103 剣聖の導き
赤い閃光が視界の端に映った。そっちに注意を向けると、ティナ様がアリスさんを庇うようにして立っているのが見えた。そのまますぐに戦闘を開始したかと思えば敵といい勝負を繰り広げている。
オイラがサーベラスと一緒になっても倒せなかった、あのジャックも倒したみたいだし、やっぱ天使って強いんスね。そんな嫉妬半分、尊敬半分の感想を抱きながらも、こっちはこっちで敵の攻撃を躱し続ける。
ギルドで聞いてた子どもみたいな上級悪魔、そいつが呼び出した精霊が戦いづらくて仕方ない。風の精霊が羽ばたくたびに、周囲からいくつもの風の刃と弾丸が襲いかかってきて近づく隙がなかった。
わずかな風の流れを感じとって、正面から飛んでくる弾は顔をそらして避けた。
「くぅ、またっ」
だけど同時に足元に向かってきた刃は避けきれず、騎士服の上から重い衝撃を受けた。痛み自体はセレンが一番最初にかけてくれていた”リジェネレート”のおかげですぐに消えた。
「いつもの服だったらとっくに手足の一本ぐらい無くなってたかも……」
こんなところで防具の大事さを実感する羽目になるなんて。いや大事なのは分かってたんだけど、今までなんとかなっちゃってたからなぁ。
「ってそうじゃない。そんなことよりあいつどうやって倒せば」
と、そこで自分の目を疑った。敵はその場でリズムを刻んでダンスを踊っていた。くるくると回って跳ねて。あれは一体なにやってるんスかね?
攻撃して下さいと言わんばかりに隙だらけ。さっきまでずっと乱れ打ちしていた風の刃と弾丸も止んでいる。
この好機を逃す訳にいかない……んだけど、めちゃめちゃ罠っぽい。
まずは”飛翔剣”で様子見をしようと、剣を構えたところで精霊のダンスが終わった。
急に周囲が薄緑色に輝きだすと、家よりも大きな球体状の魔方陣が現れて、オイラはその中心にいた。
これが具体的にどんな魔法なのかはわからないけど、なんかヤバいってのだけは直感的に理解したところで暴風が解き放たれた。
あ、これ死ん――
『それはこうするんだよ』
死を間近に感じたその瞬間、声が聞こえた。男とも女ともいえない中性的な声。これは……”黒金”?
そこから先は理解できなかった。一瞬”黒金”に操られているのかと思ったけどそうじゃない。
どう動くのが最適なのか、知らないはずなのに知ってる。できないと思ったはずなのに、全力を振り絞ればどうにかできるという確信があった。
全方位から襲いかかってくる風の脅威を切り裂いて、僅かにできた細い細い隙間に体をねじ込む。何度も、何度も繰り返す。生存への道を手繰り寄せるために。
集中していて時間が引き延ばされていたように感じたけど、おそらく一瞬のできごと。気が付けば魔法陣の外に出ていた。
「ぷはぁ……できた。なんだったんスか今の」
『何をおどろいてる。この剣を継いだときに聞いてるだろ? お前も剣聖ならこれぐらいの相手に負けるなバカ者』
「聞いてないし、オイラまだ剣聖じゃないっていうか、これきっつぅ」
普段しない動きをしてる分、体への負荷がとんでもなく大きい。特に腕がもげそうなほど痛む。
「でも今はこれぐらいしないと倒せない相手ってことなんスよね」
自分の身に何が起こったのか、理屈じゃなくて感覚で理解した。
歴代の剣聖が辿った道。その経験を”黒金”を通して受け継いでるんだ。
いまも剣に宿った多くの魂が、勝利への道を教えてくれる。
あとはその道をオイラが進めるかどうか、ただそれだけの話。それならやるべき事はただ一つ。愚直にその教えを信じて突き進むだけ。
『精霊は魔力の塊みたいなものだ。物理的な攻撃に意味はない。だが倒す術がないわけでもない。――道は示した。あとはお前にできるかどうかだ。死ぬ気でやってみろ』
「はい!」
精霊は慌てた様子で何度も風の刃と弾丸を飛ばしてくる。さっきまではこれを避けるだけで精一杯だったけど、今ならどこをどう進めばいいかはっきりとわかる。
”流星剣”の踏み込みをした後に、何度も軌道を変えて雷のようにジグザグに移動する。敵の攻撃が顔や体をかすめても気にせず、むしろ踏み込む足にもっと力を入れて速度を上げた。
敵はもう目の前、剣の届くところまで近づいた。
突進の勢いは殺さずに”斬魔剣”で真っ二つにした。そのまま二撃三撃と、敵に反撃を与えないように早く、速く攻撃を重ねて全方位に隙間無く剣を振り回す。剣閃でできた繭に触れた精霊はどんどん小さくなっていく。
精霊が立っていた場所を通り抜けたところで、技を止めて振り返る。
握りこぶしよりも小さくバラバラになった敵の残滓は空に舞い上がり、静かに、花びらが散る様にして消えていった。
『剣聖奥義――”燐光散華”。これは元々魔法に対する防御技だ。だがそのまま敵に突っ込めば』
「攻撃技になるってことッスね。はあぁ、なんとか倒せた……」
敵を倒して安心すると、ドッと疲れが襲ってきた。下手するとそのまま倒れそうになるのを、気合を入れてどうにか踏ん張る。
『よくやった。だが戦いはまだ終わってないだろ』
「そうだ、セレンとベルさん!?」
ティナ様がアリスさんを手助けに行ったからあっちは大丈夫だと思うけど、二人はどうなってる?
