206 今川の影
ただ、今のところはそういった増援の予定はない。
うーん。どうシミュレーションしても、織田に勝ち目はないんだよなぁ。
「どうすれば勝てるのか、分かりません。月谷和尚様であれば、どうなさいますか?」
答が出なかったから、逆に聞いてみることにした。
「ふむ、ふむ。難問ですな。しからば、後は神仏にお頼みするしかありますまい」
って、最終的には神頼みしかないってことか!?
月谷和尚様にもそう言われちゃうって、八方ふさがりじゃないか。
「ただし神仏にお頼みいたすにしても、何もせずに勝てるということはありますまい。持てる力の限り戦って、その後に天運あらば神仏よりの助力を賜ることができましょう。三百年ほど前の蒙古の襲来におきましても、鎌倉の武士たちは七日戦った後、神明のご加護による逆風によって蒙古を退けておりますしな」
蒙古の襲来っていうのは、元寇のことだ。
モンゴル帝国はこの時代だと蒙古って呼ばれてるけど、後世では元って名前で呼ばれてる。チンギス・ハーンとかフビライ・ハーンなんかの皇帝が有名だな。
そのモンゴル帝国が文永十一年に日本に侵攻してきたんだけど、神風が吹いた事によってその船団が沈没して敗れた。
元寇の「寇」は「外から攻めてくる」って意味だ。ただ、今の時代では「元寇」じゃなくて「蒙古の襲来」って言うから、後世で使われるようになった言葉かもしれん。
俺の記憶では、元寇が攻めて来た日に神風が吹いてたような気がするんだけど、月谷和尚様によると、七日戦った後に神風が吹いたらしい。
だから神仏の加護を得るにしても、その前にちゃんと努力してないとダメだぞ、って教訓にもなってる。
現代ではすっかり忘れられちゃってるけどな。
「であれば、いかに勝機をこちらに引き寄せるかという事になりますな。さて、天の時はただびとにはどうすることもできず、人の数であれば負けている。では、地の利はいかがでしょうな?」
「こちらが有利になるような地に誘い込む……という事でしょうか?」
「さようさよう。信長様は幼少より尾張の地を駆け巡っていらっしゃったとか。であれば他国の者よりも地の利にはお詳しいでしょう。もし大軍が攻めてきたならば、ここで戦おうとお考えの場所があるやもしれませんな」
それが、桶狭間ってことか。
「その為に策を巡らせていらっしゃるのかもしれませんな。たとえば、こたびの品野城の奪還などは、その策の一つかもしれませんぞ」
「品野城がですか?」
「さよう。尾張の北は、未だ織田信清様の勢力が残っておりますし、さらに北には美濃がおります。信長様の弾正忠家の御威光は、南ほどではありますまい。であれば調略によって北の城主を味方につけ、そこから一気に清州を攻め取るということもありましょう。ですが、品野城を織田の手に奪い返すことで、その芽を摘みましたな」
「そうなれば、攻めてくるのは南か東になりますね」
「しかし東から攻めてくれば、すぐさま猛将柴田様が迎え撃つことでございましょう」
確かにな。熊が末森にいる以上、そう易々と今川の軍勢を通すとは思えない。それに清須や他の城からも後詰に向かいやすいしな。
「となると、残る道は南ただ一つのみ。ですから、尾張の南のどこかで迎え撃つ、と、そうお考えなのかもしれませんな」
「なるほど。自分の土俵で相撲を取る、ということですね」
「自分の土俵で相撲を取る!? なるほど。言い得て妙ですな」
ふむふむと感心したかのように頷いている月谷和尚様に、あれ、そんなことわざなかったっけ、と考えて思い出す。
そうだ。まだこの時代の相撲って、現代で良く見る丸くてちょっと高い所にある土俵で戦うんじゃないんだよ。一応土俵っていうか、四隅に柱を建てて、そこを土俵に見立てて相撲を取るんだけど、基本的にどっちかが降参するまで戦うんだ。だから決着がつくのにはかなり時間がかかる。
信長兄上は相撲を取るのも見るのも好きなんだけど、短気だから勝敗が決まるまで時間がかかるのにイライラするんだよな。
でも織田には黒シャベル隊ならぬ、黒鍬隊もいるしさ。現代みたいな土俵を作って、そこで鍛錬したらどうか、って提案したんだよ。行司もいなかったから、それも任命して。
