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信長公弟記~織田さんちの八男です~【コミックス6巻】発売中  作者: 彩戸ゆめ
永禄三年

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221 礎

 永禄三年、五月十五日。

 ついに今川義元が出陣したという一報が知らされた。


 信長兄上の抱える饗談と、鵜飼殿の一族である甲賀忍者の両方からもたらされた知らせは、まだごく一部の者しか知らない。信長兄上がその情報を明らかにしていないからだ。


 いよいよ、桶狭間の戦いが始まるのか――。


 正直言って、怖い。

 おそらく織田、今川両軍に大勢の死者が出るだろう。


 その中で、果たして俺は、生き残れるのだろうか。


 信長兄上から出陣の要請はまだない。歴史通りなら、当日にならないと戦支度すらしないはずだ。

 でも、信長兄上の突然の出陣に慣れた織田軍は、速やかに軍勢を整えるだろう。品野城の戦いの時も、今思えば今川との戦いに向けた練習だったのかもしれんな。


「信喜様」


 どうにも落ち着かなくて部屋の中をウロウロしていると、美和ちゃんが俺を呼びにきた。


「どうしましたか?」

「あの、義父様がおいでになりました」

「千秋殿が?」


 え、でも千秋殿って激戦地になりそうな氷上砦(ひかみとりで)を守ってるんだよな。今川が攻めて来るっていうこの時に、こんなとこに来てていいのか!?


 確かに義元が出陣したっていうのはまだ知らされてないけど、それでも今川の大軍が来ることは知ってるはずだ。


 もしかして、何か大変な事でも起こったんだろうか。


 俺は急いで、今日の護衛を務めてくれているジロと一緒に小書院と呼ばれる対面所へと向かう。ここはちょっと離れっぽくなっていて、誰かが来た時にまず最初に通す。まあ応接室みたいなもんだな。


 信長兄上なんかは、勝手に俺の部屋まで入ってくるけど。まあ、信長兄上だから、仕方がない。


「千秋殿、どうなさいましたか?」


 部屋に入ると千秋殿がくつろいでいた。


 って、これから戦が始まるのに、何を悠長にくつろいでるんだよ。そんな場合じゃないだろうに。

 信長兄上といい千秋殿といい、主従揃ってフリーダムすぎるんじゃないか!?


「おお。信喜殿。実は少々頼みがあってな。例の清酒を少し分けてもらえまいか。士気を高めるために、勝てば清酒をくれてやるぞと兵どもに発破をかけようかと思いましてな」


 グリズリーみたいな大男だけど、千秋殿は笑うと頬にえくぼができて、結構愛嬌がある。ただ、どこからどう見ても神職の人には見えないけど。


「構いませんが……大丈夫なのですか? このような時にこちらにいらして」


 だっていつ今川の兵がやってくるか分からないんだぞ?

 砦に詰めてないとダメなんじゃないのか?


「もっともな話ではあるが、砦を守る者たちが急遽(きゅうきょ)、殿に呼ばれてな。いやはや。殿らしいことではあるのだが」


 豪快に笑う千秋殿に、俺は首を傾げる。

 信長兄上が千秋殿を呼んだ? 一体、何のために?


 俺が不思議そうな顔をしているのに気がついたんだろう。千秋殿はふっと目を細めた。


「お役目を授かりましてな。こたびの戦は織田の行く末を決める戦でござりますゆえ、励めと尻を叩かれもうした」

「お役目ですか。その……どのようなお役目か、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 俺がそう聞くと、千秋殿は手を軽く顔の前で振った。


「たいした事ではござらぬよ。おそらく今川は大高城の後詰に参るであろうゆえ、殿の出陣までの間、囮となって今川の兵を()()りまで引きつけておけと仰せでしたな」

「そうですか……」


 俺は桶狭間の戦いの事をあんまり知らないんだよな。確か敦盛を歌って舞って、それから熱田神宮に供回りだけ連れて馬で駆けて、戦勝祈願する。そして……


 そうだ。砦が焼け落ちる煙を見るんじゃなかったっけ。その後、奇襲するんだよ。


 ってことは、砦が落ちるのか!?

 どこだ。どの砦だ!?


