214 疑念
六角義秀殿へのもてなしが成功して、俺は肩の力を抜くことができ――なかった。
あれからしょっちゅう、信長兄上に命令されて熱田へ通う日々を送っている。そこで義秀殿に出す料理の監修をしてるんだけど、熱田の大宮司である千秋殿はともかく、かなりの頻度で信長兄上に会う。むしろ千秋殿よりもよく遭遇する。
暇……な、はずはないと思うんだけど、今日もなぜかいる。なぜだ。
最近の千秋殿は、今川に寝返った鳴海城主山口教継の調略によって奪われた、熱田の南にある大高城を囲むように建てた砦のうちの一つを守っていることが多い。
信長兄上はその大高城が今川の対織田への拠点になるのを防ぐべく、城の周りに五つの砦を建てた。
北から時計回りに、それぞれ信長兄上の信頼の篤い、大叔父の織田秀敏が守る鷲津砦、信行兄ちゃんの家老だったけど家督争いの時には信長兄上に味方した佐久間盛重殿が守る丸根砦、小豆坂七本槍の一人として名高い佐々政次殿が守る正光寺砦、松平元康の叔父でありながら織田に組している水野信元殿が守る向山砦がある。そして最後の氷上砦に、千秋季忠殿がいる。
周囲を完全に包囲された形の大高城が物資の搬入をするには、北西の海側からしかない。でもそれも千秋殿を慕う海賊たちによって阻止されている。
「海賊を懐かせるなんて、千秋殿は凄いお方ですよね」
感心しながら、俺はすっかり茶飲み友達となった義秀殿に焼き饅頭を勧める。貴重な砂糖入りの饅頭だけど、義秀殿と一緒に食べるからってことで信長兄上が持ってきてくれた。
津島で「とらのや」って菓子屋をやってる黒川円光さんは、最近は俺が食べてみたいって言った上生菓子の製作にハマっている。よく茶会の席で出てくる餡子の和菓子だな。
見た目にも綺麗だし、お菓子にテーマを持たせられるっていうのがいいよな。干支とか、季節の花とかさ。
この間は「唐ころも」っていう和菓子を創作してた。かきつばたをイメージした、ちょっと紫色がかった和菓子だ。
かきつばたからイメージして、どうして「唐ころも」って名前なんだろうって疑問に思ったら、黒川殿が丁寧に教えてくれた。
これは『伊勢物語』の九段、東下りの途中で、主人公の在原業平が読んだ歌の
唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
から来ている。意味は「着慣れた唐ころもの様に慣れ親しんだ妻を一人都に残してきたので、はるばるこんなに遠くへきてしまった旅を悲しく思う」になる。
この歌の最初の文字を拾うと「か・き・つ・は・た」になるんだ。さすが歌の名人の業平だよな。
そして和歌から和菓子のモチーフを考える黒川殿のセンスも凄い。しかもおいしいからな。これからもどんどん素晴らしい和菓子を創作して欲しいものだ。うむ。
「うぅむ」
最近、どんどん義秀殿の「うぅむ」の意味が分かってきてるぞ。これは「そうですな」って言ってるな。
千秋殿の海賊退治の話は熱田では割と有名だ。
千秋殿の治める、知多半島の南端にある羽豆崎近辺にはよく海賊が出没していて、住民を苦しめていた。そこで千秋殿は一計を案じて、海賊の頭領に会いに行った。
そして「先日、熱田神社への勧進で十万貫を得たゆえ、この金で熱田社修復のための材木を仕入れ、紀州より運んでもらえないだろうか?」と頼んだ。
承知した頭領は手下全員を従えて材木を運んで来たんだけど、帰ってきたら本拠地が焼き尽くされていた。海賊が留守にしている間に、千秋殿の軍勢が全部焼き払っちゃったんだ。
びっくりした海賊たちに千秋殿は約束通りのお金を払おうとするんだけど、海賊たちは「金はいいから、住む所をくれ!」って懇願した。
そして千秋殿は熱田のはずれに海賊たちを住まわせ、熱田湊の荷運びの仕事を与えたんだそうだ。
海賊たちは千秋殿に深く感謝し、千秋家、及びその主家である織田家の船は襲わないという誓いを立てた。
つまり大高城に兵糧を入れようとする今川の船なんて、とってもおいしい獲物なわけだ。
「でも大高城もこのまま大人しくはしていないでしょうね」
黙々と焼き饅頭を食べている信長兄上を見ると、もう食べ終わったのか行儀悪く指についた餡を舐めているところだった。
そして俺の視線に気がついて、軽く肩をすくめる。
「おそらく、今川に後詰の要請をするであろうな」
「信長兄上の狙い通り、ということですか?」
「さてな」
焼き饅頭を食べた後ごろりと横になる信長兄上だが、もうすっかりその傍若無人な性格に慣れたのか、義秀殿は気にする素振りもなく煎茶を飲み干した。
義秀殿って、なんて心が広いんだ。信長兄上のこのだらけ切った姿をスルーするなんて、大物としか言いようがない。
煎茶よりもほうじ茶を好む義秀殿の為に、二杯目はほうじ茶を用意する。でも今回はちょっと趣向を凝らしている。
あぶり立てを飲んでもらうのだ。
まず和紙の上に茶葉を乗せ、それを炭火であぶる。
最初は低温でじわじわと、最後に温度を上げて一気に焙じ上げる。
「おお」
義秀殿が感嘆の声を上げて、鼻をひくひくさせている。
よしよし、掴みはOKだな。
そうして入れたあぶり立てのほうじ茶は、もてなした時に出した物よりふくよかな香りを放って、更に口に含んだ後に、その余韻が強く残る。
「うぅむ」
うん。大変おいしいって事だな。
そして飲み干した湯飲みを差し出してくる。
はいはい。了解しました。
義秀殿に新しいほうじ茶を入れて渡すと、満足そうな唸り声がまた上がる。
その、湯飲みを持つ手に目が留まった。
そういえば、タロがこんな事を言ってたんだよな。義秀殿の爪が気になる、って。
確かに義秀殿の爪は、横にたくさんの凹凸がある。タロが言うには、あれは毒を盛られた時に現れる症状と似ているそうだ。
その毒はじわじわと体力を奪い、やがては死に至らしめる。しかも特に目立った症状がないまま弱っていくから、毒を盛られたのに気がつかない事が多いんだとか。
最初に見た時よりは少し顔色が良くなってきているし、熱田に来てから食欲も沸いてきたって言っているけど、心配だな。




