11 道場での戦い(前編)
朝のトレーニングはパラパラと降る雨のせいで中止になった。そのため俺とアリスは久しぶりに道場に向かうことにした。
引き戸を開けて道場に入ると、ツンツンとした金髪の少年が駆け寄ってくる。
「アニキ! 久しぶりッス!」
「よう、ライナー。元気だったか?」
「そりゃあ元気ッスよ! アニキも元気そうッスね!」
「ねぇシヴァ。その子、友達?」
アリスは俺の肩越しから覗き込むようにしてライナーを見ている。
「友達というか、なんというか……」
俺が言い澱んでいるとライナーが勝手に自己紹介をし始めた。
「この前は家の手伝いしてて来れなかったんスけど、そっちの子がダリウスとジルベールを返り討ちにしたって噂のアリスさんッスか? オイラはライナー・ハートベルトって言います! アニキの弟子やってます!」
「……弟子?」
アリスが不思議そうにしているので一応訂正しておく。
「いや弟子にした覚え無いから。こいつはこの町に住んでて、道場には去年から通ってる。年はレインと同じで俺たちの一つ下だ」
「騎士を目指して修行中ッス! オイラはシヴァのアニキに剣を教えてもらってるっス!」
「なんだかすごく懐かれてるみたいだけど?」
「あぁ、昔ライナーがダリウスとジルベールに絡まれてるのを助けたことがあってな……」
「いやー、あのときのアニキはすごかったッス」
このまま玄関に留まっていると邪魔になりそうなので、俺たちは広間へと上がりながら会話を続ける。
「貴族とかなんとか適当な理由をつけて絡んできたかと思うと、ボッコボコにしてきて! あぁ~オイラこのままやられて騎士にはなれないのかと、倒れたそのとき! 颯爽と現れたアニキが二人を血祭りにしたんッス!」
「いや、適当に追っ払っただけなんだが」
「なんだかちょっと残念な子?」
「悪いやつではないんだけどね……」
握りこぶしを作って力説するライナーを放置して着替えに向かおうとすると、アリスがライナーに質問を投げかけていた。
「シヴァに剣を教えてもらっているってどういうこと?」
「ダリウスとベルジールを倒したアニキの腕に惚れ込んで弟子入りしたッス!」
「だから弟子にした覚えは無いと……」
「でもアニキ。そう言ってるけど剣教えてくれますよね?」
「いや、それはそうなんだが……」
「シヴァって面倒見良いんだね?」
答えに詰まり、足を止めて振り返るとなぜかアリスがふふっと笑っている。
「ねぇ、この道場に通っているってことは師匠にも剣を教えてもらってるんでしょ? それとは別にシヴァにも教わってるの?」
「師匠は一般コースの剣術しか教えてくれないんッスよ。アニキには鬼殺しコースの剣術を教えてもらってるッス!」
「鬼殺しコースって何?」
俺のほうを向いて首を傾げるアリスに説明する。
「道場としてみんなに教えているのが一般コース。鬼殺しコースは本気で剣を学びたい意欲のある騎士や剣士を対象に教えている内容で、一般コースよりもずっとレベルが高い。授業料も高い。そして下手すると死ぬ」
「え、死ぬってどういうこと?」
「鬼殺しっていうのは鬼を殺せる強さを身につけるって意味じゃない。誰が言い始めたかは知らないけど、強靭な肉体を持つ鬼ですら死んでしまうほどの過酷な修行って意味。本当は剣聖育成コースって言うらしいけど。俺も気になって師匠に聞いたら『俺が師に剣を学んでいたときから鬼殺しって呼ばれていたぞ』って言ってた」
「えぇ……」
いまの話を聞いてアリスが引いてる。
個体にもよるけど鬼の強さは悪魔に匹敵するとも言われている。その鬼が死ぬレベルの修行ってなんだよと俺も最初は思った。でも実際にこの身で指導を受けて悟った。これ鬼死ぬよって。
