負けず嫌いの公園
静かな住宅街に小さな川が流れている。地元住民の散歩コースとして親しまれているこの川も、ここ数日の好天ですっかり干上がって川底のコンクリートが露出していた。だが、せせらぎの代わりに、無邪気な声の響き渡る場所があった。公園である。
遊具の上に陣取る子、走り回る子、砂場で静かに穴を掘り続ける子、ただ奇声をあげている子……。十人十色、それぞれの遊び方で楽しみを見出していた。
川沿いに設けられたベンチには、そんな子供たちを見つめる少女の姿があった。レトロな服装に身を包み、背筋をぴんと伸ばした少女は、周囲から浮いた存在であるにも関わらず、どういうわけかその少女のことを気にかける者はいなかった。
日が傾いて、子供たちが各々の家へ帰り出しても、その少女はそこにいた。
やがて電灯の灯りが点くと、夢中になって穴を掘っていた二人組も公園を去っていった。あとに残ったのは少女一人だけだった。
少女は二人組が仲良く並んで歩く後ろ姿を見て、満足そうにほほえんだ。
「今日もあたしの勝ちだったわね!」
唐突に浴びせかけられた声に、少女は後ろを振り向いた。
川を挟んだ向こう側で、勝ち気そうな少女が欄干に身を乗り出して笑っていた。
こちらのこじんまりとした公園の川向こうに、広々とした新しい公園がある。一見するとひと繋がりの公園に見えるが、川を渡るためには公園の敷地外で橋を渡る必要があり、この二つは全く別の公園であった。
数年前にできた、この新しい公園は、敷地面積もさることながら、遊具などの設備や芝生の整備も整っており、近隣住民たちの憩いの場として親しまれていた。
少女は声の主をちらりと一瞥すると、何事もなかったように姿勢を戻した。
「ちょ、ちょっとお! なに無視してるのよ、桜子!」
「なんですか、清。やかましいですね」
「今日の勝負よ! あたしの勝ちだったでしょ!」
「私は清みたいに勝ち負けなんて気にしませんし。だいたい、人数がなんですか。公園は子供たちが楽しく遊んでさえくれれば、数は少なくたって、それでいいんですよ。清はその辺わかっていませんね」
「子供たちっていうけど、桜子のところで遊んでたのって、砂場にいた二人だけじゃない」
「……複数いたんですから、”たち”でいいでしょう。だいたい、うちは清のところと違って狭いんですから、もともとの土俵が違うんですよ。そういう意味では実質、私の勝ちと言っても過言ではありません」
「気にしてないって言うわりに、人数にこだわってるような気がするんだけど」
「まったく。清はわがままですね。そこまで言うなら、今日のところは、あなたに勝ちを譲ってあげてもいいですよ」
「何がわがままなのよー! 最初からあたしの勝ちじゃないの!」
川を挟んで隣り合った二つの公園は、古くて小さいほうを「桜木公園」、新しくて広いほうを「清水公園」と言った。
なぜ、こんな近くに公園が二つ並んでいるのか、それには川を境にした町同士の意地の張り合いが絡んでいるのだが、ここで遊ぶ子供や、公園たちにとってはどうでもいいことであった。
この二つの公園の少女たちは、晴れの日も雨の日も、公園で遊ぶ子供たちが怪我をしないように見守っているのだが、暇さえあれば口喧嘩をしていた。
春の日も――
「ふふ、桜の季節は私の一人勝ちのようですね。朝から晩まで花見客がひっきりなしですよ」
「くうーっ! 桜子、ずるいわよ! うちにも桜の木をよこしなさいよお」
「お断りします。なんてったって、うちは”桜木公園”ですから。一番古い木は樹齢数百年とも言われているんですよ。清みたいなポッと出の公園には出せないオトナの魅力があるでしょう?」
「ここぞとばかりに歴史を持ち出してきたわね。いいもん。酔っぱらいなんてほしくないもの」
「ああ、この季節の何が好きって、清の悔しそうな顔と、負け惜しみが聞けることに尽きますね。これが私の一番の楽しみなんです」
「あんた性格悪いわよ!」
夏の日も――
「ふっふっふ……この日を待っていたわ」
「どうしたんですか。暑さでとうとう頭がおかしくなりましたか?」
「なってないわよ! 失礼ね! 今日は清水公園最大の名物、噴水広場が解禁になるのよ!」
「はあ」
「今日は真夏日ですって。ねえ……どうしてもって言うなら桜子も入れてあげてもいいわよ」
