8 御坊のお宮参り後編
熊のお姉さんが嫁いだ御器所城に行くまでに、小さな村をいくつか通り過ぎた。そろそろ米の収穫の時期なのか、黄色く染まった穂先が垂れている。
そーいや、猿に作るのを依頼した千歯扱きって、もう完成したのかな。
農家なアイドル五人組が出る「剛腕でGO」の人気コーナー「農家になろう」は、農業のノウハウを素人にも分かりやすく教えてくれる、まさにこの時代に転生した俺のための番組だった。
ほぼ毎回見ていたけど、ご飯を食べながら見てたから、細かいところまで覚えているかって言われると、ちょっと自信がない。
あ、そこ。土曜の夜に毎週番組を見てたってとこはスルーするように。べ、別に誰とも遊ぶ予定がないから一人寂しくテレビを見てたわけじゃないから! 出かける時はちゃんとビデオに撮って観てたから!
その中でも千歯扱きは、もう見たまんまを作ればいいだけなんで、再現するのはそんなに難しくない。微調整は必要だろうけど、何度か試行錯誤すれば完成するはずだ。
むしろ難しいのは味噌作りとか醤油作りだ。やり方をテレビで見たのは確かなんだけどなー。細かいところをさっぱり覚えてないんだよ。幸い、味噌はあるし、味噌だまりもあるからな。そのうち誰かが味噌だまりから醤油を発明してくれるのに賭けよう。
基本的に、日本人は食にこだわりがあるからな。きっと発明してくれるって信じてるよ。なんといっても納豆を発明した民族だからな。
おいしいけど、これを最初に食べてみようと思った人は勇気があるなと思いながら食べてたもんな。おいしいけどな。大事なことなので、二度言ってみた。うむ。
でも、この米。いや、稲か。なんかテレビで見た感じと違うなぁ。もっと、こう、ワサワサっと穂がついてなかったか?
馬の背の上で見てるだけだからなんとも言えないけど、ちょっとしょぼくれてるっていうかっていうか、なんていうか。
それとも今年は凶作だったのかな。まともな肥料とかもないだろうし、不作だとこんなもんかもしれんな。
ゆっくりゆっくり進みながら御器所城に着いた俺たちは、佐久間盛次と信行兄ちゃんを先頭に、城の中へ入った。
城自体は末森より小さいけど、佐久間の家臣たちが門のところまで出迎えてくれた。馬に乗った俺たちは、そこで馬から降りて手綱を佐久間の家臣に預けた。
ここで一泊する予定だから、それぞれの部屋へと案内される。母上、信行兄ちゃん、千代義姉さんと御坊、俺はそれぞれ一部屋ずつ用意されていた。
今日はここに泊まるのかぁ。
板敷の床に畳が一枚。ああ、やっぱりマイ枕とかけ布団を持ってくるべきだった。今度どこかに旅をする時は、必殺技の「枕が変わると寝られません」を召喚しないとな。そうすればマイ枕を持ち歩いても、変な目で見られないだろう。
夕飯まではちょっと時間があるから、畳の上にゴロンと寝転がる。
結構長い時間馬に乗ってたから疲れたなぁ。喜六郎の記憶のおかげで馬には乗れるからいいけどさ。乗れなかったら悲惨だったな。大勢の前で醜態をさらしたところだ。
でも今日の俺は、信行兄上のお古だけど、立派な絹の狩衣を着て「さすが織田の若様じゃ。凛々しいのう」って言われたんだぜ! えっへん。
この雄姿を信長兄上にも見せたかったな。そうだ。今回のお宮参りで俺の謹慎も解けたとこだし、末森に戻ったら清須の信長兄上のところまで遊びに行こうかな。そして俺のこの立派な姿を見せつけてやろう。
それにしても、今回は信行兄ちゃんの御坊のお宮参りのつきそいで来たわけなんだが、御坊のことはチラっと見ただけなんだよなぁ。
ちょっとくらい抱かせてくれたっていいのにさ、母上が鬼の形相で阻止するんだ。
可愛い甥っ子に危害なんて加えるはずないのに、ひどいよ。
横で信行兄ちゃんが申し訳なさそうな顔をしてくれるけど、悪いと思うなら母上を説得してくれればいいのに。まあ信長兄上にそれができないんだから、信行兄ちゃんにできるわけがないっちゃ、ないんだけどな。
そーいや、ここには子熊がいるんだっけか。熊の甥っ子。
よし、見せてもらおう!
