104 精霊共鳴
天使と悪魔に近づくと、少し離れたところにアリスさんを見つけた。詠唱でもしているのか、両手を胸元の前で組んでうつむき気味に集中している。きっと何かの準備をしているんだ。それならオイラもティナ様と一緒に時間稼ぎに徹したほうがよさそうッスね。
駆けながら空を見上げる。ちょうどティナ様が空中で一回転して勢いよくかかと落としを放ったところだった。腕を交差させて防御した敵は、上空で踏ん張りきれずに地上に向かって落ちてくる。
絶好のタイミング。落下地点に向かって”流星剣”で距離を詰め、そして――
「はあ!」
「ちっ、あいつらも負けたのか」
剣と剣が交差する。すかさず連撃を放ったけどそれも見事に防がれた。こいつ、強い。ここまで剣を使える悪魔もいるのかと驚いた。
『だが凡人の域は超えてない。剣の戦いでならお前が勝つさ』
”黒金”はそう言うけど、そんな簡単な相手じゃないだろ。
何度か剣を交えてわかったことがある。こいつは圧倒的な力や速さで相手を倒す感じじゃない。研鑽を積んで磨いた技術で確実に相手を追い詰めていくタイプだ。人外の力や速度でこられたら今のオイラでも厳しいかもしれない。だけど、剣技の勝負なら!
攻防を繰り返す中で少しずつ、少しずつ相手に迫る。いや、剣聖たちの背中を追いかける。目の前の敵を視界に納めつつ、オイラの意識は流れ込んでくる剣聖たちの戦いの記憶に向いていた。呼吸と体さばきを真似て剣閃をなぞり、知識を、経験を、確実に自分のものにしていく。
最初は時間稼ぎをすればいいと思っていたけど、そんなのはもう頭から抜けていた。
「戦いの中で進化するか。この成長速度……異常だな。貴様本当に人間か?」
最初は劣勢だった、だけど今は互角だ。ただ、頭は沸騰しそうなほど熱く、身体の感覚はすでに麻痺し始めていた。それでも――
「何も特別な力なんて無い、ただの人間だ!」
あらん限りの力を込めて叫ぶ。何度も、何度も追いかけて、ようやく剣聖の影に重なった。
渾身の一撃が決まる。敵の腕が吹き飛んで――そこで限界が訪れた。力が抜けて次の手に移るまでにわずかな間ができる。
その一瞬のうちに距離をとられ、剣の間合いから逃げられた。
マズい!? そう思ったときには魔法の掃射が始まっていた。一つ一つの威力はそこまでじゃないけど数がおかしい。オイラだけじゃなくてティナ様にも同時に十や、二十、いやもっと。
”斬魔剣”で切ったり、避けたりしてどうにか対処してるうちに、全方位に魔方陣が現れて逃げ場がなくなっていた。
習得したばかりの”燐光散華”で防御を試みる。熱風や冷気、衝撃が暴れ狂う中、どうにか直接的なダメージは防げた。余波の影響はあるにはあるけど、そこまで大きなものじゃない。
砂埃が舞う中、後ろからイヤな気配がして反射的に迎撃した。硬質な音を立てて、敵が投げた剣が顔の横を通り過ぎる。
視界の端で砂埃がわずかに後ろへと流れるのが映った――背後!?
『前に跳べ!』
”黒金”の声が聞こえるのと、オイラが体ごと後ろへ振り向くのは同時だった。目の前にはすでに剣の内側に入り込んでいる敵がいる。人の剣技に合わせて力を抑えていたのか、剣を捨てた敵は人外の速度を見せていた。
「お前はいらない」
とっさに後ろに跳んでも威力を殺し切れず、腹部に強烈な衝撃を受けて宙を舞う。わずかな浮遊感の後、背中から大木にぶつかり、肺の中にあった空気をすべて吐き出した。
声もなくえずく。血を吐いて鉄さびの味が口の中に広がった。これ……どっか内蔵ぶっ壊れたんじゃないか? あばらは確実に何本か折れてるだろうな。痛みを感じないのは幸いだけど、かえって危険な状態な気がする。
「オイラも、まだまだッスね……」
せっかく”黒金”の声が聞けてもそれを活かせないなら意味がない。
身動きがとれない。これ今度こそ本当に死んだかも。
意識が消えかける中、ふと切り飛ばした腕が視界に入った。それは陽炎のように揺らめくと、敵の下までふわふわと飛んでいき、再び腕の形に戻った。
再生? いや、どちらかというとあれは……
『精霊の類いに近いな』
剣聖の記憶の中に精霊との戦いがあった。”斬魔剣”を使わずに精霊を切った場合、すぐに元通りになる。目の前で起きた現象はそれに似ていた。
「じゃあ……あいつもせい、れいってことッスかね……?」
『わからない。それよりもおい――をたしかに持――ライ――』
”黒金”の声がどんどん遠くなっていく。致命傷を受けた。それに身に合わない無茶をしたせいもある。だからこれは仕方のないことなんだろう。
