ミシアの砕け散った夢
これは、自分が長く作っている世界「Sword Masters」に登場する、一人の魔術師の物語です。
短めなので、ぜひご覧になって下さい。
3月の文フリ前橋で無料配布したものの完全版になります。
その日、ルーファスランド魔術学校を照らす夕日が、教室で下を向いたまま立ち上がることのできない一人の少女を、その存在すら闇の中に消してしまおうとしていた。
少女の目に飛び込むオレンジ色のサインで、外が夕暮れ近いことを知らせる。
「私が今日まで憧れてきたのは……、こんな色の魔術だった。それは、熱く燃え上がる、勇敢なる力のはずだった……」
14歳の少女に手渡された、非情な進級通知。開いた窓ガラスから教室を吹き抜けていく風が、少女の力ない腕で押さえていた進級通知を、少女から引き離そうとする。いや、今の少女には、引き離された方がかえって心が落ち着けるのかも知れないが。
今日まで少女を支えたはずの担任、マグワイヤと一対一で行われた面談が終わったのは、今から1時間以上も前のことだ。今はもう、少女の周りに誰もいない。一年の締めくくりと言うべき修了式を終えた魔術学校には、生徒はおろか教員の声も響かないほど静かで、少女が時折涙を飲み込むと、その音がどこまでも遠くまでこだましてしまう。
少女の名は、ミシア・ロックハート。ルーファスランド魔術学校・基礎課程3年生。
魔術学校では与えられた課題を次々とクリアし、成績も常に学年でトップレベルを維持。そして何より、ミシアの放つ魔術はとても基礎課程の生徒とは思えないほど完璧で、教師たちからも一目置かれるほどの精度を誇っていた。
そんなミシアが、あのような進級通知を受け取ることになるとは、クラスの誰もが信じなかった。
基礎課程最後のホームルーム。クラス中の生徒が、次なる専門課程で何をしたいかという話で盛り上がる中、担任マグワイヤはいよいよあの言葉を口にした。
「皆さん、専門課程で学びたい属性を希望出したと思いますが、基礎課程を終える前に、その結果を発表します。ミシア・ロックハート」
「はい!」
これまでも、試験の成績発表で真っ先に名前の呼ばれることの多かったミシアは、この日もマグワイヤに元気よく返した。
だが、それは無情な結果を告げる瞬間でもあった。
「あなたは、ちょっとこの後面談がありますので、残ってなさい」
「分かりました」
「残りの生徒は、全員火炎属性の専門課程に進むことになります。始業式の日にクラス分けがありますので……」
歓喜に包まれる教室。
ミシアも火炎属性の希望を出していたことを知るのは、ミシアとマグワイヤだけだった。
椅子に座っているはずの足は震え、マグワイヤを見つめているはずの目は時折ぼやけていた。周りで何が起きているか、それすら感じることができない。
気が付くと、ミシアは机の上に涙を流し始めていた。
それでも、クラスの誰もが、「優等生」ミシアに見向きすらしなかった。
その後の面談で、マグワイヤはミシアに「落第」の理由を告げた。
しかし、それはミシアの納得のいくようなものではなかった。
火炎属性を希望する人が多すぎる、とか、他の属性もできるから、とか。
せいぜいの理由が、火炎属性の担当教師バーンが不適当と認めたから、とか。
面談では、それしか言われなかった。
そして、最後にマグワイヤから手渡された進級通知には、一言こう書いてあった。
――専門課程 氷雪属性
「嫌だ……。こんなの嫌だ……」
ミシアは、徐々に光が消えていく教室の中で、それでも泣いていた。
氷雪属性は、「死の属性」と言われる。
あらゆる粒子の活動を止め、冷たい氷の世界で生命を眠らせる。
その属性を使えるとすれば、それは悪魔だけ。
ミシアは、魔術学校の教科書でその言葉を見たことがあるし、氷雪属性の担当教師フロウからも授業中にそう言われている。
専門課程はあることはあるが、数年に一人しか適任者がいない。
そんな魔術だった。
「ただいま……」
ミシアは、それから1時間後、用務員に教室を追い出され、自宅に戻った。
「何か……、あったのか……」
父アーディス一人だけの家族が、あまりにも変わり果てたミシアを見つめる。ミシアが12歳の時に母が亡くなり、元々剣士として軍事組織「オメガピース」に勤めていたアーディスが家の面倒を見ているのだった。
「炎のクラス、落ちた……。しかも、その真逆の氷のクラスに行かなきゃいけない……」
「おいおい、ミシア。それ本当か?」
赤い毛を揺らしながら、アーディスがやや前屈みになる。まるで、信じられないと言いたそうだ。
「だって、ミシアはどんなテストも100点だっただろ!」
「どうしてダメと言われたのか、私にも分からない……。けれど、これでもう、私はみんなから悪魔とか呼ばれなくなってしまう……」
ミシアはそこまで言うと、アーディスから目線を反らし、玄関脇のステンドグラスに視線を移した。
そこには、古代英雄たちの、剣を持った姿が描かれていた。