うん。一歳過ぎた子は、もう赤ちゃんじゃなかった。想像よりも育っててびっくりした。
でもって熊の甥っ子は、目がぎょろっとしてて熊に似てた。思ったよりも普通の顔だった、母親の熊姉である篠姫さんが抑えてたけど、なんかジタバタしてて活発そうな子だった。
うん。これ、大きくなったら熊二号になるな。
篠姫さんはダンナさんのような立派な人になってほしいって言ってたけど、残念ながら、勝家のような立派な熊になると思う。
……強く生きろ。な?
ちょっと早い夕飯を終えて、湯殿へ向かう。俺なんか毒殺しても仕方ないので、俺には毒見がついてない。だから気楽に一人で食事を終えた。末森では織田の一族の食事に関しては、ダシを取って料理をするようになったんで、ダシのきいてない素材そのままの食事は久しぶりだ。
やっぱり味気ないな。ダシは大切だよ、うん。
その後、佐久間家の女中に案内されて湯殿に向かったら、なんと湯女が待ち構えていた。
湯女っていうのは、あれだ。まあ、背中流したり、他に色んなことしてくれる女の人だ。
っていうか、俺まだ十歳なんだけど!? 精通もまだなんだけど!?
一応、俺も織田の一族だし、将来は城を任される可能性も大だ。だからこうやって機会があったら既成事実を作って、関係を深めようってことなんだろうけど……
お手付きになって子供ができれば、側室になるのも可能だろうしな。
だからここで待機してる湯女は、一応ちゃんとした武家の娘だと思う。処女……は、さすがにないだろうと思うから、後家さんあたりかな。まだ若いけど。
でも、すまん。俺、初めては好きな子と、って決めてるんだ。それで前世は魔法使いになりかけてたけどな。でも、そこだけは譲れん。男のロマンだ。
なんとか誘惑に耐えて、背中だけ流してもらった。
いや、そこで女の子を帰すと、女の子が叱られちゃうんだ。何か粗相があったんじゃないか、って。
はあ。ゆっくり汗を流したいのに、なんでこんなに疲れるんだ。
風呂から出ても、慣れない部屋で寝るのは、思ったより疲れた。早く末森に帰りたいよ……
翌日も快晴といっていい天気だった。ここで雨でも降ると、もう一泊しなくちゃいけないところだったから、お天道様に大感謝だ。晴れてくれてありがとう。
一晩ゆっくりして世話もしてもらったのか、俺の乗ってきた馬も機嫌が良さそうだった。そーいや、この馬は昨日初めて乗ったんだよな。初めて乗る俺のことも嫌がらないでくれる、気性の穏やかな牝馬だ。気性の荒い馬だと、乗り手を振り落とすからな。怖い怖い。
俺が前に乗ってた馬はあれだ。信次叔父さんの家来に射られた時に、俺を背中から落としたってことで処分されちゃったらしい。
俺が馬から落ちたのは、威嚇のはずが俺を射抜いたノーコンの家来が原因で、馬のせいじゃないんだけどな。さらに言うなら、供も連れずに信次叔父さんの領地をウロウロしてた俺が一番悪い。行くなら行くで、先触れを出してれば良かったんだしな。
うっすらと残る記憶によると、信長兄上を真似て、一人で信次叔父さんのところへ行って、ドヤーってしたかっただけなんだよな。で、途中で誰か川狩りしてるなーって見てたら、矢で射られた、と。
うん。死ななくて良かった。死因がこんなだとか、恥ずかしくてお葬式もできないところだったよ。
処分された馬はどうなったのかな。お墓とかあるなら、一度謝っておきたいな。
御器所城から熱田神社は南のほうにあるんだけど、一度西へ向かって美濃路から向かうことになる。その方が道も広くて行きやすいし安全だからね。それに、よりたくさんの領民に、織田家の威光を示せる。いわゆる織田家は素晴らしいというプロモーションの一環だな。
大名行列なんて言葉もあるからさ、てっきり俺たちが熱田に行く道中は先触れが「下に~下に~」って言って土下座させてるのかと思ってたけど、よく考えたらあれは江戸時代の参勤交代の時だった。
戦国時代は、普通に領民が行進する殿様たちを道のわきにどいて見物できるんだよ。むしろ、楽しいことが少ない時代だから、それだけで娯楽になる。
