222 駄犬たまに忠犬!?
翌日になると、いよいよ家中に義元出陣の噂が流れ始めた。その噂が真実なのかどうかを知るため、龍泉寺城にひっきりなしに使者が訪れてくる。
「まったく。どうして信長兄上ではなく私に聞くのでしょうね」
次から次に送られてくる手紙の返事を代筆させながら、俺はその横で花押、つまり現代で言うサインをするのに専念する。こんな事もあろうかとハンコを作っておいて良かったな。これなら一枚ずつ名前を書く必要がなくて、朱肉につけて押すだけだから簡単だ。
俺が使ってる朱肉は、丹っていう赤色の顔料と油を練り合わせて、乾燥させたヨモギの葉などに混ぜて作られたものだ。たまに混ぜないと腐るから、注意しないといかん。
信長兄上も花押を書くより便利だってことで、今ではすっかりハンコ派だ。
「聞き方を間違えると、殿の勘気をこうむるからでございましょうねぇ」
確かにそうだけど、これから戦が始まるっていうのに、どうして俺はこんなところで手紙の返事に追われなくちゃいかんのだ。
戦でもしものことがあったら、美和ちゃんとは今生の別れになるんだぞ!
せっかく信長兄上がいつから出陣だっていうのを公言してないおかげで、出陣三日前から女人禁制のルールが適用されないんだから、ギリギリまで別れを惜しまさせてくれよ。
「それにしても、ここまで多いと返事だけでも大変です」
「それだけ信喜様を頼りにしていらっしゃるのでしょう。ところで信喜様、この文の返事はいかがいたしまするか?」
「返事は全て同じで構いません。下知がくだされ次第すぐに出陣すべく、万全の用意をしておくようにと書いてください」
そう指示を出してハンコを押していると、龍泉寺城の事務方トップである武藤舜秀が部屋に入ってきた。
「信喜様。恐れ入りますが、こちらをご覧ください」
そして何やら分厚い手紙を渡される。
なんだこの厚さは。もしかしてお経でも書いてあるのか?
「これは?」
「前田利家様からの書状でございますが、いかがいたしましょう」
「前田殿の」
渡された手紙を読んでみると、信長兄上の勘気はまだ解かれないのかとか、いかに自分は信長兄上に忠誠を誓っているのかとか、そんな事が延々と書かれた手紙だった。
――長すぎる。
そして前田利家の信長兄上への愛が重い。
一番最後の方に、自分もこの戦に参戦したいので、もう一度信長兄上に口添えをしてくれないかというお願いが書いてあった。
これが本題なら、もっと短く書いてくればいいじゃないか。前置きが長すぎるよ!
それにしても。
う~ん。利家わんこは信長兄上に放逐されて野良だったのを俺が拾って武者修行に出したわけだから、俺にも飼い主の責任の一端はあるんだよなぁ。
さて、どうしたものか。
俺は腕組みをして、目を閉じる。
駄犬呼ばわりされているものの、利家の強さはお墨つきだからな。ちょっと前に、そろそろ許してあげてもいいんじゃないかと思って、一度信長兄上に呼び戻すのを提案してみたことがあるんだけど……あっさりと却下された。
確かに腕は立っても、揉め事ばっかり起こすヤツだからなぁ。龍泉寺城で預かってた時だって、何度トラブルを起こした事か。それを思えば、信長兄上が頷かないのも分かる。
でも桶狭間ではギリギリの戦いになるはずだから、戦力は少しでも増えた方がいい。
だったら俺の隊に入って参戦するかどうか聞いてみるか。うむ。
その旨を書いて渡すと、武藤くんが安堵する。
「助かりました。前田様は信喜様から返事を頂くまではここを動かぬと言って、門の真ん中に座り込んでいらっしゃるので大変困っておりました」
相変わらずの駄犬っぷりだな。武者修行に行っても、まったく変わってないじゃないか。
だが考えようによっては忠犬か? 敵から見たら狂犬かもしれんけど。
「戦支度もあるでしょうから、一貫ほど渡しておきなさい」
「はっ。承知いたしました」
そう言って武藤くんが部屋を出た後、しばらく他の手紙の返事を書く。そろそろ終わりかなと思った頃、また武藤くんが疲れたような顔をして戻ってきた。
「申し訳ありませぬ」
いきなり平伏する武藤くんに、俺の方がびっくりする。
どうした!?
また何か駄犬がやらかしたのか!?
「何があったのですか」
「前田様が、自分は殿に直接仕えるゆえ、信喜様の下にはつかぬとおっしゃいまして――」
そこで武藤くんは言葉を濁した。だが先を促すと、低い声で申し訳なさそうに話を続ける。
「金だけ奪って逃走いたしました」
おぉい!
ちょっと待てぃ。
これから桶狭間の戦いが始まるっていうのに、あの駄犬、何やってんだよぉぉぉ!
お待たせしました。
書籍情報が解禁になりました。
宝島社さんから5月26日(土曜日)に発売となります!
アマゾンではもう予約ページがありますので、ぜひよろしくお願いします。
また、拙作の
「ちびっこ賢者 LV1から異世界でがんばります!」
も書籍化が決定いたしました。
こちらは改訂版を改めてUPする予定でおりますので
詳細含め、もうしばらくお待ちください。




