7 御坊のお宮参り前篇
最近、信行兄ちゃんが遊びに来ないなぁと思っていたら、なんと驚愕の事実が判明いたしました。
信行兄ちゃん、パパになってました!
うおー。いつの間に!?
でもうっすらと残る喜六の記憶を思い返せば、確かに信行兄ちゃんは結婚してたわ。しかも美人さんと。
くそー。リア充め。
M・O・G・E・R・O!
はっ。信長兄上にも美人の奥さんいるじゃん。濃姫さま。
くううう。
ダブルで、M・O・G・E・R・O!
ついでにH・A・G・E・R・O!
それはさておき。信行兄ちゃんにお宮参りに行くから一緒に来い、って言われました。俺みたいに元服してない子供でも、織田一族が馬に乗ってお供するだけで、箔がつくんだそーです。そんなの知らんがな。
でもお宮参りに行くのは熱田神宮だってことなんで、そこはちょっと期待してたりする。現代でも熱田神宮って人気スポットだしな。
それに歴史オタク山田の情報によると、確か信長兄上が桶狭間の戦いに行く前に熱田神宮で戦勝祈願してたはず。いや、ここは過去形じゃなくて未来形か? うーん。ややこしいな。
まあ、どっちにしても行くしかないよね! 信長兄上より一足先に、熱田神宮で祈ってやるぜ!
名前が熱田神宮じゃなくて、熱田神社って言ってるんだけど、熱田神宮の偽物じゃないよね? 本物だよね?
お宮参りに行くのは、俺、信行兄ちゃん、奥さんの千代義姉さん、信行兄ちゃんの長男の御坊くん、俺たちの母上の土田御前。信行兄ちゃんの家臣の熊、津々木蔵人、佐久間盛次、その他の家来のみなさんと女中の皆さんだ。
市姉さまと犬姉さまは、残念ながらお留守番だ。
城下町か、近くの城くらいならいいけど、熱田までは遠いからダメって信長兄上に禁止されたんだ。
もし万が一さらわれたら大変だからね。
考えるだけでも許せないけど、無理やりさらって嫁にすれば、織田家の血を引く子供が生まれちゃうからな。生まれたてでも、その子を旗印にして家督を奪う、なんて話がないわけじゃない。はあ。ほんとに戦国時代ってクソだよな。
っていうか、最初は亡き父上が京都にある北野天満宮から菅原道真の木像を頂いて分霊してもらって那古野城に造営した、桜天神社にお宮参りに行くって話だったんだ。今は那古野城のちょっと南にあるらしいんだけどな。
末森から那古野までなら、駕籠に乗ってもすぐ行けるから市姉さまたちも行けたんだけど。
でも母上がさ、そんな歴史のない神社にお宮参りだなんて格式が低いって言いだしちゃったらしい。しかもお寺の中の一角にある神社だし。
でも普通にお寺の中に神社があるとか不思議だよな。日本全国、わりとよくあるけどな。仏さまと神様って喧嘩しないんだろうか。実は仲良しなのかもしれんな。戦国武将も見習うといいのに。
いや、でもちょっと待てよ。お寺って言っても、桜天神社のある萬松寺って、父上のお葬式をやったお寺じゃないか。ほら、あれだよ。父上のお葬式で、信長兄上が位牌に抹香を投げつけたエピソードの舞台のお寺。
ってことは、織田家と縁が深いお寺の一角にあるわけだし、神社だって父上が作ったんだから、お宮参りは桜天神社で十分じゃないのかねぇ。
それに織田家の当主とか嫡男とかならともかく、信行兄ちゃんは次男にすぎない。だから長男が生まれたとはいえ、普通だったら子供のお宮参りは桜天神社で十分なんだけどなぁ。母上が譲らなくて、信長兄上が渋々認めた形になった。
それで熱田神社まで行くことになったんだけどさ。生まれたての子供をそんな遠出させていいのかね。
母上と千代義姉さまはそれぞれ別の駕籠に乗っているけど、揺れるよな、きっと。新生児ってあんまり揺らしちゃいけないんじゃないのか。心配だな。
母上は本当は輿に乗って行きたかったらしいけど、さすがにそこまでの身分じゃないから諦めた。というか、普段は母上に頭が上がらない信行兄ちゃんが、がんばって諫めた。
なんていうか、我が母ながら、結構わがままな性格だよな。
信長兄上もダメならダメってはっきり言えばいいんだけどさ。なんか母上には強く言えないんだよなぁ。
しかもその母上には嫌われてるもんだから、はたから見てると可哀想になる。いつも強気な信長兄上がさ、振り返りもしない母上の背中をじっと見つめてるんだよ。ま、まあ、マザコンとも言えるけどな。
