215 新たなる絆
龍泉寺城に戻った俺は、護衛としてついてくれているタロに義秀殿の事を相談してみた。
「もし仮に義秀殿が毒を盛られていたとしたら、回復させる手段というのはあるのでしょうか?」
「確実ではござらぬが、同じような症状が軽くなった事はございます」
「どのようにすれば良いのでしょう?」
「大蒜を食しまする」
ニンニクかぁ。
ニンニクはオオビルって呼ばれて、お寺なんかでひっそりと栽培されていることが多い。龍泉寺でも栽培してたけど、坊さんたちが立ち退く時に痕跡を隠してたんだよな。
禅宗なんかだと山門の前に「不許葷酒入山門」――「葷酒、山門に入るを許さず」って書いた石碑を建てて、僧侶が五辛に当たる、ニラ・ネギ・ニンニク・ラッキョウ・ショウガなんかの辛味や臭味のある野菜を食べたり、酒を飲んだりするのを戒めているくらいだから、本当は食べちゃいけないんだよな。
特にニンニクは、強壮作用が煩悩を増長するから僧侶は絶対に食べちゃいけないって事になってる。
でも、ほとんどの寺ではこっそり食べてるみたいだな。むしろ比叡山なんかは堂々と食べてて、月谷和尚様が嘆かわしいって呆れてた。
そう考えると、こっそり食べてただけ、龍泉寺の僧侶たちはマシだったのかもしれん。
「大蒜は、確か薬草園で栽培していましたよね? そろそろ収穫の頃でしょうか」
「少し早いかもしれませんが、晴れが続いたので味は良いかと思いまする」
「雨が続くと味が悪くなるのですか?」
「雨の日や雨が続いた後などに収穫すると、味が落ちまする」
そう言ってタロが大蒜を根元から引っこ抜く。
土の上から出ている葉っぱは、ちょっとニラに似ているな。同じ系統の植物なのかもしれんね。
大蒜の球根の部分は、俺の良く知るニンニクそのものだった。良い感じに育っている。
でも、ニンニクをそのまま食べるのはキツイなぁ。肉料理の味つけに使うならともかく、凄く臭くて、食べられないんじゃないのか?
「このまま食すと悪臭がいたしますので、切らずに丸ごと熾火でじっくりと焼きまする」
「熾火というのは?」
「実際にご覧くだされ」
薬草園から出たタロは台所に近い中庭に行くと、薪を用意して火をつける。そして竹筒を吹いて火勢を強めた後、薪が炭化して火の勢いが治まり表面が白くなるまで待った。
「これが熾火でござる」
「なるほど」
次にタロは書き損じて捨てる予定だった和紙を、たっぷりの水で濡らした。そしてニンニクを濡らした和紙で包む。
「これを熾火の中に入れて、およそ四半刻ほど待ちまする」
四半刻ってことは、約30分か。
なんだか、ニンニクを焼くっていうより、焼き芋を焼いている気分だ。
焼き上がるまではタロと薬草の手入れをした。ついでに色々な薬草の効能なんかも聞いておく。やっぱり山伏をしていただけあって、色んな薬草の知識があるから凄いな。
焼き終わった頃に中庭に戻ると、タロは熾火の中から木の棒で黒く焦げた塊を取り出した。なんだか本当に焼き芋っぽいな。
「これを食すと、六角様と同じような症状が軽減したと伝え聞いております」
「味はどうでしょう?」
タロは焦げた紙をはがして焼けたニンニクを取り出した。予想に反して、ニンニクのあの匂いはほとんど感じられない。
俺はタロから手渡されたニンニクをふうふう言いながら食べてみる。
ホクホクしていて、まるで焼き芋を食べているみたいだ。
これなら普通に食べられるから、体調不良に効きますよって勧めても大丈夫そうだな。うむ。
早速、義秀殿にニンニクを勧めて食べてもらった。タロによるとかなりの量を食べないと毒が抜けないらしいから、せっせと焼きニンニクを作っては食べてもらっている。
汗もよくかくようになったから、それも少しは毒素を排出する助けになるのかもしれない。
最近では、あのどす黒かった顔色が少し良くなって、ちょっと具合の悪そうな人くらいの顔色になってきた。
「そういえば義秀殿は槍の名手とお聞きしました。いつかご指導をお願いしたいものです」
「……昔の話じゃ」
最近は慣れてきたのか、義秀殿は俺とも会話してくれるようになった。よく唸ってるのは変わらないけどな。
