68 食べ物の効用
いつ態度が豹変するか分からない黒リーダー滝川一益に怯えながら、俺はニラ玉を作った。混ぜたニラと卵をフライパンに落とし、適度に混ぜて形を整えたら器に盛る。その上に片栗粉を使って作った餡をのせれば、ニラ玉あんかけの出来上がりだ。
片栗粉は堅香子っていう花の、球根みたいなのから作られた粉だ。カタクリとも呼ばれてるから、すぐ片栗粉だって分かって良かったよ。堅香子は大和国の宇陀ってとこが名産だ。高級品だけど、さすがに織田家はお金持ちだからな。おいしくできたらご馳走するって約束して、信長兄上に買ってもらった。
持つべき者はお金持ちのお兄様だな。うむ。
「おお、これは旨そうですな」
滝川殿にそっとお皿を出せば、にこにこしながら受け取った。さっきまでの冷酷な雰囲気が嘘のような、好青年ぶりだ。
どっちが本当の滝川一益か分からないけど、とりあえず逆鱗さえ気を付ければ普通に接することができるのかもしれんね。
ちょっと安心した俺は、何が気に障ったのだろう、と考えて、忍者の話題が地雷なのかもしれないと思いいたった。
うん。滝川殿に忍者の話題はしないようにしよう。
「さすが喜六郎様は極楽浄土の食べ物をよくご存じですかなぁ」
「いえ。本当に拙い物で……」
最近は俺の作った見慣れない食事は、極楽浄土で食べられる物だって言われてるらしい。そんな大したもんじゃないんだけど、その噂があるおかげで、末森で卵料理を作ってもいいって信行兄ちゃんに許可してもらったから、俺は笑って誤魔化すことにしている。
嘘はついてないぞ、嘘は。
「勝家の義兄上がいらっしゃれば、天にも勝る気持ちだと喜びそうですなぁ」
「確かに」
うん。目に浮かぶようだ。うおーとか叫んで、こんなにも旨い物が極楽にはあるのですかー! って叫びそう。そして髭を卵でベタベタにするまでがデフォだ。
「義兄上には申し訳ないが、義兄上の不在のおかげでこうしてご相伴に預かれるのですからな。役得でございます」
「卵料理は滋養がたくさんあるので、織田の領民が皆食べれるようにしたいところです」
「ほう」
「色々な滋養の物を取れば、病にも罹りにくくなるのですよ」
疱瘡とか梅毒には効かないけど、風邪くらいならひきにくくなるだろうと思うんだよな。
それから結核も、多少は免疫が上がって罹りにくくなるんじゃないかな。この時代、栄養不足のせいか、結核になる人も多いんだよなぁ。
疱瘡は、天然痘か。あれは確か種痘をするんだっけか。牛痘になった牛の膿を接種して、それから天然痘の膿を接種するんだったか? それとも、牛痘になった牛のカサブタだったかな。
そもそも、牛痘になった牛を探さないといかんね。でも日本にいるのか?
というか、日本の医者って外科はともかく、内科はほとんど祈祷師に近いんだよな。外科は金瘡医っていう、刀・槍・弓矢・鉄砲なんかで怪我をした人の治療をする医者がいるから、まだマシなんだけど。
それでも傷口に馬糞を塗るとかっていう治療をするからな。俺も矢傷を負った時にされそうになったし。
あとは脚気か。あれは簡単だな。ビタミンB1が不足してるんだからな。確か白米が良くないんだよ。……って、あれ? 食べてるのは白米じゃなくて黒米だなぁ。黒米はセーフなのか?
いやでもこの時代の脚気は死病だよなぁ。
ってことは、米ばっかり食べてるのがいかんのかね。なんといっても一日五合も米を食べるからなぁ。
他に脚気に効く食材ってあったかな。確か……うーん。小豆なんていいんじゃなかったかな。それと豚肉。
いやちょっと待て。豚なんていないぞ。猪でも大丈夫なのか!?
うーん。医者がいるなら、色々と相談したいところだなぁ。でも医者も侍医も聞いたことないんだよな。
「滝川殿、つかぬことを伺いますが、尾張に良いお医者さまはいらっしゃいますか?」
「医者、ですか?」
ご飯の話から急に医者の話になって、滝川殿は目を見開いた。
あ、ごめん。俺の中では色々と考えていて、話題が繋がってるんだけどさ。急に違う話題になったら、なんだこりゃとか思うよな。
俺の悪い癖なんだよなぁ。
でもすまん。生まれ変わっても治らなかったんだ。慣れてくれ。
「そうですね。京になら医聖と呼ばれる方がいらっしゃいますが」
「医聖ですか」
おお、なんかすごく期待できそうな名前だ。
「曲直瀬道三殿ですな。やんごとなき方のご典医でいらっしゃいますよ」
やんごとなき方って……それ、帝じゃん! うわぁ。大物過ぎる。
京を支配下に置けるようになった頃ならともかく、まだ尾張一国の田舎大名に過ぎない織田家の、しかも部屋住みの八男が気軽に会える人じゃないなぁ。
できれば腕のいいお医者さんをゲットして、色々と臨床試験なんかをして欲しいところなんだが、見つかるのかな。
誰かいい人がおらんかね。
「それから諏訪に永田徳本という方がいらっしゃいますな」
諏訪……信濃国だから、武田信玄のお膝元か。
「粗末な庵に住まい、仕えていた信濃国の守護であられた武田信虎様が嫡子の武田晴信様に追放された後は、いくら武田晴信様に招聘されても頑なに断り続けているという、気骨の御仁という噂ですな」
ほう。
なんかいいな、その人。どうにかして、スカウトできないものかね。