霞んでいく視界の中、天使と悪魔がお互いに炎を纏って殴り合っている姿を最後に見て、オイラの意識は途切れた。
魔法で眠りについた男を見下ろしながら、あたしはため息をついた。
ライナーに助けられるまであたしとベルは手も足も出なかった。こっちの攻撃は当てられないのに、向こうの攻撃は一方的に届く。ベルが必死で庇ってくれていたからあたしは無傷だったけど、その代わりベルは傷だらけ。
アリスたちについてきたのは治癒魔法の使い手として、その自覚はある。でもだからといって、それしかできないというのはあまりにも情けない。
「行くわよ」
「この男は放って置くのですか?」
「元々気絶させてるし、魔法でも眠らせた。少しの間なら目を離しても問題ないわ」
本当は戦いの渦中に飛び込んでも何もできず、足手まといになるんじゃないかとも思う。だけど、それでも。
「ただ黙って待ってるなんて、そんなのあたしはできないわ」
囚われのお姫様みたいに、救国の王子様を待つなんてのはガラじゃない。きっとそれはあたしじゃなくて、あの子にこそ相応しい。勇者であろうと頑張っているあの子こそ本当は……
まあそこを気にするのは王子様の役目よね。
あたしたちはライナーの後を追った。といってもそこまで遠く離れているわけじゃない。だからすぐに追いつくはずだった。
「なによ……これ……?」
目の前の光景が信じられず、思わず足を止めていた。
そこは真夏の炎天下よりも遥かに暑くて、熱を孕んだ空気が肌を蝕んでくる。
ティナ様とケネス、その二人が戦っている場所は地獄だった。木々だけでなく、地面すらも溶けて灼熱の大地と化している。赤以外の色が失われたそこは、まるで人が立ち入ることを拒絶しているようだった。
ほんの少し前はこんなんじゃなかったのに。
「ってぼんやりしてる場合じゃない。アリスとライナーは? もしかしてこの中で戦ってるの?」
あり得ない。こんな中にいたら、まともな人間はあっという間に死ぬだろう。
ベルと二人で周りを確認する。
「セレン様、あそこの大木の根元に」
ベルの指差す方を見ると、ライナーがぐったりと倒れていた。
火の道をかき分けて、急いで駆け付ける。まだここら辺は炎の勢いが弱くて助かった。
近くで改めて状態を確認すると、口元から血を流して意識を失っていた。口元、それに首元に手を当てて呼吸と脈がまだあることに安堵する。
「いま助けるから死ぬんじゃないわよ」
ライナーの胸元に両手を当てて、できる限りの魔力を込めて”ヒーリング”を発動させた。
少しずつ顔色が良くなっていき、ライナーの呼吸も落ち着いたものに変わっていく。
間に合った。もしグズグズと悩んでいたら助けられなかったかもしれない。
「セレン様!」
ベルの緊迫した声にビクッとする。ライナーを助けたことで安堵していたから殊更大袈裟に反応してしまった。
治癒魔法は止めずに、背後へ顔を向ける。するとベルが結界を張って迫りくる炎を防いでいた。ティナ様とケネスの戦いの余波がここにまでやって来たのだろう。
「ベル、もうしばらく耐えれる?」
「できれば今すぐにでも移動を……」
ベルの辛そうな声を聞いて、ここで粘るよりかは場所を変えた方が賢明だと判断した。
まだライナーを完全に治せていないから動かしたくなかったけど仕方ない。
「わかったわ。あたしが代わりに結界を張るから、その間にベルはライナーを担いで移動の準備を」
「はい」
立ち上がってベルと交代しようとしたところで、こっちに向かって飛んでくる巨大な火球が見えた。
余波でさえ防ぐのがやっとなのに、直撃なんてしたら耐えられるわけがない。
今からベルの結界にあたしのものを重ねがけしても間に合わない。でもだからといって諦めるなんて、それこそあり得ない。
「間に合えっ!」
強度よりも速度を優先して展開した結界は狙い通り間に合った。
だけど、まるで最初から何も無かったかのように簡単に突破される。飛び散る結界の欠片。近づいてくる圧倒的な熱量。
反射的に顔を守るように腕を交差させた。
…………いつまで経っても想像していたような痛みも熱もやってこない。
閉じていた瞳を開けて、腕の隙間から様子を伺う。
「シル、フ……? どうして?」
目の前にいたのは大きな蝶の羽をもつ精霊。
でもシルフはライナーが倒したはず。もしかして敵としてまた召喚された? そんな疑問が生まれたけど、あたしたちを守るようにして風の結界を張っているという今の状況が、それは違うと否定していた。
よく見ると敵が召喚したシルフよりも煌びやかな姿をしていた。もしかして違う個体?