「もし……もしもの話ではございますが、持ちこたえられないと判断した場合は、どうなさるのですか?」

「殿には、織田は今川に比べて兵力が少ないのだから無駄死にをして兵数を減らすなと、まあ、いつもの調子で言われました」


 そう言って千秋殿はカラカラと笑った。


 そうか。それなら最終的には砦を捨てて本隊に合流すればいいってことだな。

 なるほど。一度相手に勝ったと思わせて油断させるってわけか。確かにそれくらいの策を練らないと、あの大軍に対抗はできないだろう。

 さすが信長兄上だ。


「千秋殿はもうじきお子が生まれることですし、無事にお戻りくださいね」


 千秋殿の所はなかなか子供ができなくて、この間ついに奥方が身籠ったと嬉しそうに報告してくれたんだ。だから父親として、せめて子供の顔くらいは見たいだろうと思う。


「そうですなぁ。しかし、戦となれば何が起こるか分からぬもの。……それがしはな、ずっと武士として在りたいと思っておったのですよ。父のように戦場で勇ましくありたいと」


 千秋殿の父の千秋季光も熱田神社の大宮司だったけど、武士として父上に付き従って、あの斉藤道三との戦いで亡くなった方だ。

 俺が生まれる前に亡くなったからどんな人かは知らないけど、熊が言うには、千秋殿にそっくりの人だったらしい。つまり、グリズリー系だったってことだ。


「宮司の修業は、なかなか厳しいものでしてな。真冬でも潔斎の為に水をかぶり、凍えるような神殿で祈祷いたすのです。それもまた、民の為と思えば耐えられましょうが、祈れども祈れども、民の嘆きは途切れませぬ」


 まあ、そうだよな。神様がいるとしたら、なぜこんな戦乱の世の中になってるんだって思うもんな。

 でもそれって、この時代ではかなり異端だぞ? 熱田神社の大宮司がそんなこと言っていいのか?


「亡き父は、祈りが神仏に届かぬならば、武でもって民を救おうと、そう考えたのですな。それがしも父のようになりたいと、そう思っておりましたが」


 そこで言葉を切った千秋殿は、俺をじっと見つめた。


「このところの尾張の様子を見ると、やはり神仏はおられたのだと、そう確信いたしました」


 いや、別に俺は神仏の遣いとかじゃないからな? 奇跡も起こせないんだから、そんな期待するような目で見ないでくれよ。

 前世の知識でちょっとばかり生活は豊かになったとは思うけど、戦をなくすなんてことは俺にはできないんだぞ。


 この戦乱の世を収めるのは、俺じゃなくて信長兄上だからな。


「であるならば、それがしは一体どんな役目を神仏から仰せつかったのであろうかと、久しぶりに問答いたしました」


 穏やかな瞳が俺を射抜く。

 一瞬、その姿が装束をまとった神職の姿に見えた。武人として鍛え上げられた厳つい体つきであっても、やはり、千秋殿の本質は神職なのであろう。


「答えは出ましたか?」


 俺が聞くと、千秋殿はゆっくりと頷いた。


(いしずえ)たれ、と」

「礎、ですか」


 その言葉の意味は深い。

 信長兄上を支える意味で使っているならいいんだが……いや、これ以上考えても仕方ないな。

 これから戦が始まるんだ。死を覚悟して挑まない男なんて、いるわけがない。


 それに俺だってこれからの戦いで生き残れるなんて保証はないからな。

 後世で名前の残ってる、信長兄上、熊、藤吉郎、滝川リーダー、みっちゃんなんかは生き残れるだろうけど……そもそも、ここが俺の知ってる世界だっていう保証もないから、誰が生き残れるかなんて分からない。


「もっとも、こたびの戦で功績を上げて、褒美には浴びるほどの酒を所望する心持ちではありますがな」

「では私も、たくさんの酒を用意しておかなければなりませんね」

「よろしく頼みますぞ」


 再びカラカラと笑った千秋殿は、話している間に用意された酒を持って立ち上がった。

 その背中に、思わず声をかける。


「千秋殿――!」


 振り返る顔は、逆光で表情が見えない。


「信喜殿、共に、今川など押し返してくれましょう!」


 落ち着いた声に、少し安堵する。


「もちろんです。――では、千秋殿のご武運をお祈り申し上げます」

「それがしも、信喜殿のご武運を熱田の神々にお祈り申し上げましょう」


 背を向け去っていく千秋殿から、なぜか目を離すことができなかった。


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