「私は弓であれば少しは形になるようになったのですが、お恥ずかしい話、槍の方はなかなか……」
弓を引くのも結構力がいるから、最近はそれなりに筋肉もついてきたんだけど、どうも槍を振り回すだけの力がないんだよな。持続力がなくてずっと振り回していられないっていうか。
「柴田殿がおられるでござろう」
熊か~。
確かに熊も槍の名手なんだけど、持ち前の筋肉を生かして無双するから、お手本にならないんだよなぁ。
やっぱり熊は熊科の生き物だからな。お手本は人間にしておかないと、参考にならん。
「勝家殿は私とは基礎体力が違い過ぎて、ついていけません」
きっぱり断言すると、義秀殿は思わずと言った風に笑った。
笑った顔なんて初めて見るから、ちょっとびっくりした。
俺がじっと見つめていると、義秀殿は目元を和らげたまま、自分の手元に視線を落とした。
「では、いずれ……体調が戻ったなら、それがしがお教えしよう」
「ぜひ、よろしくお願いします」
笑って軽く頭を下げる。
義秀殿は右手を握ったり開いたりしていた。
「正直な話……それがしは、ここで果てるのだと思っておった。近江から離れた、この尾張の地で」
「……義秀殿……」
「思いもかけず回復することができ、信喜殿には感謝しておる」
深く頭を下げられて、俺は慌てて義秀殿を制止する。
「お、おやめください。そのように頭を下げられるようなことなど何もしてはおりません」
「――毒を、抜いてくださったのでござろう」
「え……」
顔を上げた義秀殿は、何もかもを諦めきったかのような、凪いだまなざしで俺を見つめた。
「最近は息をするのにも難儀しておりましてな。このまま床について死ぬのだろうと覚悟しておったのです。それが、尾張に来てからというもの、どうでしょう。体のだるさも、信喜殿に勧められた大蒜を食すようになってから大分良くなってまいりました」
そう言って、義秀殿は俺の護衛についてきてくれているタロに目を向ける。
「尾張の地が合っているからだろうかとも思っておったが、そちらの山伏殿が、いつもそれがしの手元を見ているのに気がつきましてな。はて何を見ているのだろうと疑問に思っておりましたが、他と違っているのはこの波打った爪のみ。薬に精通しておる山伏が爪に注目しているならば、この爪は何かの毒の症状で表れるのではないかと思いもうした。そして、それを為す者にも、心当たりがござりまする」
おそらく義秀殿の言う心当たりとは、叔父の六角承禎だろう。六角家の当主の座を本筋である義秀殿ではなく息子の義治に譲った事で、家臣の中には不満を持つ者もいると聞いた。
「それがしが尾張に来たのも厄介払いの為。――信喜殿。既に信長殿にはお伝えしたが、間もなく今川が大軍をもって尾張に侵攻して参るであろう」
ついに……桶狭間の戦いが起こるってことか!?
自然に起こった武者震いを、畏れのあまり震えたと勘違いしたのか、義秀殿は沈痛な面持ちで俺の背中をさすった。
「それは……確かな事なのでしょうか」
「甲賀の手の者が、戦の準備をしていると報告して参ったのでな」
「信長兄上は何と言っておりましたか?」
そう聞くと、義秀殿はまた微かに笑みを浮かべた。
そして「うぅむ」と低く唸る。
「それがな。戦になったら逃げろと申された」
「どこへ、ですか?」
近江へ逃げろってことか? でも逃げても、また命を狙われるんじゃないか?
「どこへだと思いなさる?」
「――分かりません」
「信喜殿を連れて、越後へ逃れろと申されました。長尾景虎殿を頼れ、と」
「信長兄上がそんな事を……」
思わず眼がしらが熱くなるのを、ぐっとこらえる。
織田の男ならば最後まで戦え、って言うのが普通なのに。それなのに、敵に背を向けろと……生きろと言うのか。
そんな事、できるわけないじゃないか。
「それを聞きましてな。それがしも決心いたしました。一度は諦めたこの命――信長殿に賭けてみようと」
「義秀殿……」
「信長殿と共に、今川を迎え撃ちましょう」
義秀殿の頼もしい言葉に、俺はしっかりと頷いた。
桶狭間の戦いは――もうすぐそこに、迫っていた。




