107 精霊の里
俺とアリスは巨大な樹木の周りに広がる泉の近くを通って、ライナーたちが休んでいる部屋に向かっている。
深い森の中だというのに周囲は明るく解放的だ。そう感じるのは単純に木々の背が高いとか、生えている間隔が広いとかいうだけじゃなくて、周囲に漂っている楽しそうな精霊の姿や、足元に咲いている鮮やかな花々の影響もあるだろう。王都の方はこれからが春本番って時期なのに、ここでは夏や秋に咲く花もたくさん見かける。
「きれいだな……」
俺たちが最初に転移した場所はただの森って感じだったけど、これならティナが「もう少し先に行ったらきっと驚くよ」って言っていたのにも頷ける。
「ほんとにね。王都の方にもこんな場所があったらいいのになぁ」
「そうだな。そうしたら二人でデートにも行けるし」
「そういえば私たちって、付き合ってるのにそういうの全然してなかったね」
二人で喫茶店に行ったのがデートと呼べなくもないけど、あの後すぐにセレンたちと色々あったからな。
「もう少し落ち着いてからかな。アリスはどこか行きたいところとかある?」
「シヴァと一緒だったらどこでもいいよ」
どこでもいいか。そう言われると逆に悩むんだが。
「家でまったりとかでもいいの?」
「そういうのもいいね」
楽しそうに答えるアリスを見てると、本当にそういうのでもいいんだなと分かる。
「高いご飯を食べに行ったりとかは?」
「うーん、美味しければそんなに高いところじゃなくてもいいよ。むしろそれだったら私が作ったご飯を食べて欲しいかな」
旅の途中でアリスがご飯を作ることもあったけど、どうしても簡易的なものになってしまう。だから家で作るようなちゃんとした手料理はまだ食べたことがない。
「近いうちに作ってよ」
「いいよ。楽しみにしててね」
こうしてると昨日死に物狂いで戦っていたなんて嘘みたいだ。
アリスと一緒に周囲の景色を楽しみながら歩いていると、すぐに目的地にたどり着いた。
目の前には大きな樹木、その周りには螺旋階段がついていた。ライナーたちがいる部屋は、俺がいたところと同じで樹上にあるらしい。螺旋階段を上り切ると、椅子に腰かけて休んでいるセレンとベルの姿が見えた。
「二人とも無事みたいだな」
そう声をかけて部屋の中に入る。
「あれ? ライナーがいないみたいだけど、あいつはどこにいるんだ?」
「ちょっと剣振ってくるって言って、少し前に出てったわよ」
「そっか。修行でもしてんのかな?」
「おそらくはね」
セレンは俺の左腕が気になるみたいで、会話をしている途中に何度かチラッと見ていた。
「心配かけたみたいで悪いな」
「心配はしてないけど、その……ごめんなさい。治癒魔法の使い手として付いてきたのに、あなたの怪我を治せなかったわ」
「何言ってんだ、怪我なら治してもらっただろ。俺も、それにライナーも。あいつ重傷だったって聞いてるけど、もう修行できるぐらい元気なんだろ。だからありがとう。セレンがいてくれて助かったよ」
素直に感謝の気持ちを伝えただけなのに、どうしてか困った様な顔をされた。
「……あなたにそう言われたら、悩んでたあたしがバカみたいじゃない」
「何か悩んでるのか?」
「なんでもないわ。それより調子はどうなのよ」
頬杖ついて睨むなよ。
「特に問題ないかな」
「そう」
素っ気ない態度をとるセレン。一体なんなんだ?
