219 閑話・海道一の弓取り その4 八龍
――永禄三年 五月十二日――
御屋形様に先んじて藤枝の町に着くと、松平元康殿が既に我らの到着を待っていた。十八の年にふさわしい、凛々しい武者ぶりだ。大高城への兵糧入れという難しい役目を与えられてはいるが、それに対する反発のようなものは見られなかった。
かといって、ことさらに媚びへつらう様子でもない。
まるで風に揺れる柳の様に、捉えどころのない若者である。
だがその境遇を考えれば無理もないことだろう。目立たぬように、今川の役に立つように。そのように息をひそめておらねば生きながらえなかったのだろうから。
その隣には一色信茂殿がいる。
一色殿の居城は藤枝より南にある徳之一色城である。儂の代わりに井伊殿と元康殿の目付の役目を負うため、こうして藤枝までやってきているのだ。
「松平殿。お待たせいたした」
「ご無事の到着、喜ばしく思います。これより我ら松平は、井伊殿、一色殿と共に、先鋒として来迎寺城、牛田城、知立城を落としに参ります。御屋形様にはよろしくお伝えいただきたく」
「あい分かった。井伊殿は、しばし休まれずとも大丈夫でござろうか」
藤枝から出発する松平殿、一色殿と違って、井伊殿は今川館から休みなく行軍している。少しは休みたいところであろう。
予定よりも早く藤枝に到着したことではあるし、一刻ほど休んでも良いのではないかと提案したが、井伊殿は一笑に付した。
「なんの。我が井伊の郎党は、これしきで参るようなやわな鍛え方はしておりませぬ。織田の城を落として、そこでゆっくり休むことにいたしまする」
「では、井伊殿が来迎寺城を落とすのであれば、それがしは知立城を落としましょう」
井伊殿に続けて元康殿がそう言うと、一色殿は呵々と笑った。
「となれば、残るは牛田城しかないではないか。あのような砦に毛の生えたような城、目をつぶっていても落とせるわい」
三河の来迎寺城は織田方、その近くにある牛田城と知立城は織田に組している水野の城だ。元康殿にとっては、母方の縁者となる。わざわざ水野の城を落とすと宣言することで、御屋形様への忠誠を示しているのだろう。
「それでは井伊、久野、松平は、これより掛川へ向かいまする。行くぞ、者ども!」
「おう!」
井伊殿の号令で、総勢七千の軍が一斉に行軍を始める。
なんと勇ましくも、荘厳な姿であろうか。御屋形様がご覧になれば、さぞかし満足されることであろう。
井伊殿の忠誠は、もはや疑うべくもないな。
御屋形様も、内々に、こたびの織田攻めで功績を上げればもう目付をつける必要もあるまいとおっしゃっておった事ではあるし、これでようやく井伊殿も今川の家臣として認められるという事か。
しかし……次代があれでは、信頼がおけぬ。
直盛殿の娘御は、許嫁が死んだと聞いて髪を下ろして仏門に入ったというのに、婿養子となるはずであった直親殿のほうは落ち延びた先で妻を娶るとは道義にもとるではないか。
御屋形様も、それを聞いて不快げに眉をひそめていらしたものだ。
だが、井伊殿の一族の直系に近い男子は、直親殿を残すのみ、か。
ふむ。
それならば、直親殿には早々に舞台を降りてもらうのも良いかもしれぬ。今はまだ子がおらぬゆえ、すぐという訳ではないが、男子が生まれた後は速やかにその子供が家督を継げば良い。
後見は、そうじゃな。井伊殿の娘の尼僧殿に任せてはどうだろう。あの一族は結束が固いし、直系の娘の後見であれば、一族としても納得するに相違ない。
御屋形様の母君である尼御台様も、夫君である紹僖公が早くに亡くなられて後は今川の政治を支えていらしたゆえ、尼御台様に少しだけでもお力添えいただければ、尼僧殿も後見のお役目を良く務める事ができるであろう。
井伊谷城に女城主の誕生か。――悪くない。
井伊殿の娘であれば、真面目で実直な性格であろう。ならば今川の色に染め上げるのも容易かろうて。
それもこれも、織田攻めで井伊殿が手柄を立て、直親殿に子が生まれてからの話にはなるが……一度、御屋形様に奏上してみても良いかもしれぬ。
それから数刻して、御屋形様が藤枝に到着なされた。
守護にしか許されておらぬ輿に乗り、街道沿いの民たちに手を振りながらゆったりとした笑みを浮かべている御屋形様は、まさしくこの戦乱の覇者となるべく風格がある。
今川の威光をあまねく知らしめるため、御屋形様は赤い生地に錦の刺繍を差した直垂をまとい、その上に純白の胸当てと具足をお召しになっておられる。そして頭には源氏ゆかりの龍の飾りをつけた八龍の兜をかぶり、腰には三尺八寸の松倉郷刀と一尺八寸の大左文字太刀を佩いている。
嗚呼、胸が震えるほどに素晴らしい武者振りである。
そしてまた、なんという威厳であろうか。
まさに天は、この日の本を正すべく、御屋形様をこの世にお遣わしになったのに違いない。
見よ。これが海道一の弓取りと呼ばれる、今川義元公じゃ。
我らが尊きお方、今川義元公じゃ。
いずれ御屋形様は日の本一の弓取りと呼ばれるようになることであろう。
そして日の本に住まう民は、一人残らず、御屋形様の威光にひれ伏すことになるのだ。
……いずれ、遠からぬうちに。
源氏八領という『保元物語』、『平治物語』などに記載された、清和源氏に代々伝えられたという八種の鎧には、源太が産衣、八龍、楯無、薄金、膝丸、沢瀉、月数、日数があります。
その中の八龍は全身に八匹の龍(八大龍王)の飾りが付けられた甲冑で、後世には鎧の代名詞的存在となり、龍の飾りをつけた甲冑はみな八龍と呼ばれることがあったそうです。