ただ現代ほど高い土俵だと怪我しちゃうからな。縄で丸く囲っただけの土俵だけど、それでも今までよりも短時間で決着がつくし、観戦している方も楽しく見れるから、信長兄上には大好評だ。
戦の時にも、相撲の組み手を使って相手を倒したりするしな。それで組み伏せて首を取るから、武士にとって相撲の鍛錬は必須だ。
「……信喜様はなぜ、それほどの大軍が尾張に攻めてくるとお考えですかな?」
ひたり、と見据えられて俺は唾を飲んだ。
確かに今の情勢で、今川義元が大軍を率いて攻めてくる可能性はそれほど高くない。
上洛の為に侵攻してきたって言われてるけど、上洛ってそんなに簡単じゃないからな。もし本気で上洛するとしたら、織田を滅ぼして、それから京まで通る道を支配する伊勢とかの大名に通行許可を取ってからじゃないと無理だと思う。
「その可能性は、なきにしもあらず、ではないかと思っております」
「ほう。その根拠はいかに?」
「私が甲賀の者を重用しているのはご存知かと思いますが、気になる噂を聞きました」
「噂でございますか」
「はい。三河では今川の支配に不満を持つ者が増えているという噂と、今川が鹿皮を買い集めているという噂です」
忍びの鵜飼殿が教えてくれたんだ。
やっぱり情報を制する者は世界を制す、だよな。
もちろんこの情報は信長兄上にも伝えてある。
だから品野城をいきなり攻めに行ったわけなんだけど。
最近も、一人で考えこむことが多い。気持ちは分かるよ。今川との戦力が違い過ぎて、どうすれば勝てるのか見当もつかないもんな。
「鹿皮ですか」
目をつむった月谷和尚様は、そのまま黙りこんだ。
そうだよな。鹿皮を買い集めてるってことはさ、皮鎧をたくさん作ってるってことになる。
そして現在の今川は甲斐の武田、相模の北条と婚姻による同盟を結んでいてその二国と争うとは思えない。
まず天文二十一年に、今川義元の娘の松が武田信玄の嫡男である武田義信に嫁ぎ。
翌年の天文二十二年に、武田信玄の娘の梅が北条氏康の嫡男である北条氏政に嫁ぎ。
さらにその翌年の天文二十三年に、北条氏康の娘の春が今川義元の嫡男の今川氏真に嫁いだ。
素晴らしく合理的な組み合わせだよな。
この同盟によって武田は上杉との戦いに集中することができ、北条は関東に侵攻してくる上杉との戦いと共に、上杉を名目上の主と仰ぐ、佐竹・宇都宮・長野・里見などに対抗して関東の平定を押し進めることができる。
そして今川はそれまで敵対していた武田と北条との同盟によって、敵を織田家に絞ることができる。
それぞれ、利にかなった同盟なわけだ。
つまり、今川が攻めてくるとしたら尾張しかないってわけだ。
でもそれでも、今川のような大国の総大将である義元が直接攻めてくるとは考えられない。普通はもっと多くの城を落として、後は王手をかけるだけ、って状態になってからやってくるはずだ。
それなのにどうして義元がやってくるんだろう、って考えた時、三河の情勢を探っていて気がついたことがある。
三河は今川に支配されているけど、三河の人たちはそれに納得していない。税は重いし、主家である松平の御曹司は今川の人質になったまんまだからな。反乱するきっかけはそこかしこに残されている。
だからこそ義元が直接指揮をして三河に武威を示し、更に織田を徹底的に叩いて今川に逆らう者の末路を見せつけて他国を抑える、っていうのが俺の考えだ。
間違ってるかもしれんけど、桶狭間で義元と戦うのは史実だからな。それを元に対抗することを考えるべきだ。
――歴史が変わってて義元と対峙しないって未来があるかもしれんけど。まあ、そうなったら、そうなった時だ。
「尾張にとって、厳しい戦になりますな」
重々しい月谷和尚様の言葉に、俺はゆっくりと頷いた。
月谷和尚様は、今川が大軍で攻めてきた時にどう迎え撃つかを考えておきましょうと言ってくれた。良い考えを思いついたら、信長兄上に提言してくれるそうだ。
もしかしたら史実でもこうした助言を一人で精査して、取捨選択していったのかもしれないな。
そして信長兄上は突然驚くべきことを言いだした。
「同盟を結ぶこととあいなった」
評定の間で着席すると同時の宣言に、家臣たちは驚きざわめいた。
なんだって? いきなり同盟?
一体どこと。
いつの間にそんな工作してたんだ。
はっ。
もしかして、本当に清酒で一本釣りしちゃったのか!?