「間に合ってよかった」
「アリス!?」
炎の中からゆっくりとこっちに近づいてくる。アリスが歩いているところだけはなぜか炎が自ら避けている様に見えた。
「その子は味方だから安心して」
「味方って、でも……」
アリスの顔を見て無事でよかったと思う反面、今の状況についていけなくて頭が混乱する。
あたしの問いには答えずに、アリスは片腕を空に向かって伸ばした。そうするだけで優しい雨がシトシトと振り始める。
ただの火事を雨が消すのとはわけが違うはずなのに、それなのに……いつまでも燃え続けると思っていた激しい炎は、不思議なほどあっという間に消えていった。
雨があがる。残っている炎はティナ様とケネスの二人のみ。
「あとはあいつだけだね」
背中を向けるアリスに手を伸ばしかけて、届かない手の代わりに声を出す。
「待ってアリス。あんなのとまともに戦おうとしたのが間違ってた。どうにかして逃げる方法を考えた方がいいわ」
アリスが起こした超常的な力を見た後でも、敵に勝てるイメージが浮かんでこなかった。
ライナーが倒れて、自分の死を間近に感じて心が折れかけていたのかもしれない。普段なら言わないような弱音を口に出していた。だけどアリスが振り返って見せた横顔は、絶対的な自信に満ちていた。
「女王と共鳴している今、この島で負けることはないから大丈夫。だから安心してボクに任せて」
一歩、また一歩と前に進んでいくアリス。
「ティナは離れて」
大きな声を出したわけでもない。それでもアリスの鋭い指示は、遠くのティナ様に届いていた。
ティナ様は強力な一撃を繰り出して敵の動きを一瞬止め、すぐに戦線を離脱した。
アリスが敵に向かって腕を伸ばすと、敵の周囲がキラキラと輝いて、身に纏った炎ごと一瞬にして凍りついた。
「星の精霊女王の名代たるアリス・ガーネットが命じる。世界を構成せし四大の精霊たちよ、自然の摂理に反する者をあるべき居場所へと還すがいい」
歩みを止めたアリスの周囲だけじゃない、あたしたちの周りも、ううん、目に映る範囲全てが光に満ちた。あたしたちを守っていたシルフさえもが光に変わる。赤、青、緑、黄といった四属性を想起させる色で構成されたそれらは、アリスの前に集まると極大の魔法陣を四つ生み出した。
それぞれから魔法でも放たれるのかと思えば、まだ次があった。空中に描かれた四つの陣は中央へと引き寄せられ、重なり合い、一つの陣になる。そして――純粋な魔力の波濤が、神秘的な多重色の光となって氷像となった敵を飲み込んだ。
目が眩みそうなほどの光が止んだ。さっきまで立っていた敵の氷像が跡形もなく消えている。
倒したの……? あまりにもあっさりとした結末に、まだ次があるんじゃないかと不安になる。
しばらく誰もしゃべらない、無言の時間が流れた。
そうしてようやく勝ったという実感がわいてくる。だけど強敵を倒したアリスはそれを誇るでも、喜ぶでもなく、勝つのが当然の事のように何も反応を見せなかった。あたしはまだ目の前で起こったことを受け入れられていないというのに。
「見つけたよ。彼のところに行くんだよね?」
唐突にアリスは自分に聞かせるみたいにそう言って、光の翼を出して飛び立とうとする。そこに待ったをかけた。
「アリス! あの悪魔を本当に倒したの? それに彼ってシヴァのことよね? 居場所が分かったの?」
いきなりの質問詰めで悪いけど、でも全然納得なんてできない。
どこか冷たく感じる声音、それにシヴァのことを彼と他人行儀に呼ぶことへの違和感がどうしても気になった。だというのに……
「えっ? ああ、あの敵は倒したよ。消滅させることまではできなかったと思うけど、当分の間は安心していいんじゃないかな。それとシヴァの居場所ならあっち。今もまだ戦ってるみたいだからすぐに行かないと」
今度はいつも通りのアリスだと思う。シヴァのことを心配しているのも伝わってくる。
戦いという普段と違う環境。そこでいつもと違う態度をとったとしても不思議じゃない。実際、戦闘中だと態度が豹変する人もいるって話は聞いたことがある。だけど、さっき感じた違和感はそんなものじゃないとどこかで理解していた。
「ティナはセレンたちをお願い」
アリスは光の軌跡を残して空へと飛び立った。
一瞬で見えなくなった背中に向けて、誰にも聞こえないほど小さく問いかける。
「ねぇ……あなたは他の誰でもない、アリス……なのよね?」