102 勇者の声
私に斬りかかってきたのは騎士の恰好をした男。見たところ四十から五十ぐらいか。天使である私に臆することなく攻めてくる姿勢は素晴らしい。だけど気合だけではどうしようもない壁があるのもまた事実。漆黒の双剣は一度として私に触れることなく、今も空を切り続けている。
さて、みんなを集めて転移で逃げるのが最善なんだけど、周囲に張られた転移封じの結界がそれを許してくれない。どうしたものか。
一度男から距離をとって周りを見渡す。教会の子たちはギリギリ均衡を保ってる。ただ剣士の子はちょっと危なそうね。今のアリスちゃんがケネスと戦うにはまだ早いだろうし、煉獄を使われる前に追い返さないと。
そのためにはこの厄介な相手をどうにかしないといけないんだけど。
「ねぇ、私のこと見逃してくれないかしら?」
「……答えなど分かり切っているはずだが」
油断なく構えているその姿を見ただけでも、この人間が相当な実力者だということは分かる。それに人ならざる者の気配を漂わせている。見た目通りと思わないほうがいいわね。
それに私を倒そうとするのではなく、おそらく最初から時間稼ぎをするのが目的。私が他の人のところに行けないように。そんな相手を倒すのは骨が折れる。
「はぁ……この姿だと時間がかかりそうね。あまり使いたくはなかったけど、こんなところでアリスちゃんを失うわけにはいかないもの」
優先すべきは彼女の無事。私のプライドは二の次でいい。そう自分に言い聞かせて瞬時に切り替える。普段の力を抑えた状態から天使のあるべき姿へと。
「……それが天使本来の姿か。間近で見ると凄まじいな」
私の頭上と背後を見て男が声を上げた。彼の瞳には天使の特徴ともいえる光輪と、純白に輝く二対の翼が映っていることだろう。
「人間、貴様は悪魔と共に生きる道を選んだのか? 返答次第では慈悲を与えることも可能だぞ」
私からの最初で、そして最後の警告。
男は言葉を発さなかった。だが瞳の奥に強い光を感じる。
説得は不可能だろう。でも殺すのが正しいともいえない予感がする。さてどうしたものか。
「時間がないというのに私は何を考えているんだか。……いくわよ」
私の攻撃に耐えきれず散るのであればそれまで。生き残るのであればそれもまた運命か。
内に秘めた魔力を解放し、地面を蹴って空を翔けた。
男が使う漆黒の剣は深淵に近い性質を持っている。触れればただじゃすまない。さっきまでの私であれば。
剣を十字に交差させて防御しているところへ拳を振るう。結果は――炎を纏った私の拳が瘴気の剣を粉々に砕いた。
王都の森で勇者の力が発現したときは、意識がぼんやりとしていてほとんど何も覚えていなかった。もしまたそうなったら。ううん、もしも意識が戻ってこなくなったら、自分じゃなくなったら……そんな迷いが私を動けなくしていた。
「もしかして君、勇者の力を使えないの?」
「そんなこと――」
ないと言い切れる? どうして? 現にこうして私は何もできていない。止ってちゃダメ、動かないと。そんな衝動に駆られて踏み出した。
一息で距離を詰めて両手で握った剣を振り下ろす。最速の一撃を繰り出したはずだった。それなのに余裕の表情で片手で受け止められた。
掴まれた剣を力いっぱい引いてもびくともしない。見た目からは考えられないほど強い力で抑えられてる。
周囲の魔力の流れが変わるのを感じて、咄嗟に柄から手を離して大きく後ろに跳んだ。
「ふーん、魔力察知は中々のものだね」
ケネスの足元からいくつもの棘が生えていた。一つ一つが人の身ほどある長くて鋭利な棘が。あそこで剣を諦めて無かったらきっと串刺しになってた。
剣を奪われた。無手で挑む? そんなの無謀だ。私はそこまで格闘が得意じゃない。まして自信のあった剣ですら軽くあしらわれたばかりなんだから。
「この剣使わせてもらうよ」
そう言いながらケネスは何度も素振りをしていた。嫌になるほど様になっているその姿は、長いこと剣の修行をしていたという事実を雄弁に物語っていて、付け加えるならとても見慣れた剣筋をしていた。
「そんな、どうして剣神流を……」
「別にそんな驚くことじゃないと思うけど。千年以上も生きてるんだ。興味本位で剣を学ぶことだってあるさ。さすがに剣に一生を捧げた変人ほどの技量は身に付かなかったけど、まあ凡人が死ぬまで頑張れば辿り着けるぐらいにはなってると思うよ」
正眼に構えた切っ先が私に向けられた。それだけで理解してしまう。十年? 二十年? それとももっと……? いったいどれぐらい鍛錬を積めばここまでになるの。
「じゃあいくよ。さっきとは立場が逆になったね」
無手の私と、剣を構えるケネス。言葉通り戦う前とは正反対。だけど結果はまったく違った。
距離をとっても流星剣で一気に詰められる。避けようにも高速剣の速さを見切るのは難しい。周囲に満遍なく張る結界は簡単に切り裂かれた。どうにか致命傷を避けれているのは剣神流の技を知ってるからに他ならない。
光の翼を出して空中に逃げても当然のように追ってきた。自分へのダメージ覚悟で近距離から最大火力で爆破魔法を撃ち、無理やり距離をとって剣の範囲外へと逃げた……はずだったのに。
上下左右、全方位に待ち構えていたのは視界を埋め尽くすほどの魔方陣の数々。描かれているものは炎撃、氷撃、雷撃、爆破、暴風、それからそれから――その全てが同時に襲いかかってきた。
全身を襲う痛みに集中が途切れ、光の翼が消えて地面に墜ちる。
「くぅっ、はぁ……はぁ……」
煉獄と呼ばれてる力はまだ一度も見ていない。それでも、それでも私にとってこの相手はあまりにも強すぎた。
勝てない。剣でも、魔法でも。こんなのどうやって戦えば。
「稽古はここまでにしようか」
目の前に降りてきた相手が何を言っているのか理解できなかった。稽古? 今までの戦いが? 最初から手加減されてたというの?
