236 織田さんちの八女です? コミカライズ記念SS
コミカライズ決定しました!
詳細はまた後日、活動報告にてお知らせいたします。
最近の市姉さまと犬姉さまは、煎茶に凝っている。茶の湯と違って、気軽に飲めるから好きみたいだ。
この時代で名高い茶人は利休を筆頭に男だけだから、茶の湯は男だけの文化かと思ってたんだけど、実際は女性も茶の湯を楽しんでいた。ただ、男は男だけの茶会、女は女だけの茶会を開いてるらしい。
それに、茶の湯を教えられる人自体がまだ少ないから、そこまで普及はしてないみたいだな。
でも織田家は俺の父上が茶の湯をたしなんでたから、信長兄上も信行兄ちゃんも市姉さまも犬姉さまも茶の湯を習ってるんだ。
なぜか俺は習ってなかったけど。
まあ習い始める年頃には父上が亡くなっちゃってたし、母上はそれほど茶の湯に興味がなかったからな。仕方がないんだけど。
信長兄上の正室である濃姫も、道三があらゆる教養を身につけさせたっていう噂通り、お嫁にくるまでは京から一流の茶人を招いて教わっていたらしい。
だから濃姫と市姉さまと犬姉さまは、たまに女だけの茶会なんてものを開いてるんだって。
いつの時代も女性たちのお茶会ってあんまり変わらないんだろうなぁ。恋バナとかするのかな。ちょっと覗いてみたいような気もするな。
なんてことを、うっかり呟いてしまったのがいけないんだろうか。
今の俺は、人生最大のピンチに襲われていた。
「いいいい犬姉さま!? 一体何をお持ちなのですかっ」
「ほほほ。今、女だけの茶会に参加したいと言ったではありませんの。こんなこともあろうかと、喜六にとても良く似合う着物を用意しておりましたのよ。きっとこれを着れば、茶会に参加した気分になれるのではないかしら」
にっこり微笑む犬姉さまの手には、綺麗な山吹色の着物がある。――ただし、女物の。
「確かに言いましたけど、そのような着物を着なければいけないのなら出たくはありません。第一、私は男ですよ? 女物の着物など、似合うはずがないではありませんか!」
「大丈夫ですよ。喜六ならば、絶対に似合いますとも」
だから、似合うか似合わないかじゃなくて、俺は男だから女装なんてしたくないんですってば!
犬姉さま、だからちゃんと俺の話を聞いてくださいよ!
「ねえ、市姉さまもそう思われるでしょう?」
「え……ええ。でも、犬。喜六は嫌がっているのではないの?」
「照れているだけですわ、市姉さま。それに、わらわは常々妹が欲しいと思っておりましたの。もちろん弟である喜六も可愛いと思いますが、こうして妹と揃いの着物を着て茶会をするのが夢だったのです。……三十郎も男子でしたし。だから……ね?」
だから、じゃないですよ!
にこにこしたってダメなものはダメです。却下します。
大体、普段はおっとりして大人しいのに、どうしていきなりそんなグイグイ迫って来るんですか。俺が女装したって、何もおもしろいことはありませんよ?
じりじりと下がる俺に対して、にっこりと微笑んだ犬姉さまが一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
ひいいいいい。こっち来ないでくださいいいいいいいい。
ほんと、ちょっと待って! どうして袴の紐を解こうとするんですか!?
市姉さまも「仲が良くてよろしいこと」とか言って頬に手を当ててないで、助けてください!
壁のところまで追いつめられた俺に迫ってくる犬姉さまは、桃色に牡丹の花が描かれた着物を着ている。市姉さまは同じ柄で赤い色の着物だ。
そして犬姉さまが持っている山吹色の着物にも、小さく牡丹の花が描かれている。
ワー、ホントダ。三人デ、オ揃イダー。
――なんて、思うわけがないでしょう!?
誰かっ。誰か助けてえええぇぇぇぇ!
涙目で犬姉さまのつきつけてくる着物から目を逸らしていると、ちょうど救いの主が通りがかってくれた。俺の頼もしいお兄様、信行兄ちゃんだ。
「信行兄上! 助けてください!」
「……そなたたち、何を騒いでおるのか」
呆れたように言う信行兄ちゃんに、俺はさっとしがみついた。
きっと真面目な信行兄ちゃんは、いたいけな弟にそんな無体な事をするんじゃないって怒ってくれるって信じてる。信じてるから――だから、助けてぇぇぇぇ。
「まあ。信行兄さまも、お揃いの着物をお召しになりますか?」
「――は?」
え、犬姉さま、突然何を言いだすんだよ。信行兄ちゃんにも女装させる気か!? そんなの似合うわけ……。
いや、うちの兄弟って美形揃いだからなぁ。案外いけるのかも……。
いやいやいやいや。ない、ないから!
