105 人の限界
グラードの攻めを受け流しつつ思考を巡らせる。
”高速剣”と”飛翔剣”じゃグラードにダメージを与えられない、 ”流星剣”でようやくか。 ”斬竜剣”なら切れるけど今度は当てるのが難しくなる。確実なのは”天地求道剣”だが、あれは連発できるようなものじゃない。
人に生まれ変わってからも危険な戦いは何度も経験している。だけどここまで死を間近に感じたのは初めてかもしれない。
一つでも受け方を間違えれば剣が壊れ、手足が千切れ、死につながるような攻防を何度も、何度も繰り返す。そのたびに少しずつ思考が加速し、景色がゆっくりと流れ出す。
アリスたちの心配をする一方で、ひたすら戦いへと没入していく自分がいた。
同格以上の相手に挑む高揚感。そして今にも覚醒しそうなほどに全ての能力が限界を超えて高まっていく全能感。
グラードの砲撃じみた拳を剣で受け流して、即座に反転、片翼を切り飛ばした。
空中に舞うそれを掴もうと手を伸ばすグラードに追撃を加えて邪魔をする。
「ちっ、こいつ――」
手足に比べて翼が脆いのはすでに判明してる。地面に落ちた翼はすぐに爆破魔法で粉々にした。拾われるとすぐに吸収、再生されるから無視するって選択はない。
いまのところ翼を狙うのが一番効率よさそうだけど、そう何度も同じ手は通じないだろう。
苛立つグラードが直線的に突っ込んできた。さっきと同じ、それならと俺は受け流す態勢をとった。
――背後に転移の気配。研ぎ澄まされた感覚からもたらされるそれは、もはや未来予知に近い。
グラードが姿を消した瞬間に俺は”斬竜剣”を繰り出した。グラードが転移するその先へ。
攻撃する前に俺の反撃がくるとは思っていなかったのだろう。目を見開いて驚愕の表情を浮かべている。
「きさまっ!?」
右上から左下へと切り裂いて、次は左上から右下へと切り返すところで、急激に高まる魔力の波動を感じた。
視線を上にやれば、いくつもの竜巻が放射状に伸びていた。暴風の大輪、その中心でグレイルが両手を掲げて巨大な魔力球を作っていた。周囲の竜巻はその魔力球へと吸い込まれ、放電現象を起こし、直視するのが難しいほどの光を放っている。
グラードに集中していたとはいえ、いつの間にあれほどの大魔法を。結界を張って魔力が漏れるのをギリギリまで抑えていたのか。
ほんの一瞬、意識がグレイルにそれた。
気づけば足が動かなくなっていた。遠くには体を元通りにしたグラードがいて、地面に足を埋めている。そして俺の足には蔦が絡まっていた。
足元から太もも、胴体へと蔦が伸びてくる。その間にも蔦は体表に張っている結界を突き破ろうと締め上げてきた。
グレイルが光球を投下するのと、グラードが足を地面から切り離して上空へと飛んで退避するのは同時だった。
あの魔法を受けたら間違いなく死ぬだろう。こうなったら出し惜しみをしている場合じゃない。
黄金に輝く魔方陣を足下に即時展開。魔人への変化を一瞬で終わらせる。
魔力を解放して体中に巻き付いた蔦を吹き飛ばした。
グレイルが放ったあの魔法は受けきれない。できるとしたらエンシェントドラゴンの一撃を防いだという、マリーさんの”エンブレイス”という光の壁ぐらいだろう。
結界で身を守る選択肢はない。転移はいつの間にか封じられている。射程外へ逃げようとしたって今更遅い、どうせ巻き込まれるだろう。
残された道は一つ。正面から打ち破る。
上空へ向けた左手に魔力を一気に集中させると、激痛が走って視界が明滅した。
剣を手放して右手で左腕を支える。まだだ、まだ足りない。
魔力の高まりに呼応して、痛みが加速度的に増していった。
『ところでおぬし、その状態で全力を出したことはあるのか?』
以前、ノーブルに言われたことが脳裏をよぎる。
『それはあまり使わんほうがいい。特にお前さんのような強大な魂を受け入れるには、人の器は脆すぎる。まして覚醒もしていない身では言うに及ばずじゃよ』
――うるせぇな。
「限界を試す前から諦めるなんてできるかよ!」
撃ち落された光弾に狙いを定め、最後の仕上げに取りかかった。
「”アビス・ブレイク”!」
言霊にありったけの力を込めて魔法名を唱えた。
空に掲げた手の先に漆黒の魔法陣が現れ、噴火にも等しい衝撃が空に向かって駆け抜ける。
闇色の噴煙と光弾が衝突した瞬間、世界が白と黒に染まった。
視界の邪魔をしている煙を魔法で吹き飛ばすと、周囲の景色は一変していた。
城が埋まりそうなほど深く、一つの都市が丸ごと収まりそうなほど巨大なクレーターが俺を中心にできていた。二つの魔法が衝突した名残として、所々で地表に電気が走り、黒いシミの様なものが大地を穢している。
変わっていないのは俺が立っている場所と、そこから歩いて数歩程度のわずかな範囲だけだった。
上空では変わらずグレイルとグラードが佇んでいた。
グラードは今の爆発を防いだのか、再生したのかわからないけど、全くの無傷。