「嫌ですよ。私、この公園から出ると、すごく疲れるんですから」
「年寄り臭いわね……。なによ。せっかく口実ができたと思ったのに……」
「口実?」
「な、なんでもない!」
「ふむ……。あー、そう言えば、今日は花火大会があるらしいですよ」
「そのくらい知ってるわよ。それがどうしたの?」
「うちの滑り台の上にのぼると、花火がよく見えるんです。清さえよければ、こっちへ来て一緒に観ませんか?」
「……ねえ、木が邪魔で全然見えないんだけど」
「去年まではよく見えたんですけどね。いやはや樹木の成長も侮れません。まあ、仕方がないですね。今日はお開きにしましょうか」
「えっ……。と、ときどき見えるし。せっかく来たんだから、もう少し居てあげても――」
「いえ、暑いですし。やめましょう」
「ちょっ、なに一人で降りてるのよ」
「ここじゃなくて、清のところで涼みながら見ましょう。入れてくれるんですよね?」
「しょ、しょうがないわねー」
「清……ニヤニヤして気持ち悪いです」
「してないし!」
秋の日も――
「桜子、なんか嬉しそうじゃない」
「ちょっと良いものを見てしまいましたのでー」
「なんなのよ。教えなさいよ」
「愛の告白です」
「あ、愛?」
「ええ。中学生くらいの女の子が、小さい女の子に」
「そ、それで……どうなったの?」
「はっきりとした返事をせずに、はぐらかされてました。でも、私の見る限り、あれは脈ありですね」
「どうしてそんなことがわかるのよ」
「あれは恋の駆け引きです。”好きと言ったほうが負け”なんだと、その小さい子がよく言ってましたから。あ、その子はうちの常連でして、友達とよく来てるんですよ」
「小さいって、どのくらい小さいのよ」
「幼稚園くらいだと思いますけど」
「中学生を手玉にとる幼稚園児……?」
「まあ、清みたいなわかりやすいタイプには無理ですね」
「ど、どういう意味よっ!?」
冬の日も――
「あれ? どうしたんですか。今日は自慢してこないんですか? あんなに子供がいっぱい来ていたのに」
「そ、それどころじゃないわよ……。雪で滑りやすいっていうのに、どいつもこいつも走り回るんだから。こっちは転びそうになる度に力をつかって怪我しないようにって……」
「お疲れさまです」
「本当に疲れたわよ! これじゃいくら子供が来たって、力の使いすぎで赤字だわ!」
「普通そこまでしないんですけどね……。清のそういう優しいところ、私は好きですよ」
「は、はあ!? このくらい、当たり前だしっ」
そして月日は巡り、それから何度目かの初夏のことだった。
桜木公園の桜に、雷が落ちた。
老木は炎をまとい、乾いた音を立てて倒れた。炎は、あっという間に周囲の木々に燃え移った。
駆けつけた消防によって、ようやく消し止められたときには、無事な木はほとんど残っていなかった。
その日は天気が悪く、公園も無人だったため被害者はいなかった。
それだけが救いであった。
「今日はうちの勝ちね。って、桜子のところは立ち入り禁止になっちゃったから、野次馬がうちに押し寄せただけなんだけど」
「……」
「ちょっと、なにしょぼくれてるのよ。桜子らしくないわよ!」
「……清、悪いんですけど、今日は放っておいてくれませんか」
「な、なによ……。桜子が落ち込んでるかと思って声をかけてあげたのに」
「落ち込みますよ。当たり前でしょう? 私がここに生まれたときから、あの桜の木は、ずっとそばにいたんです。私の分身みたいなものだったんですよ。桜は、この公園のシンボルだったんです。それが、こんな形でなくなってしまったんですよ……。くだらない勝ち負けなんて、どうでもいいです。野次馬が多かった? そんなこと、よく私の前で言えますね」
「あっ……。ごめん……そんなつもりじゃ……」
「すみません。今日はもう、話したくないです」
「桜子……」
「清、昨日はすみませんでした。すこし、気が立っていたもので……」
「桜子……。もう大丈夫なの?」
「大丈夫じゃあないですよ。焼け跡を片付けるまで閉園状態ですし」
「そうね……」
「まあでも、今日は実質私の勝ちですよね。あの野次馬は全部私を見に来たんですから」
「人が心配してれば……まったくもう。調子いいんだから」