「アニキ!」
背後からの声に反応して振り返る。
「お、ライナー修行はもういいのか?」
「修行というかちょっと剣を振ってただけというか。まあそれはもういいんスけど、アニキこそ動いて大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。お前こそどうなんだ?」
「オイラも問題ないッスよ」
そう言いながらライナーは腕をまくって力こぶを作った。
「いや別にそんなの見せなくていいから。でもアリスから重症だったって聞いてたから元気そうで良かったよ」
「まあ元気だけが取り柄みたいなもんスからね」
ようやく全員の無事な姿を見れて安心した。
「そういや俺が寝ていた部屋もそうだけど、ここも人が生活できるように手入れされてるんだな」
「あ、やっぱ気になるッスよね」
「なんだライナーもか」
なんとなく気になって言ってみただけの疑問に、アリスが答えてくれた。
「昨日ティナが教えてくれたんだけどね、ずっと昔に人が住んでたことがあったんだって。この部屋とかはそのとき使ってたものがそのまま残ってるの。今はもう誰も住んでないけど、たまにティナとか天使たちが来たときに使うみたいで、ちゃんと手入れはしてるんだって」
「へぇー、そのティナ様はジルベールを連れて行ったまま戻って来てないのか?」
「今日の夜に戻ってくるって言ってたよ。もしシヴァがそれまでに目を覚まさなかったら、そのときは聖女様のところに連れて行ってもらおうってセレンとも話してたの」
「そうだったのか。……ジルベールを連れて行ったときに俺も一緒に連れてけば良かったんじゃないか?」
「ごめんね、あのときはすぐに目を覚ますと思ってたから」
「ああいや別にそれはいいんだ。むしろ俺も起きるの遅くなって悪かった。そういえばフィオナ様とは何か話せたのか?」
元々精霊の里に来た目的はフィオナに会って話を聞くことだ。俺を転移で運んでくれたってアリスが言ってたから、フィオナと会うことはできたんだろう。俺が寝ている間に何か話し合いをしていても不思議じゃない。
「うん。といっても軽く挨拶程度だけどね。ちゃんとした話はシヴァが目を覚ましてからにしようって、待っててもらってる」
「そっか。じゃあみんな揃ってるし、会いに行くか」
「そうだね」
「ライナーたちもそれでいいか?」
特に反対意見もなかったので、フィオナのところに行くのは決定した。ただ居場所が分からなかった。
「フィオナ様がどこにいるのかってアリスが知ってるのか?」
古参天使なら魔力も高いだろうし、魔力を隠して無かったら魔力探知で探せるかなと思ったけど全然見つからない。というかここは濃い魔力で満ちてるから魔力探知するのは諦めたほうがいいな。よっぽどの高出力、それこそ戦闘中とかじゃないと気づけなそうだ。
「それなら大丈夫だよ。私が知ってるから」
「じゃあ案内任せた」
アリスを先頭にして部屋を出る。螺旋階段を下りて、少し歩いたところで何かが聞こえてきた。
これは……声というか歌なのか?
歌詞はない。声自体を楽器のようにしてリズムをきざんでいる。それにこの歌はどこかで聞いたことがあるような気がする。
アリスたちからは聞いてないけど、もしかして俺たち以外にも人がいるのだろうか。
「誰が歌ってるんだろう?」
「……そういえば昨日もこれぐらいの時間に歌ってたわね」
セレンが何かを思い出したように呟いた。
「そうなのか?」
「ええ。あたしたちが説明するよりも、きっと見た方が早いわよ。昨日と同じならあそこにいると思うわ」
そう言ってセレンが指差したのは巨大な樹木の根元。今も透明感のある歌声がそこから響いて聞こえている。
フィオナとはいつ会うかなどを約束をしたわけでもない。すこしぐらい予定がずれても問題無いだろう。
美しい歌声に導かれるようにして樹木の根元に向かう。
大きな根が泉の上にまで伸びている。これを足場にして水面を渡った。
樹木の根元は小さな浮島の様に陸地になっていた。太い幹に沿って歩いて行くと、どんどん声がハッキリと聞こえるようになる。
「あれは……」
亜麻色の素朴なワンピースを着た、小柄な少女がいた。その子が小さな光と戯れるようにして歌っている。光に透ける若葉のような、やわらかい黄緑色の長い髪がそよ風に揺れている。
少女の歌声に合わせて、身振りに合わせて、多くの光がまるで意志をもっているかのように踊っている。あまりにも幻想的なその光景に俺は息をのんだ。
しばらくして歌が終わる。最後まで聞いてようやく何の歌だったのか思い出した。王都でアリスが歌っていた”希望の歌”だ。
恐らくだけど、目の前の少女がアリスの言っていたオーロラっていう精霊だと思う。女王と共鳴したアリスなら知っているだろうか?
「もしかして彼女が精霊の女王様?」
「そうだけどよく分かったね」
「なんていうか、なんとなく人とは違う気がして」
歌い終わった後も遠くを見ていた少女が、俺たちの方に顔を向けた。ゆっくりと歩いて近づいてくる。そして……なぜか俺の前で止まった。
こうして近くで見るとオーロラは人形みたいだ。見た目の美しさだけじゃなくて、無表情で感情が読めない部分もあって、より一層そう感じるのかもしれない。
「こんにちは。それとも初めまして?」
人形のように無表情だったオーロラが柔らかい笑みを浮かべて俺に話しかけてきた。というかどうして疑問形なんだ。
「初めまして。俺はシルヴァリオっていいます」
「シルヴァリオ? そう……ふふっ、やっぱりそうなんだ」
とりあえず名乗ってみたらよく分からない反応をされた。やっぱりってどういうことだ?
「私はオーロラ。あなたたちを歓迎するわ。ようこそ精霊の里へ」