そうだ。ここは一つ、信行兄ちゃんを俺の身代わりとして差しだそう。
そう決心して口を開こうとしたら、信行兄ちゃんの真剣な声が頭の上から聞こえた。
「喜六。ああなった犬は誰にも止められぬ。……耐えよ」
「ええっ」
信行兄ちゃん、なんでそんな悟りを開いたような顔してるんだ。俺の身代わりにならなくてもいいから、一緒に戦おうよ。
――ちょっと待ってくれ。なんで目を逸らすんだ。いつもの頼りになる信行兄ちゃんはどこ行ったんだよ。
「すまぬ。私は急用があってな。……三人でゆっくりするといい」
ええっ。ひどいよ、信行兄ちゃん。俺の事見捨てちゃうのか!? どうしてそこで【三人】を強調するんだ。普通は信行兄ちゃんも入れて四人って言うべきところだろう。
「信行兄上。お待ちください。信行兄上!」
見捨てないでえええぇぇぇぇ。
俺の叫びもむなしく、信行兄ちゃんは俺をべりっと引きはがすと、犬姉さまに預けた。そして振り返らずに立ち去ってしまう。
うわぁぁぁぁぁん。信行兄ちゃん、かむばあああぁぁあっく。
「さあ、喜六。お揃いの着物でお茶を飲みましょう?」
にっこりと微笑みながら、犬姉さまが迫ってくる。その後ろでは困った顔で微笑みながら、止めようとはしない市姉さまの姿が。
そして――
しくしくしく。
神様、俺が何をしたって言うんですか。
俺は今、女物の衣装を着て、姉さまたちと一緒にお茶を飲んでいる。おしろいとか口紅とか、嬉々とした犬姉さまに、しっかりと化粧までさせられた。
うえええええん。
もうお婿に行けない。
「市姉さま、ほら、とても可愛らしい女童だとは思いませんこと?」
「ええ……。でも喜六は嫌がっているのではないのかしら?」
「ですから照れているだけですわ。ねえ、喜六?」
犬姉さまに、にこにこと邪気のない顔で問いかけられて、とてもじゃないけど嫌ですなんて正直に言えない。いや、言ってもいいんだろうけどさ。そうすると、この素敵な笑顔が曇るって考えると躊躇するんだよな。
シスコンと言わば言え。俺にとっては市姉さまも犬姉さまも、泣かしたくない女性のトップなんだよ。
でもだからと言って、女装大好きです、なんて嘘もつきたくない。そこは男として断固拒否する。
そこで俺は、答えなくても済むように、煎茶の横にそえられた、お茶請けの焼き栗をつまんだ。
この時代ではまだ砂糖が流通してないから、当然お茶請けに甘い和菓子は出ない。大体、焼いたお麩とか焼き栗、干し柿なんかを一緒に出すことが多い。シイタケをみそで炊いたものが出ることもあるな。
そういえばお茶請けって、なんで【受け】じゃなくて【請け】なのか疑問だったんだけど、この間、月谷和尚様に聞いてその謎が解明された。
【請ける】って字にはもちろん【受ける】って意味があるんだけど、それと同時に【支える】っていう意味もあるんだって。それで「お茶を引き立てる」っていう意味で、【お茶請け】って言われてるんだとか。
へ~。なんだか深い話だね~。
「そういえばわらわたちが子供の頃、信長兄さまもこうして一緒にお茶会をしてくださいましたわねぇ」
お茶を飲んだ市姉さまが懐かしそうに目を細める。
「……もしかして、信長兄上もこのような格好をなさったのですか?」
「ええ。信長兄さまは、楽しいことがお好きでいらっしゃるから」
「信行兄さまは付き合ってくださらなかったですけれど。でもこうして喜六が一緒に茶会を楽しんでくれれば良いですわね。まるであの時と同じ、三姉妹のよう」
ね、と、美少女二人が頷き合って微笑む姿は美しい。
でも、そうか。そうだったのか。俺が女装するはめになったのは。
信長兄上のせいだったのかぁぁぁぁぁ!
むっきー!
三姉妹のようとか何だよ!
大体、信長兄上みたいな精悍な顔で女装したって似合うわけないじゃないか。……似合わないよ、な? んん? でも案外いけるのか?
元々織田家は美形の一族だからな。普段はあの鋭い眼光に目がいっちゃうけど、顔立ち自体はとっても端正で化粧映えもしそうだ。とすると、エキゾチックな美人に変身しちゃったりなんかして。
でも中身は信長兄上なんだよなぁ。いくら美人でも中身が兄上じゃ……。
そ、それに、信長兄上がそんなことするから、犬姉さまに変なスイッチが入っちゃったんじゃないか。だったら責任取って、ずっと信長兄上が女装すればいいんだ。
そうだそうだ。それが一番だ。
いつか絶対に信長兄上にも女装させてやるぞ!
俺はそう決意して、少しぬるくなったお茶を飲んだ。
こちらは書店特典用に書いたお話となります。