「お父さんのような勇者には、なれない……。どう考えたって、勇者に似合う魔術は、炎とか明るい色の魔術だもの……。クラスのみんなも、戦うなら炎がいいって言うんだし……」
父アーディスは、かつてこのルーファスの自警団で剣を取り、数多くの強敵を倒してきた。そして、その活躍が認められて「オメガピース」に入り、その中でも最強の剣士と称されたのだった。
父の生き方は、まさしく勇者。
その背中を追う少女ミシアも、剣を持たないとは言え、高度の魔力を武器に、勇者への階段を駆け上がろうとしていた。
その階段を、最後まで上がることは、できなかった。
「落ち込むな、ミシア。まだ勇者になれないと決まったわけじゃない」
「お父さん。専門課程に行ったら、もう氷しか使えなくなるんだよ……。他の属性の魔術は、封印されてしまう……」
「ミシアなら大丈夫だって!俺の前でも、すごい力を解き放ったじゃないか」
大丈夫。
その言葉は、もうミシアには聞き飽きていた。
「どこが大丈夫なの……!何のために魔術師になりたいって思ったか、お父さんったら一つも分かってない!」
頭に血が上る、とはまさにこのような状況だった。炎を使えなくなるのに、体が、そして頭が熱い。
「そりゃ、ミシアが強くなりたいからじゃないのか。そもそも、決まってしまったことは仕方がない。専門課程で頑張るしかないじゃないか!」
「……っ!」
靴の底が玄関を力強く叩きつけ、何度も炎を放ったはずの手が玄関のドアを無造作に解き放つ。
消えていくは、ミシアの泣き叫ぶ声。
「みんな、みんな私の気持ちなんて分からない!」
ミシアは、闇に包まれた夜の街を、ひたすら走って行く。時折照らし出す人工的な明かりも、ミシアの目にほとんど入ってこない。
何のために走っているのかも、ミシアには分からなかった。
魔術ばかりやってきて、さして運動神経もあるわけではない。
なのに、何故。
失われかけた夢を追うため……?
それとも、現実から逃げ続けるため……?
気が付くと、ミシアは街外れの公園で一人、泣いていた。
「私は、いったいどうすればいいんだろう……」
――君は、何かを変えようとしているのかな?
不意に、ミシアの耳に響いた。優しい声だ。
どこかで聞いたことのあるような、甘く透き通った声。
ミシアは顔を上げて、公園をすみずみまで見渡す。
誰もいない。
「やっぱり、誰も見向きをしてくれない……」
ミシアは、誰の姿も見えないことを知ると、再び肩を落とした。軽く首を横に振り、それから深いため息をついた。
その時、再びミシアの耳に同じ声が響いた。
――君は、とても強い。おかしいって思ってることを、おかしいって言えるんだ。
「おかしい……、ということを……?」
気が付くとミシアは、声だけは聞こえるその相手と会話をしようとしていた。涙はできるだけこぼさないように。
――そうさ。だって、与えられた現実を受け入れようとしないんだから。
たしかに受け入れていない、とミシアは答えた。だが、ミシアの目は決して、その声の主を睨み付けているわけではなかった。
――目の前の世界をおかしいと言い、立ち向かっていこうとする。そんな君は立派な魔術師だし、もしかしたら今すぐにでも勇者になれる素質を持っている。
「勇者に……、私はなりたかった……」
ミシアは、再び泣いた。アーディスの姿が、閉じた瞳の中で思わず浮かんでくる。
だが、そう言ったミシアに、声は告げる。
――そう嘆いていてもさ、今だって本当はなりたいんじゃないのかな。そのずば抜けた魔術の力で、世界を変えようとする、一人の勇者に。
「ねぇ、あなたは、いったい私をどこまで知ってるの……?」
ついに、ミシアは小さくそう答えた。どこまでも広がる星空と、誰もいない公園しかないミシアの視界の中に、その声の主は見ることができない。
声だけは聞いたことがあるのに、ミシアには思い出せなかった。
――僕が?
「僕……?」
ミシアは、その瞬間に、わずかな選択肢として残っていた魔術学校の先生が、その声の主ではないことを悟った。
だが、全ての選択肢が消えたその時、ついにその声は語りかけた。
――僕は、何年も前から知っているよ。だって、僕は君の魔力そのものだもの。
「魔力そのもの……?ということは、あなたが私の魔術を操る……」
魔力の擬人化、という言葉は聞いたことがない。ミシアも魔術学校で、魔力が他の生命では置き換えることのできない不思議な力であることを学んでいる。
それにも関わらず、その声はミシアの魔力そのものだと言っているのだ。
ミシアは、目をこすった。
いつからか、夢を見ているかのようにしか思えない。
少なくとも、これは現実ではない。それこそ魔術だ。
ほんの2秒の空白が、現実の時の刻み以上に、長く過ぎていった。
――僕は、操ってなんかない。けれど、君に全てを託している。それだけの存在だ。
「えっ……」
その声に誘われるように、ミシアが再び星空を見つめると、その声はさらにこう告げた。
――僕は元々、ユリギフス・カルドラ。今は、その魂でしかない。勉強熱心な君なんだから、名前は聞いたことはあるだろ?