「これ以上やると殺してしまいそうだ。君に死なれるのはこちらとしても都合が悪い。それだとわざわざ俺が来た意味がなくなる」
「何を、言って……」
「勝手に死ぬのは構わないけど、あえて俺の手で殺す気はないって言ってるんだ」
全身に力を込めて立ち上がる。冗談で言ってるわけではなさそう。
息を整え、問い詰めるために一歩踏み出そうとしたその瞬間、赤い閃光が横切った。
「アリスちゃん大丈夫?」
「ティナ!?」
私を庇うようにしてティナが立っていた。彼女の両手両足、それに背中の翼が真っ赤な炎に包まれている。
「それって」
「これ? ふふん、フィオナ様直伝”鳳凰の舞”よ。アリスちゃんが使える”熾天の剣”と似たようなものかな。それよりガードされたとはいえ全然効いてないってのはへこむなぁ」
ティナの視線の先には無傷のケネスがいた。
「どうしよう。あいつ炎ほとんど効かないから私じゃ相性悪いのよね」
「そうなの?」
「ええ。フィオナ様ならそれでもなんとかしちゃうんだけど、私じゃまだその域に届いてないから」
ティナが私のところに来てるということは……ジャックは遠くで倒れてた。どういう戦いをしたのかわからないけど、騎士の鎧は半壊してボロボロになってる。ライナーとサーベラスの二人がかりでも倒せなかったって聞いてたのに、ティナは一人で倒せたんだ。これが天使の力。
「あっちの男が気になる? とりあえず動けないようにしただけで殺してはいないよ」
生きてると分かってどこか安堵してる自分がいた。甘いなと自覚はしてるけど。
「それよりもアリスちゃんは一度下がって。私が相手してる間にあいつを倒す準備をお願い」
「私に倒せるでしょうか……」
これまでの攻防で自分の未熟を痛感したばかりだというのに。
「大丈夫よ。完全消滅は無理かもしれないけど、倒すだけならできるはずよ。私がフィオナ様から聞いた勇者の力が本当ならね」
そう言い残してティナはケネスに向かって行った。剣とのリーチ差を気にも留めないで果敢に攻めている。すごい。あのケネス相手に一歩も引いてない。それどころかティナのほうが押してる……?
二人の戦いに見入ってる場合じゃない。今のうちに勇者としての力を使えるようにならないと。
王都での戦いで願ったのは敵を倒すための力。
その願いに勇者の加護が答えてくれたというなら、もう一度強く、強く願う。
――私に戦う力を。
『…………える?』
小さな小さな声。それが頭の中に響いた。何を言ってるのかまでは分からなかったけど、確かに聞こえた。
それに急に胸元が熱くなって、服の下から光が漏れ出てる。襟を引っ張って胸元を確認すると、黄金に輝く紋章の様なものが浮かんでいた。見づらくて形までは分からない。だけどきっとこれが勇者の証。ようやく自分の意志で出すことができた。
でもどうして急に? 力を求めることが条件? でもそんなこと戦いの中ではごく当たり前に望むことだと思うのに。他にも何かあるの?
『ボ……のこ……が……?』
弱弱しく木霊する声に意識を傾ける。
『ボクの声が聞こえる?』
澄み渡る空のようにきれいな声が今度ははっきりと聞こえた。この感じ、念話で話している時の感覚に近いかな。
『お願い。私に力を貸して』
勇者の紋章が現れると同時に聞こえるようになった声。その正体を確かめるよりも先に私は願った。
『うん、いいよ。そのためにボクはいるんだから。心を一つに、ボクに全てを委ねて』
心を一つに。そう言われても何をすればいいのかさっぱりわからないけど。
瞼を閉じて集中する。あなたの声に手を伸ばすようにして。そして――
「アリスちゃん?」
「ようやく目覚めたか」
戦っている二人が動きを止めて私に注目しているのが分かる。だけどそんなものに意識を割いてる余裕がない。体の内側から魔力の奔流が溢れ出る。止まらない。どこまでも広がっていく。暴走しているんじゃないかと疑うほどの力。
『これ大丈夫なの?』
『心配しないで。覚醒をしていなかった前回とは違う。それに君にはボクがついてるから』
ようやく魔力が落ち着いたところで目を開ける。前を向いているのにどこか自分を俯瞰して見ているような感覚に襲われた。
「あとは任せて」
私の声が聞こえる。喋っていないのにどうして? ……ううん、気づかないふりは止めよう。もう分かってる。きっとあの時もこうやってあなたが助けてくれていたんだね。