でもなぁ。母上の兄上に対するあの仕打ちはないと思うんだ。前世の記憶を思い出してからの俺もそうだけど、廊下ですれ違っても凄い嫌な顔をされるだけなんだよ。いくら実の母親でも、あれは結構むかつくし傷つく。特に信行兄上に向ける優しい顔も知ってるから、なおさらだ。
俺はさ、まだ小さい頃は優しくしてもらった記憶もあるし、今となっちゃ前世の記憶のほうが影響しちゃってるから、今さら母親に嫌われようとどうってことないんだけどさ。信長兄上は一度も優しくしてもらったことがないんだろうしなぁと思うと、なんとも切ない気分になる。
聞いた話によると、信長兄上は生まれたばっかりの時に、おっぱい飲んでて母上の乳首を嚙み切っちゃったらしい。
多分、それは大げさに言ってるだけだと思うけど。
嚙み切っちゃったら、その後に生まれた俺たちは母上のおっぱい飲めてないわけだし。いやだって、乳首って再生しないよね!?
で、その後も乳母の乳首を嚙み切っちゃって大変だったらしい。やっと池田の恒興、通称ツッチーのお母さんが乳母になるまで、何人も乳母が交代したとか。
きっと、信長兄上って生まれた時から歯があったんだろうなぁ。たまーにそういう赤ちゃんがいるらしいんだよな。
いや、前世の職場で、部長の娘さんとこの子供がやっぱりそうだったみたいで、おっぱいあげるのが凄く大変だったって聞かされたからさ。おっぱい飲もうとして、歯が当たっちゃうから乳首から血が出ちゃうんだってさ。ひいい。想像しただけで痛そうだよ。
でも現代ではおっぱいを搾乳する機械みたいなのもあるし、足りない分は粉ミルクをあげたっていいし、なんとかそれで乗り切ったらしい。
話を聞いた当時は、独身一人暮らしのアラサー男におっぱいの話振るとかどんな拷問だよって思ったけど、一応その知識が役に立ってるから、よしとしよう。うん。
ところで末森城主である信行兄ちゃんが熱田に行くわけだから、もちろんお留守番がいる。ここのところ戦がなくてちょっと平穏だって言っても、岩倉織田とか今川とか美濃とか仮想敵国がそこらにいるからね。そうそう末森まで攻め込まれないだろうけど、一応、念のためにね。
留守番役は林のジジイだ。美作守って呼ばれてるジジィで、もうすぐ五十歳になる。信行兄ちゃんの家老で、信行兄ちゃんとか母上から凄く信頼されてる人だ。
前世の五十だと、俺たちより若いんじゃないかっていうくらいエネルギッシュだったけど、この時代の五十歳はすっかりジジイなんだよなぁ。っていうより、林のジジイが老け顔なだけかもしれんけど。
そして俺は顔を合わせるたびに「殿の真似などせず、ダンジョウノチュウを見習いなされ。まったく嘆かわしい事じゃ」って言われるから林のジジイは嫌いだ。ダンジョウノチュウって誰だよ、どっかの千葉のネズミかよとか思ったら、信行兄ちゃんのことだった。官職名で言われても分かんねーよ。
「いやあ。それにしても本日は良い天気でようござりましたな」
俺の隣で轡を並べているのは、熊こと柴田勝家だ。
戦国時代の馬は日本土着の馬だから、大きさはポニー程度でお腹がぽっこりしていて足が短い。時代劇に出てくるようなサラブレッドじゃないから、見た目はイマイチだ。でもサラブレッドは平地を駆けるのに向いてて、日本みたいな高低差のあるとこを走るのには向いてないって聞いたことがあるから、こういう山あり野ありの地形の場合は、この馬の方が向いてるんだろうな。
そんな馬に体の大きい熊が乗ってる図、っていうのは、カッコいいと思うより、馬がつぶれないか心配になる気持ちのほうが強いけどな。
前を行く信行兄ちゃんと、佐久間盛次はどっちかっていうと細身だからサマになってるな。
なんで佐久間盛次が信行兄ちゃんの隣にいるかっていうと、盛次の居城はこの先の御器所城で、そこに一泊してから熱田神社に向かうことになっているからなんだ。
馬だけで行くなら日帰りできる距離なんだけどね。さすがに駕籠に乗った母上たちや御坊がいるから、とってもゆっくりした道のりになるんだよ。
「うん。明日も天気だといいんだけどね」
「この陽気であれば大丈夫でござりましょう」
なんの根拠もなく太鼓判を押して熊が笑った。
「そういえば盛次殿のところへそれがしの姉が嫁いでおりましてな。昨年子が産まれたのですが、しばらく会っておりませんので、会うのが楽しみでござります」
「勝家殿の姉上がですか?」
「さようでござる。それがしに似ず、美人と評判の姉でござった。子の理介も姉に似て、たいそうかわいらしい子でありましたぞ」
熊の姉が美人だって? 本当かなぁ?
