中で言い直しつつもフィオナに聞く。


「止めようと努力はしました。けれどもその時にはもう遅かったのです。すぐには止めることができず、またあまりに禊が広く知れ渡ってしまったために、完全に止めることができなかったのです。もっと早くに気づいていればと、何度も思いました。多くの人々を救ってきたステラ様ですが魔王となってからは恐れられ……」


 悔しさをこらえるようにしてフィオナは続けた。


「彼女は多くの人々を長い間、本当に長い間見守り、救ってきたのです。しかし、誰もステラ様を救おうとはしませんでした。最初は私たちだけでもと、ステラ様を元に戻す方法を探っていたのですが、どうすることもできず、被害は広がるばかりで……結局は討伐するしかないという方向で話が進みました」


 魔王討伐。だけどそれは一度失敗しているってティナが言っていたな。


「しかしそれも失敗に終わりました。治癒魔法を使えるステラ様を倒すことができなかったのです。そして……倒すことができないのであれば、あとは封じるしか道はない」

「そんな魔王をどうやって封印したのですか?」


 ここまでの話を聞いて生まれた疑問をセレンが口にした。


 盗まれた聖教会の宝玉。そして俺たちの前にある青い宝玉。きっと複数の宝玉に力を分散したうえでようやく封印することができたのだろう。


「封印は勇者を筆頭にして私たち天使、オーロラ様率いる精霊、そして竜の一族の力を用いてようやく実現することができました」


 たった一人の魔王にそれ以外の全戦力が挑んだ、まさに総力戦って感じだな。


 ここまで流暢に話していたフィオナがどこか言いづらそうにしている。なにかあるのか?


「……いまでは”煉獄”の悪魔と呼ばれているケネスも、当時は私たちと一緒に戦ってくれていたのです」


 いやいや、あいつがフィオナたちと一緒に戦った? それはなんの冗談だ。


「それは、その……フィオナ様の話を疑うわけではないのですが、本当でしょうか?」


 セレンも信じられないといった顔でフィオナに聞き返した。


「つい先日ケネスと戦ったあなたたちが信じられないのは無理もありません。しかし本当のことです。勇者が全身全霊をささげてステラ様の肉体を一時的に消滅させました。そしてケネスが魂だけとなったステラ様を”煉獄”で焼いて、可能な限り”深淵”の力を削った。最後に私たちと精霊、竜の三種族でステラ様の魂と肉体の結びつきを消し去ってから、魂を三つに分けて特別な宝玉に封印したのです」


 魂と肉体の結び付きを消し去るって部分がよくわからない。ただこれまでの話の流れからすると、それをしないといくら肉体を滅ぼしたところで治癒魔法で復活しちゃうってことなんだろう。にわかには信じがたいけど。


「なぜこれらのことを今まで隠されていたのですか?」


 今でもフィオナはステラのことを尊敬していることが話しぶりからなんとなく察せられた。だからきっと隠していたのはそこら辺が理由だろうなと予想している。ただ、それでも確認せずにはいられなかった。


「……ステラ様が多くの人々を導き、救ってきたことはすでに伝えましたね。たとえ魔王となったとしても、その事実がなくなるわけではありません。そしてステラ様は自らの意志で人々に手をかけたわけでもありません。これは私のわがままでもあるのですが、そんなステラ様を悪として後世に語り継ぐことはしたくありませんでした。いまでも私は彼女を……救いたいと願っているのです」


 いまのフィオナは天使というよりも、ひどく人間らしい一面を見せていた。長いこと悩んで、それでもどうすればいいのか答えが出ない。先の見えない人生に迷ってあがいている人間のように。

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