「もしかして……」
魔術史の授業で聞いたことのある名前を、ミシアは瞬時にひらめいた。その魔術師が、どの属性で有名だった人なのかも。
「ユリギフス……、あなたなのね……。私を、氷雪属性に連れ込んだのは……!」
泣く気は失せた。全てが分かった今、ミシアは両手の拳を丸め、見えない相手に向かってベンチから立ち上がろうとした。
それでも、ユリギフスの声は対照的に、冷静さを保っていた。
――それは違うよ。元々君に、生まれつき氷雪属性の魔力が、少しだけ備わっていた。誰もが、魔力のない状態から火炎属性を夢見る中で、君だけが生まれつき氷雪属性を持っていた。だから、僕はそんな君を支えているんだよ。
ユリギフスの声が、どうしてミシアに聞き覚えのある声なのか、ようやく分かったような気がした。詠唱の時に、まるで同時に叫んでいるような声だった。
だが、それと同時に、ミシアにはもう一つの真実が分かってしまった。
「生まれつき……、私は氷雪属性だった……」
特定の属性の魔力を持って生まれる。もともと0の状態で生まれるのが当然とされる中、遺伝学では証明できないほど、それは奇跡でしかなかった。
確率的には0.00006%。1000万人に6人。その中で、氷雪属性の魔力を宿して生まれるのは、さらにその何分の一でしかない。
ミシア・ロックハートは、あまりにも稀すぎる存在だった。
「じゃあ私、生まれつき悪魔になる運命だったの……?」
その時、ユリギフスが首を横に振ったように、ミシアの心の目に映った。
――素晴らしい魔術を放つ君が悪魔なのか天使なのか、それは君には分からない。みんなが、君を見て決めること。誰かが悪魔と決めたことこそ、作られた現実じゃないか。
「作られた……、現実……」
――そうさ。そんな残念な現実を砕くのが、勇者なんだと思うよ。
星空の向こうに、うっすらとユリギフスの姿が浮かんでくるような気配が、ミシアには響いてくる。ユリギフスも、もしかしたら生まれつき氷雪属性の魔力が備わっていて、そのことだけで夢を打ち砕かれそうになっていたのかも知れない。
それでも、自分を見失わなかった。
ユリギフス・カルドラ。
その彼こそ、今から200年以上も前に、氷雪属性で並ぶ者がいないほどまで上り詰めた「勇者」だった。
――勇者、イコール炎。誰かが決めた現実に、君は挑むことができる。その姿を見る人は、誰もが君を認めるはずだよ。ねっ。
ユリギフスは、笑った。
その笑い声が、ミシアの耳にもはっきりと分かった。
「私の目指したことは、間違ってなんかない……。打ち砕かれてなんか、ない……」
ミシアは、誰もいない公園の中で星空に手を伸ばした。
「ユリギフス……。なんか、今なら……、ものすごい力が出せると思うの。見てて」
――分かった。
ユリギフスが、かすかにそう答えると、ミシアは魔術学校での授業のように、天に祈りを捧げた。
偉大なる氷雪の魔術師、ユリギフスにもその祈りが届くように。
「無数に散らばる、青き氷の魂……、そして白く輝く結晶たち……、我が声のもとに手を取り合い、数多の強靱な刃となれ」
魔術学校の基礎課程の授業で教わっていないレベルの魔術。
図書館の閉架書庫に何度も入り習得した、氷雪系では最上位に近い魔術。
ミシアは、それを放とうとしている。
自分が悪魔でないことを証明するために。
「そして、吹雪の如く降り注ぎ、彼の魂に深く突き刺せ!」
ミシアの手が、力一杯振り下ろされた。
「……アイシクルメテオ!」
激しい音と白い光が、公園に降り注ぐ。
公園の土に、無数の氷の刃が鋭く突き刺さった。
やがて、ミシアの目にもはっきりと分かった。
それこそ、ミシアの力ということを。
「私は、やっぱり間違ってなんかなかった……」
ミシアは言った。
声で答えることはなかったが、ユリギフスもどこかで笑っていた。
その後、ミシアは何事もなかったかのように家に戻っていった。そして、あの不思議な出会いをアーディスにするとともに、喜んで専門課程に進むことを、はっきりと口にした。
けれど、ユリギフスと出会ったこと、さらには元からその属性だったことを、その場で口にすることはなかった。それは、あくまでも二人だけの秘密ということにしておいた。
それから10年後、「氷雪の魔術師」として成長したミシア。
かつてアーディスのいた「オメガピース」だけではなく、世界中でその名を知られている。
だが、ユリギフスを超えた、と言われるようになってから、久しくその声は聞かなかった。もはや、一人でも十分すぎるくらいの魔術師になったのだ。
それでも、あの出来事が、偉大な氷雪の魔術師となる原点となったことは、言うまでもなかった。今でも、ミシアは時々、あの公園での不思議な体験を思い出す。