しかし、焼け落ちた樹木の残骸が片付けられても、桜木公園に張られた立ち入り禁止のロープは解かれることはなかった。
やがて小さな遊具が撤去されると、近所の子供たちも、この先に待つ結末を知ることとなった。
「桜子? ねえ、桜子ってば! どうして返事してくれないの!」
桜木公園の入り口に看板が立ったときを境に、桜子は姿を見せなくなっていた。
清水公園は変わらず子供たちの遊び場として、いや、桜木公園に入れなくなった分、いっそうの賑わいを見せていた。
そんな賑わいも、清にとってはむなしいだけだった。
「一人っきりじゃ、どんなに子供が来たって意味がないじゃない……」
「公園は子供のためにあるんですよ。清は相変わらず、わかってませんね」
「桜子!? どうして……。いままでどこに行ってたのよ。心配したんだから……!」
「ああ、こうして清と話すのは久しぶりですね。私はずっとここにいたんですがね。まあ、私自身、こんなことは初めてなので、最初は戸惑いましたけど」
「え、ずっといたって、まさか、あたしのことも見てたわけ!?」
「ええ。ずっと。桜子ー、桜子ーって、毎日私のこと呼んでましたよね。清、私のこと好きすぎじゃないですか。照れます」
「ぎゃー! なにそれ! 忘れて! 忘れなさいよ! ずるいわよ、聞こえてたんならさっさと出てきなさいよ! なんなのよ……もう……」
「まあ、そう心配しなくても、もうすぐ忘れてしまうかもしれませんよ」
「な、なによ、それ、どういう意味……」
「公園って、誰も来てくれないと、だんだん公園ではなくなってしまうみたいなんです。私の存在が、少しずつ薄れていくのがわかるんですよ……。いま、こうしていられるのは、立ち入り禁止のロープをくぐってまで遊びに来てくれた子供のおかげなんです。あまり誉められたことじゃないですけどね。それでも、嬉しかったですよ。最後に残った、この滑り台を、何度も何度も遊んでくれて……」
「そう……。よかったじゃない。でも、桜子ってば大袈裟だわ。立ち入り禁止が解かれれば、すぐ元通りになるんでしょう?」
「んー。そういうわけには」
「どうして?」
「いや、清ってば、字が読めなかったんですね。そこの看板、”閉園のお知らせ”って書いてあるんですよ」
「閉園……?」
「もうすぐ、この公園はなくなるんです」
「うそ……。それじゃあ、桜子はどうなるの?」
「……わかりません。公園がなくなったら、私たちはどうなるんでしょうね。私は、消えてしまうんでしょうか……」
「桜子……? ちょっと、泣いてるの? ねえ、桜子!?」
「ははっ、清ってば。私が泣くわけないでしょう。これは、ちょっと風が目にしみただけで――」
「そこ動かないで待ってなさい!」
「清……?」
「いまそっちにいくから!」
清は走った。桜子の姿は目の前なのに、そばに行くには遠回りをして橋をわたらなければいけない。
息を切らせて桜木公園に着いた清を、桜子は涙もぬぐわずに見つめていた。
「桜子のばかっ! あんた、怖いんでしょ!? 寂しいんでしょ!? 素直になりなさいよ! ねえ、あたしってそんなに頼りない!? 強がりばっかり言ってないで、たまには弱音くらい吐きなさいよ! あたしがいくらでも聞いてあげるから!」
「清……。じゃあ、私を抱き締めてください」
「えっ!? い、いいけど。……これでいいの?」
「はい。あ、このまま体勢をキープしてください。清に泣き顔を見られたくないので」
「……なんか釈然としないのだけど」
「いいじゃないですか。最後くらい、甘えさせてくださいよ……。私だって、怖かったんです。不安だったんです。清にお別れも言えないまま消えてしまうんじゃないかって。だから、こうしてまた清と会えて、話ができて、私は嬉しくて、幸せで……」
「桜子……あ、あたし――」
「あーあ……。もう。計画が台無しですよ。ほんとなら、清がべそべそ泣きながらヤダヤダって駄々をこねて、それを私が慰めるはずだったのに、これじゃあ立場があべこべです」
「なによ、それ。あたし、そんなこと言わないもん……。だいたい、そんなに泣き虫じゃないし」
「そうですか? いま泣いてませんでした?」
「な、泣いてないし!」