二人が戦っている方に意識を向けると、相手を小馬鹿にするような男の高笑い、それに苛立つセレンの声が聞こえた。
「ははっ! どこを狙ってるんだ。そんな攻撃じゃ当たらないぞ?」
「ちょこまかと動かないでよね」
セレンが炎の魔法を連続で放つのが見えた。相手の男は着ている鎧の重さを感じさせない身軽さで次々と躱していく。ベルさんもセレンの魔法に合わせて攻撃を繰り出しているけど、その全てがいいようにあしらわれていた。
よく見るとベルさんの服は剣で切り裂かれた跡が目立ち、少なくない血で汚れていた。動きも鈍いみたいだし、治癒が間に合ってないのかもしれない。
オイラが敵の背後から近づくと、後ろに目が付いてるんじゃないかと疑う速度で反応され、距離をとられた。
「ライナー!? あんたシルフはどうしたのよ?」
「それならもう倒したッス。二人は一度下がって体勢を立て直して下さい」
「だったら三人で」
「大丈夫、すぐ終わらせますから」
セレンがまだ何か言いたそうにしてるのを無視して、一人で敵と対峙する。
それにしてもこいつどっかで見たことある気がするんスよね。もしかしてダリウスといつも一緒にいたあいつ?
「ちっ、男が増えたか」
さっきまで楽しそうにベルさんをいたぶっていた男は、誰が見ても不機嫌だと分かる表情を浮かべていた。
「なあ、もしかしてお前ダリウスと一緒にいた奴ッスか?」
「そういうお前は道場にいたあのクソガキか? そうか、あいつはお前にやられたのか」
「だったらどうだって言うんだ」
「いやなに……ふっ、俺はあいつとは違うってところを見せてやろうと思ってな」
男の足元に魔法陣が現れると、肌が浅黒く変色していき、禍々しい翼が背中から生えた。
「なにより俺の楽しみを邪魔した罪は重いぞ!」
叫ぶと同時に衝撃をまき散らしながら突っ込んできた。
荒々しい攻撃を受け流してるだけで周囲の地面がひび割れていく。
これはダリウスも使ってた魔人化ってやつか? 力が明らかに人間を上回ってる。正面からまともに受けたら押しつぶされるな。
「オラッ! オラッ! どうしたどうした!」
たとえ剣聖の教えがあってもオイラ自身の身体能力が上がったわけじゃない。無理をすれば、それはすぐに自分へと返ってくる。現にオイラの腕はもうシビれ始めていた。
精霊の攻撃に匹敵するほどの猛攻。だけど魔法を使ってくる素振りを見せない。使わないで倒せると思ってるのか、それとも使えないのかはわからないけど、剣での戦いならこっちに分がある。最初から長期戦は考えてない。一気に決める。
敵も優位に立てない状況に焦りを感じたのだろう。大きく後退すると、力を溜めて大技を出してきた。
強烈な突き。一瞬で距離を詰めてきた相手の攻撃を冷静に見切り、剣を下段に潜り込ませて前にでる。交差の瞬間、カウンター気味に横薙ぎで鎧ごと腹部を切り裂いた。
「がはっ――!?」
痛みか驚きか、どちらにせよ敵の動きが止まった。
「これで終わりッスよ」
足を止めずにそのまま敵の背後に回り込んで、翼を切り落とし、四肢の付け根に傷を刻む。完全に封じることはできなくても、これである程度動けなくすることはできるだろう。
男は剣を手放し、突進の勢いのまま前屈みに倒れた。
警戒は解かずに男の近くまで移動して、目の前に剣先を突きつける。
切り口から流れていた血はすぐに止まった。治癒魔法を使ってる素振りはなかったから、これも魔人化ってやつの影響だろうか。
後方で治療をしていたセレンとベルさんが駆け寄ってくる。
「こいつを拘束したいんスけど、なにかいい方法ってあります?」
有益な情報を持ってるかはわからないけど、ダリウスはアニキに言われて生け捕ったから、今回も同じようにしようと思って聞いてみた。
「少し時間がかかるけど魔法で強制的に眠らせることはできるわ。ただそれでも長い間捉えておくのは難しいわよ」
「いっそのこと、ここで殺してしまったほうが良いのではないですか」
冷酷ともとれるベルさんの言い分に、少し反応に困った。それでも言ってること自体は間違いじゃないと分かってる。
ただ勝負の最中に結果的に相手を殺すならまだしも、こうして決着がついた後に改めてってなるとちょっとなぁ。
「……時間を無駄にするのもよくないですね。まずは気絶させましょう」
そう言ってベルさんは男の背中に跨り、首に腕を回して締め始めた。
「てめぇ……なにしてんだ。ぶっ殺してや、るからさっさと、はな……れ……」
最初はベルさんの腕を引きはがそうと暴れていたけど、それもすぐに止んだ。どうやら完全に意識を失ったらしい。相手が動かなくなったところでベルさんが立ち上がった。
「ひとまずこれでいいでしょう」
「ベルさん締め技上手ですね……」
「そうでしょうか? セレン様、魔法の準備をお願いします」
「わかったわ」
セレンが男の側に立って詠唱を唱え始めた。あとは二人に任せて大丈夫だろう。
「それじゃあこいつはお願いします」
そう言い残してオイラはアリスさんたちの下に向かった。
炎を纏った天使と、剣を振るう悪魔が上空で戦っているのが見える。
『ビビってるのか?』
「悪いッスか」
剣聖の経験を受け継いだ今でも、あの人外の戦いへ踏み込むのは怖い。それでも決して届かないわけじゃない。大丈夫だ。”黒金”を継承した今のオイラなら。そう自分に言い聞かせて駆ける足に力を込めた。