俺も「織田の若様の若武者ぶりの立派なこと」なんて言われるからさ、調子に乗って手を振ったら、後で信行兄ちゃんに武士がそのように軽薄なことをしてはならないとかってお説教されちゃったよ。
アイドル気分で、ちょっと楽しかったのにな。
熱田に近づくにつれて潮の香りが漂ってきた。どんどん香りが強くなってきたなぁと思ったら、大きな赤い鳥居が見えた。熱田の一の鳥居だ。
鳥居の向こう側では、両端に土産物屋がたくさん並んでいる。
鳥居をくぐるのにも作法があるから、手前で馬から降りて、端に寄った。そこで軽く一礼してから鳥居をくぐる。参道の中央は神様が通る道だから、ちょっと端っこを歩かないといけないらしい。でもあんまり端っこだと、参拝に来てる他の人たちと混ざってしまう。だから真ん中じゃないけど端っこでもない、という、微妙なラインを歩かなくてはいけなかった。
母上たちも籠を降りて鳥居をくぐった。ある程度は人払いをしてるけど、それでも見物しようとする人はたくさんいる。といっても母上たちは被衣っていう、外出時に頭からかぶる着物で覆われてるから、顔とかは見えないんだけどな。
被衣はあれだよ。牛若丸が弁慶と初めて五条大橋で出会った時に、頭にかぶってる着物。母上と千代義姉さまは、それでしっかり顔も隠してるけども雰囲気で美人だっていうのは分かるのかもな。そこら辺の野郎どもが母上と千代義姉さまを見てざわめいている。
うん。これは市姉さまと犬姉さまは連れてこなくて正解だな。
こんな野郎どもの目が、姉さまたちの姿を見ただけで許せん。
……俺の顔にも歓声が沸き起こってるのは気のせいだ。
野太い野郎の声なんて、聞こえない聞こえない。
それにしても、神社とかお寺に隣接する土産物屋の雰囲気は、いつの時代もあんまり変わらないもんなんだなぁ。売ってるものはかなり違うけど。
お土産の定番と言えば、饅頭とかマグカップだけど、見渡す限り饅頭は売ってないし、マグカップは無理にしても熱田神社印の湯飲みもない。
餅は売ってるとこがあるなぁ。あと、立ち飲みのお茶屋さんみたいなのがある。ああ、櫛はお土産の定番だね。帰りに時間があれば市姉さまと犬姉さまにお土産で買いたいけど、買える時間があればいいんだけどな。
でもよく考えたら、俺ってばお小遣いがないんじゃないか!?
今まで自分でお金を使う必要がなかったから気がつかなかったけど、俺一人で自由になるお小遣いがない!
こ、これは大問題だ!
末森に帰ったら、即刻、信長兄上にお小遣いを要求する!
鎮皇門を左手に見てそのまま参道を進むと、潮の香りが強くなった。
へ~。熱田神社って海のそばなんだな。南の先端には船着き場もあるらしいから、船でくればすぐかもしれんね。
参道を抜けて、海蔵門と呼ばれる大きな門をくぐる。その左側には、なんだか立派な木が植えてあった。何の木だろうと聞いてみると、梅らしい。でも全然実が生らないから「ならずの梅」って呼ばれてるらしい。
この時代、梅って非常食になるんだよな。ただ生のままだと苦くて食べられないみたいだ。それでも籠城する時なんかは、何もないよりいいんだろうけどな。だからお城に梅の木を植えて置くのは、今のトレンドらしい。
戦国時代のトレンド。……先進的なのかどうなのか、説明に迷いそうだ。
でも、確かに花を見て楽しんで、梅干し作って、さらに籠城する時の非常食になるんだったら、植えない手はないよね。
だけど生の梅って食べたらダメなんじゃないっけか。下手すると死んじゃうとかって聞いたような気がするんだけどな。どうだったかな。
そんなことを考えながら境内を進む。途中で馬を預けて本殿の前まできた。
それから御坊に祝詞をもらってお祓いをしてもらって。
そのお礼に、信行兄ちゃんは熱田神社に立派な拵えの大太刀を一振りと、馬を一頭奉納した。
俺は祝詞を聞きながら必死に睡魔と戦っていたので、細かい所は覚えていなかった。
御坊よ。ダメな叔父ですまん。
生の梅には青酸が含まれているので、絶対に食べちゃダメです。