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信長公弟記~織田さんちの八男です~【コミックス6巻】発売中  作者: 彩戸ゆめ
永禄三年

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225/237

225 約束

 五月十七日。

 いよいよ今川義元が三河の知立(ちりゅう)城に到着したとの一報が届いた。あと一日もすれば、尾張に攻め入ってくるだろう。


 尾張で諸将の使いが行き交う中、ついに信長兄上は家臣たちへ清須への出仕を命じた。

 でも『出陣』ではなく『出仕』ということだからな。俺は心置きなく美和ちゃんとの別れを惜しむことにした。


 だって……あんまりそんな事は考えたくはないけど、これが最後になるかもしれないから、さ……。


「では行って参ります」

「信喜様……どうか、ご無事で」

「美和にもらったお守りがありますからね。きっと私を守ってくれることでしょう」


 今日の美和ちゃんの着物は暗い藍色だ。戦の時にそんな暗い色合いなんて不吉だって思われるかもしれんけど、実はこの藍色、勝ち色とも呼ばれて縁起の良い色なんだ。

 布に藍色を染みこませるために布を叩くことを『(かつ)』って言うんだが、そこから『搗色』になって『勝つ色』って呼ばれるようになったわけだな。


 そして俺がもらったお守りも藍染めの布で作られていた。美和ちゃんの着物とお揃いの生地で、襟元に縫いこんである。


「ご武運を、お祈り申し上げます」


 両手を合わせて目を潤ませている美和ちゃんに、胸が熱くなる。


 必ず生きて戻ってくるから。

 だからその時は、笑顔で迎えて欲しい。


「立ち別れ、はざまの山の、峰に生ふる、まつとし聞かば今帰り来む」


 あなたとお別れして私ははざま山へ行きますが、そのはざま山に生えている松のようにあなたが「待つ」と言ってくださるのなら、ただちに戻ってきましょう、って意味だ。


 元は百人一首の十六番で中納言行平の【立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む】って歌で、行平が因幡の国、つまり現在の鳥取県の国司として任命されて出発する時に、恋人へ別れを惜しんで詠んだ歌だな。


 でも俺が行くのは因幡の国じゃないからな。桶狭間のはざま山に変えてみた。


 あんまり歌は得意じゃないから、歌がるたを作った時に覚えた歌を少し変えて、今の俺の気持ちを伝えてみた。でも気持ちだけはこめているから、許してほしい。


「ありつつも、君をば待たむ、打ちなびく、わが黒髪に霜の置くまでに」


 美和ちゃんの返歌は……確か万葉集の歌だったかな。「私の黒髪が白髪になるまで、あなたをずっとお待ちしております」って意味の歌だ。


 美和ちゃん……。ありがとう。


 そして俺は、したためていた一通の(ふみ)を差し出す。


「私の身にもしものことがあった時は読んで下さい」


 美和ちゃんは差し出した文を受け取ると、首を二回横に振る。


「これは預かっておきます。だから必ず戻ってきてくださいね」


 俺は少し微笑むとこくりと頷く。


「分かりました。約束します」


 その柔らかい体をそっと抱きしめる。


 凄く好きで大切で。

 もし俺が死んでしまっても幸せになって欲しいと思うけど。

 でもやっぱり、俺のいないところで幸せになって欲しくないって思うのは、きっと俺のワガママなんだろうな。


 だけど、俺が君を幸せにしたいんだ。

 俺の、この手で。






 部屋の外にはタロとジロが控えていた。

 その向こうには鵜飼殿もいる。


「――行きましょうか」


 出仕とはいえ、これから戦が始まるのは明らかだ。だから鎧兜を身につけて清須へ向かう。乗る馬はいつもの花子だ。


 門から出る時に、美和ちゃんの姿を探す。その横には留守を頼んだ僧侶姿の信行兄ちゃんがいて、俺にしっかり頷いてくれる。


 信長兄上と家督を争った信行兄ちゃんだけど、こうして留守を任せられるほど信長兄上から信頼されるようになったことが、ただただ嬉しい。


 信行兄ちゃん――龍泉寺城は、美和ちゃんは任せたからな!


「これより清須へ参る!」

「おう!」


 俺と一緒に清須に行くのは、わずか五十名ほどだ。残りは千秋殿の協力により、既に熱田へ向かわせ、そこで待機させている。

 桶狭間の戦いでは信長兄上が熱田で戦勝祈願をしてから出陣するはずだからな。


 清須に到着して評定の間に向かうと、そこには多くの家臣が集まっていた。俺の姿を認めて、ざわめいていた部屋が一斉に静まる。


 信長兄上はまだ姿を見せていないようだった。


 異様な雰囲気の中、家臣たちに注目されながら信長兄上が座る左側に腰を下ろした。俺は居並ぶ家臣たちの中に熊の姿を認め、声をかける。


「勝家殿。信長兄上は?」

「はっ。まだお見えになっておりません」

「そうですか」


 その会話をきっかけに、評定の間が喧騒に包まれる。


「信喜様、今川はもう知立城にまで迫っているというではないか。殿は一体何をしていらっしゃるのか!」

「そうじゃそうじゃ! このまま進めば大高城を目指すは必至。それなのに未だ出陣の支度をせぬとは、いかなるお考えであろうか」

「もしや丸根砦を見捨てるおつもりではあるまいな」

「ということは籠城か? 確かに籠城すればしばらくはもつであろうが、援軍が来ないのでは……」

「六角殿がいるではないか。もしや援軍の約束でも――」

「いやいや、丸根砦を守る佐久間盛重殿は織田の重臣。まさか見捨てるなどということはあるまい」

「だがあの大うつけのことじゃ。何を考えているか分からぬぞ」


 段々と信長兄上への不満が溜まっていくのに耐えきれず、俺は一喝した。


「黙りなさい! 尾張の一大事であるというのに、あなたたち何を騒いでいるのですか。ここは信長兄上のお考えに従い、支えるのが臣としての務めでしょう!」

「しかしながら信喜様。主君が道を誤ったならば、それを正すのもまた忠臣でありましょう」


 そう、したり顔で言うのは林秀貞だ。あの稲生の戦いで信長兄上と戦って死んだ林のジジイの兄に当たる男で、かろうじて謀反の疑いを免れたものの、信長兄上にこき使われているんだよな。


「――なるほど。信長兄上の傅役であった平手政秀殿のようにですか? よく分かりました。かの方のように一命を賭してまでの覚悟があるというのであれば、好きになさい」


 きっぱりと言うと、さすがの林秀貞も口をつぐんだ。


 まったく。どいつもこいつも目先のことしか考えてないんだからな。

 とは言え――確かに、みんなが不安に思うのも無理はない。


 信長兄上も籠城するか攻めて出るのか、はっきり言ってくれればいいんだけど。


 ため息をつきながら入口を見ると、いつの間にかそこには信長兄上が立っていた。これから戦に出るとは思えない、普段と同じ狩衣の姿だ。


 家臣たちがざわめく中、信長兄上は一切表情を出さずにその中を進んだ。そして俺の横にどっかりと腰を下ろす。


「これより軍議を行う。みな、それぞれの考えを述べよ」


 それは、これから始まる、長い長い一日の始まりを告げる言葉だった。




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