233 閑話・千秋季忠 神職
なぜ私は武家の家に生まれなかったのだろうかと、何度嘆いたかしれない。
雪の降る凍える夜に、薄着で水を被り潔斎をした。寒さのあまりに唇が震え祝詞を間違えると、容赦のない叱責がきた。
もっと神仏を身近に感じろと言われても、感じられないものは仕方がない。
しかもそれに加えて武道の鍛錬までもが日課となる。
父は熱田神社の大宮司でありながら、武士として織田信秀様に仕えていたのだ。
宮司がなぜ武士の真似事などするのかと問えば、祈りだけでは民は救えぬと返ってきた。信秀様に恭順の意を示し、従う事で熱田の民は安寧を得ているのだと。
だが、祈りだけで民が救えぬのなら、そんなものは必要ないのではないか。
そう食って掛かると、普段は厳しい父が、どこか困った顔をしていたのを覚えている。
その日から、私は日々の務めより武の鍛錬に精を出すようになった。
それも私が嫡男ではなかったから許されたことだったのだろう。
だが私が十の年に父が討ち死にし、その四年後に大宮司の職を継いだ兄の季直までもが、小豆坂の戦いに行って戻ってはこなかった。
兄は体が大きく武骨な私とは違って、線の細い、輪無唐草紋の黒袍が良く似合う人だった。いつも穏やかで思慮深く、兄の唱える祝詞は聞く者たちに感銘を与えていた。
まさに神職となるべく生まれた人だった。
なのに、神仏の加護なく、戦場の露と果てた。
この世とは、なんと無常なことであろう。
そして神仏の、なんと無慈悲なことか。
そんな時に、私は信長様に出会った。
「神仏など本当にいるかどうか分かるものか。俺が信じるのはこの身一つ。もしこの俺に神威を感じさせる者がいたなら、その時には俺も神仏を信じるかもしれんな」
幼少の折りより共に学び遊んだ信長様は、普段の言動から大うつけと呼ばれていたが、私から見れば聡明で人の心の機微に敏感な方であった。
その頃の信長様は、当時の私のような次男や三男ばかりを集め、毎日のように野山を駆け、相撲を取っていた。
一度、なぜ格式高い家の嫡男と誼を結ばないのかと聞いてみると、嫡男には継ぐべき家があるが、次男三男であれば部屋住みと呼ばれ肩身の狭い暮らしをすることになるしかない。そんな彼らを優遇すれば、いずれ長じて、自分に忠実な家臣となるだろうと答えた。
私はその先見の明に感銘を受け、信長様を生涯唯一の主君と定め、お仕えしてきた。
そんな信長様が変わっていったのは、いつの頃からだっただろうか。
神仏などいるものかとおっしゃっていたのに、あの日を境に、畏敬の念を抱くようになっていたのだ。
これには私も驚いた。
そう。あれは……信長様が弟の信行様と対立して、稲生で戦いになった後のことだろうか。突然熱田を訪れた信長様が、私に驚くべきことを伝えたのだ。
「建御雷神が顕現したぞ」
「なんと、まことにござりますか!?」
「これを見よ」
信長様は何やら鉄の塊のような物を懐から出した。
「玉鋼でござりますか?」
「いや。槍頭だ」
「これが?」
そこにあったのはどう見ても刀にする前の玉鋼のような不格好な鉄の固まりで、槍の先につける槍頭には到底見えない。
「喜六がな――林通具の専横を許すな、天誅を与えよ――と叫ぶと、槍を構えた通具ただ一人に、天より建御雷神が天罰の雷を下したのだ」
林通具は信行様をそそのかして謀反を起こそうと企んだ輩だ。稲生にて戦いはしたが、林通具は討ち死に、信行様は反省して僧籍に入られたとお聞きしていた。
「おお、そのような事が……」
これが信長様の口から聞いたことでなければ嘘だと思っただろうが、あれほど奇跡や神仏を否定していた信長様のいう事だけに、それは真の事なのであろう。
神の御力が本当に顕現したのか――。
私もその場にいたかったと切実に思う。
そうすればこの胸の餓えは癒えたのであろうか……。
「喜六郎様は、確か守山の者に矢で射かけられて九死に一生を得たのでございましたか?」
「うむ。そこで、胡蝶の夢を見たらしい」
「胡蝶の夢!?」
胡蝶の夢というのは荘子の説話の一つで、ある男が夢の中で蝶となって飛ぶ夢を見たが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、と問いかける話だ。
どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れそれぞれの場で満足して生きればよいという、荘子の思想が最も表れている説話であろう。
「以前と比べて人が変わったなどと言う者もおるが、俺に言わせれば多少難しい事を言うようになったくらいで、相変わらずどこか抜けておるのは変わらぬ」
「殿は昔から可愛がっておいででしたしね」
「……たわけたことを言うな」
顔を逸らす信長様の横顔がほんのわずかに照れているのを、長い年月を共に過ごした私が見逃すことはなかった。
このお話は桶狭間の戦いへと繋がっていきます。