実はそっくりだったりしてね。でもって子供は子熊。あ、子熊は可愛いっぽいな。
「ふーん。じゃあ、市姉さまよりも綺麗?」
「おっ、お市さまと比べましたら、それはもう月とスッポンでござるよ」
だよねー。
さすがに戦国一の美人の市姉さまに勝てる人はいないよね。
それにしても熊のこの慌てぶり。
最近ますます市姉さまが綺麗になってるから、母上より市姉さまに目がいってるみたいだ。母上みたいな性格の悪い女を好きになるよりは他の女性に目を向けたほうがいいよって思うけど、それが市姉さまとなると、うーん。熊の好きな相手が市姉さまと犬姉さま以外だったら、俺も応援してあげるんだけどなぁ。
でも熊って、史実ではずーーーーーっと市ねえさまを思ってたんだよな。
歴史オタクの山田は六十歳でやっと童貞卒業して戦国一の美人と結婚できたんだぞ、とか言ってたけど、一応熊は死別した嫁がいるから童貞じゃないだろ。
でもずっと結婚してなかったのは事実っぽい。
将来、市姉さまが嫁ぐ浅井長政は、夫婦仲は良かったけど、信長兄上を裏切って滅ぼされる運命だ。
浅井長政と熊。
市姉さまにとって、どっちと結婚するのが幸せになるんだろう。
と、そこまで考えて気がついた。
いや、別に他にもっといい相手がいたら、そっちでもよくないか?
誰かいるかな。史実で早死にしてなくて、性格のいい相手。
犬、却下。
猿、却下。
狸、却下。
動物しかいないじゃん! 人間、人間で考えるんだ!
うーんうーんうーん。
ダメだ。この時代の人の名前が分からん。上杉謙信と武田信玄と今川義元と伊達政宗と、えーと、あとは誰がいたっけ?
前田慶次ってこの時代かな? あー。でもなー。カブイてるんだっけか。男から見たらかっこいいけど、結婚相手となるとどうなんだ?
いくら考えても、市姉さまにふさわしい相手は思いつかなかった。
この時代の桜天神社の規模がどれくらいかは分からないのですが、那古野城に初めてできた時は祠で、それから1537年に現在地に移転しているということなので、多少規模が大きくなって宮司さんもいるんじゃなかと想像しました。
それと、女性の外出は比較的自由だったとフロイスが書いています。でも信長は溺愛してた妹をあんまり外出させなかったんじゃないかなぁと思います。
ちなみに信行の妻の名前と熊の姉の名前は創作です。女性は名前が伝わっていないことが多いので、創作が多いと思います。
佐久間さんちの理介くん。熊の甥で、後の佐久間盛政。鬼玄蕃とか夜叉玄蕃とか呼ばれてたらしいです。どんだけ怖がられてるんだ。
林のジジイが信行を弾正忠と呼んでいるのは、実はアウトです。
この官職は、織田家の代々当主が受け継ぐ官職なので、本来は信長のものです。
信長の家は、織田家の中でも織田弾正忠家と呼ばれていましたから。
この当時は信行が信長を差し置いて勝手に名乗っていたと「信長公記」に書いてあります。
熱田神宮が神宮宣下を受けたのは明治元年なので、熱田神社の訂正しました。