「ほう、髪と瞳の色が変わっているのか。なるほど……面影がある。それにさっきのは魔王が得意としていたものだな」
そう言ってグラードは、口角を上げて興味深そうに俺を観察していた。
グレイルは魔法を撃つのに注力していたから結界を張るのが間に合わなかったんだろう。頬や手足、翼に小さな傷がいくつもできていた。
「お前たちが見たかったものは見れたか?」
少し挑発気味に聞いてみると、なぜかグレイルは嬉しそうに答えた。
「ええ、ええ、それはもうこれ以上ないほどに。魔王シヴァ様の力を感じることができました。ですが……人の身というのは残酷なものですね」
俺の左腕があったところへ視線を向けて、哀れむように続ける。
「自らの力に耐えられないなんて」
魔法の射出点となった左手は、威力に耐えきれずに肘から先が吹き飛んだ。すぐに"リカバリー"をかけて血は止めた。だが……血が足りなくなって倒れることはなくても、このまま戦闘を続けるにはあまりにも影響が大きすぎる。
魔王の力を使った代償がこれほどとはなと、自嘲気味に苦笑した。
だけど今の爆発で転移を封じていた結界が消えている。攻めるなら今だ。
「さあ、続きを始めるぞ」
地面に落としていた剣の柄を蹴り上げて、空中で掴み取った。
刃の部分に”深淵”を纏わせて大きく真横に振り払うと同時、グラードの背後に転移する。
「てめぇっ!?」
上下に別れた体の切断面から”深淵”が広がっていく。海の悪魔よりも遥かに”深淵”に対する耐性が高いのだろう。蝕まれる速度は遅々としているが、完全には防げていない。上半身のグラードは、自ら頭を切り離して体を捨てた。
頭だけになったグラードが体を再生させようとしているところに追撃をかける。そこへグレイルが割り込んできた。
俺の攻撃を結界とも異なる不可視の力で防いでいる。いや、これはさっきの魔法に似たもので攻撃して相殺しているのか。
俺とグレイルの間に白と黒の火花が散る。
「転移の瞬間を捕捉できないとは……いやはや流石ですね。ですがそれもいつまでもちますか?」
”アビス・ブレイク”や転移で魔力をかなり消費している。実際のところそう長い間はもたないだろう。だが、それでも自分を鼓舞するように言い放つ。
「お前たちを倒すまではもたせるさ」
「そうこなくっちゃな!」
復活したグラードが捨て身の突進をしてくる。さっきまでとは明らかに異なる覇気。攻撃を逸らすのは諦めて転移で躱す。
二人を視界に収めた状態で、空中で立ち止まった。
「ああ……ああこの感じ、懐かしくて狂いそうだ」
噛み締めるように、それでいて天井知らずにテンションが上がっていくグラード。熱狂的な視線が痛いほど突き刺さる。俺が魔人化をしたことで本当の本気になったんだろう。
「おいグレイル。お前は手を出すな。こっからは俺一人でやる。邪魔したら殺すぞ」
「おお怖い。わかりました……と言いたいところですが、残念ながらケネスさんが負けたみたいです。それに私の方も失敗してしまいました」
「ああん? 何言ってんだ」
「もうすぐ勇者がこっちに来ます。それにもしかしたら”焰”も。あなたも魔王との戦いを、彼女たちに邪魔されながらするのは不本意ではありませんか?」
「ケネスがしくじったのは予想外だが、どうして”焰”がくるんだ? 裏でこそこそするのはてめぇの勝手だが俺の邪魔すんじゃねーよ。これからだってときにふざけやがって」
渋々といった感じでグラードは力を抑えていく。
いま攻めることもできるが、それよりも気になることがある。ケネスが負けたってことはアリスたちが勝ったのか? それにフィオナがくる? この姿を見られるのは危険だけど、協力して一緒に戦うことができるかもしれない。
そんな思惑もあって、二人を攻撃せずに警戒だけにとどめていた。
「さてさて、それではこの勝負は一度お預けということでいいですかね?」
「よかねぇが……ちっ、てめぇは必ず俺が倒す」
「ふふっ、ではではさようなら。機会があればまたお会いしましょう」
一方的に言うだけ言って、二人はどこかへと転移していった。
不意打ちでまたここへ戻ってくる可能性も考慮して、しばらく警戒を緩めずに待ったが、一向に戻ってくる気配はない。
こうして警戒させて精神的に追い詰める作戦かとも思ったが、グレイルはともかくとして、グラードの性格からしてそれはないだろうと結論を出した。
地面に下りて魔人化を解くと、途端に全身が脱力感に襲われた。地面に膝を付いて、剣を杖代わりにして倒れるのだけはどうにか防いだ。
どうにもカッコ悪い。ただそれでも最悪の事態は避けられたか。
剣を握る手に力を込めてゆっくりと立ち上がる。
ちょうど俺とグレイルの魔法がぶつかるときに、遠くで尋常じゃない魔力反応があったけど、もしかしてあれがケネスを倒した時の何かだったのか?
だとしたら……魔力反応があった方に体を向けて空を見上げる。
するとそこには見慣れた光の翼があった。一直線に飛んでくるアリスに向かって、無事を伝えるように俺は腕を振った。