真剣を使った指導で腕が切り飛ばされそうになったときは背筋が凍りついたなぁ。というか骨の辺りまで裂けていたから下手すると出血死してたんじゃないか? いや、ちゃんと直ぐに治してもらったんだけどさ。
遠い目で死にそうになっていた自分を思い出し、身震いした。そして孤児院の直ぐ近くに住んでいるシスターに感謝した。ありがとう、あなたの治癒魔法が無かったら俺はきっと死んでいた。
「そんな訳で危ないから一般人には鬼殺しコースは教えていないんだよ。俺はどうにか頼み込んでやっと去年から教えてもらうことができた。授業料はアクア姉の弟ということで免除してもらったけど。ライナーにはその内容を少しだけ教えてるんだよ」
もちろん真剣を使った指導なんかはしていないし、実際の鬼殺しコースよりか易しい内容だ。それでも一般コースに比べれば幾分かはレベルは高い。
そんな話をしていたら奥の部屋からガイが出てきた。普段のシャツにズボン姿の俺たちを見て一言。
「シヴァ、アリス。さっさと着替えろ、稽古を始めるぞ」
「すみません、直ぐに着替えます」
俺とアリスは同時に答え、隣の部屋へと慌てて入って行った。
午前中の稽古が終わる頃、レインが昼食の入った籠を持ってやって来た。
「お兄ちゃん、アリスさん。お昼ご飯持ってきましたよ」
「レインありがとな。アリス、一度休憩にしよう」
「うん、そうだね」
レインは俺たちの近くまで籠を持ってきてくれた。手を止めてレインの側に寄る。
「あれ、ガイさんはいないんですか?」
「ああ、師匠は少し前に出て行ったよ。なんでも町の外に強そうな魔物が現れて、町の警備兵だと手に負えないかもしれないって呼ばれて行った」
「ふ~ん、どうしたんだろう?」
「そんなことはいいからご飯にしよう」
「そうだね。はい、今日は卵とベーコンのサンドイッチだよ」
俺たちが端のほうに座るとライナーが緊張した面持ちでやってきた。
「れ、レイン。こんにちは!」
「あ、ライナーだ。こんにちは」
「そのサンドイッチ、美味しそうだね」
「ごめんね、お兄ちゃんとアリスさんと。それとガイさんの分しかないんだ」
「いや、べ、別に。食べたいとかそういうことじゃ、無いんだけど……」
「うん?」
「ご、ごめん。やっぱり、なんでもないっ! オイラもご飯食べに家に戻るね!」
ライナーはレインとぎこちなく会話を始めたかと思うと直ぐに背を向けて走っていった。
「ライナーどうしたんだろうね?」
レインはなんでライナーがあんな態度を取っていたのかまるで分かっていないようだ。
隣に座っていたアリスが床に片手をついて俺の耳元に顔を寄せてくる。ふんわりと甘い汗のいい香りが一緒に近づいてきた。
そのままアリスはレインに聞こえないようにと、手を口元に添えて小声で話しかけてくる。吐息が耳にかかってちょっとくすぐったい。
「もしかして、ライナーってレインちゃんのことが好きなのかな?」
「さぁな」
十中八九、というか絶対にライナーがレインに好意を抱いていることは分かっているが俺はすっ呆けて答える。
ライナーが玄関に走っていくのを眺めていたら、道場の引き戸がガラガラッと大きく音を立てて開け放たれた。
そこには以前、アリスに絡んで返り討ちに合ったダリウスとジルベールが並んで佇んでいた。
走っていたライナーは目の前に現れた二人にぶつからないように慌てて止まる。
「なんだ、ライナーかよ。邪魔だ、退け」
言うが早いか、ダリウスは土足のまま広間へと上がりライナーの腹を蹴飛ばした。
「ぐはっ」
「ライナー!」
ライナーは呻き声を上げて広間の中央まで転がった。
レインはライナーへと駆け寄り、大丈夫? と声をかけている。
突然の出来事に周りの門下生たちは動きを止めて何事かと様子を窺っている。
俺とアリスは動かない、いや――動けない。なぜならダリウスとジルベールの腰に携えられている真剣に気づいてしまったから。