「ふふっ。でも、これで安心しました。私がいなくても、清ならきっと立派にやっていけるでしょうね。……実は、もうあまり時間がないみたいなんです。そろそろ体を保つのが難しくなってきました。最後に清の顔を見せてください」
「えっ、ちょっ」
「……なんだ。やっぱり泣き虫じゃないですか」
「あんたに言われたくないわよ……」
「清……。私、あなたに会えて、幸せでしたよ」
「桜子……!? 待って! あたし、まだ言ってない! あたし、桜子のこと――」
言葉を待つことなく、桜子の姿は清の前から消えた。
だが、最後に桜子が見せた表情は、これまでに清が見たこともないような優しい笑顔だった。
「大好き……。ずっと、大好きだったの……。桜子のばかっ。最後までちゃんと聞いてから消えなさいよ」
それから幾日かが過ぎて、桜木公園は地図上から姿を消した。
桜木公園の撤去工事は、あっという間に終わった。もともと大した設備もなかったのだから、当然と言えば当然だ。
しかし、桜木公園が存在した時間と比べれば、それはあまりにも簡単な工事だった。
いまは、まるで最初からなにもなかったかのような更地となっている。かつて公園の入り口だった場所には、大きな看板がそびえ立ち、これから建設されるマンションのイラストが描かれていた。
新しくマンションができるということは、公園に遊びに来る人が増えるということだ。だが、いまの清にとっては、そのマンションが憎らしく思えてならなかった。
子供たちは、なくなってしまった公園のことなど、すでに忘れてしまったかのように遊び回っている。
もう誰も、桜木公園を思い出すこともないのだろうか。公園なんて、そんなものかもしれない。
清はため息をついた。
突然、騒音が鳴り響き、目の前でたむろしていた鳩たちが飛び立った。
桜木公園の工事が終わったと思ったら、今度はこちらの公園でも工事が始まったのだ。大方、新しい遊具でも設置しているのだろう。
それは喜ぶべきことなのに、いまの清にとっては、うるさいという感想しかわかなかった。
清は眉間にしわをよせて、本日何度目かわからないため息をついた。
「だめですよ。そんな顔してちゃ。あなたが不機嫌だと、公園の空気も悪くなっちゃいます」
「大きなお世話よ。だいたいこんなうるさい公園なんか誰も来たがらない……わ……。さ……」
「わさ?」
「桜子っ!? どうして! いなくなったんじゃなかったの!? なんでここにいるのよ!?」
「むー、感動の再会なのに、そんなお邪魔虫みたいに言わなくてもいいでしょう」
「質問に答えなさいよ!」
「せっかちですねえ。というか、自分の公園のことくらい把握してなくちゃダメじゃないですか。ほら、あそこ。見えますか?」
「工事現場がどうしたっていうのよ。あ、あれ……。もしかして……」
「ふふ、ご明察のとおり、桜木公園の滑り台がこちらに移設されたんです。いやあ、うまくいくか不安でしたけど、ちゃんと付いてこられてよかったです」
「は……? 不安って、なによ、桜子、あんた、こうなるって知ってたの!?」
「ええ。工事の人が話してましたから。自分のことなんですから、知っていて当然でしょう」
「言いなさいよ!」
「成功するかどうか、わからなかったんですよ。清に話しておいて失敗したら、……格好悪いじゃないですか」
「格好悪いって……はあー! 桜子、あんたねえ!」
「清、その様子だと、あれのことも知らないんじゃないですか?」
「あれってなによ」
「ほら、あそこ。入り口の。よく見てください」
「……。はあっ!? な、なによあれ! あれじゃ、まるで……。っていうか、なんでそっちが先なのよ! あんたがこっちに来たんだから、逆でしょ普通!」
「そこはまあ、先輩の貫禄ですね。それに、最後の勝負は私の勝ちでしたから、当然の権利です」
「最後の勝負? なんのことよ」
「”先に好きと言ったほうが負け”ですから」
「なー! は、図ったわね――」
「清、私も、あなたが大好きです。やっと、あなたに伝えられました」
やがて、「桜清水公園」には沢山の桜の木が植えられた。
春に行われる桜まつりには、近所の人はもちろん、遠方からも大勢の花見客が訪れる桜の名所として、大変な賑わいを見せることとなる。
そして、その祭りが最も盛り上がるころには、決まって仲睦まじく寄り添うふたりの少女が目撃され、その姿は何十年も前から変わらないのだという。