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信長公弟記~織田さんちの八男です~【コミックス6巻】発売中  作者: 彩戸ゆめ
永禄二年

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190 夏の嵐 その5

 一応その後で何度も確認したけど、景虎殿は本当に清酒を飲みたくてやって来ただけみたいだった。


 なんでも上洛して将軍の足利義輝に会った時にお酒の話になって、そこで信長兄上に献上されたお酒が見たこともないほど澄んでいて、しかも大層な美酒だったと自慢されたんだそうだ。


「まさかこれほど透明とは思いませんでしたが。いやぁ、うまい」


 そう言いながら、酒を(あお)る手が止まる気配がない。

 熊や千秋殿も大酒飲みだと思ってたけど、景虎殿はそれに輪をかけた飲みっぷりだな。酒を吸収してもすぐにアルコールが分解されてるのかっていうくらい、酔わない。


 俺も信長兄上もあんまり酒を飲まないから、あまりの飲みっぷりにびっくりだ。


 そのうち景虎殿は、この清酒を定期的に手に入れられないかと言い出した。そんなに気にいってもらえたのは嬉しいけど、尾張から越後ってかなり距離があるから、交易なんてできるのかなぁ。


 太平洋側なら船で行き来できるけど、日本海側だとぐるっと遠回りしないといけないから、陸路で行く方が近いよな。中山道を使っていけばいいのかね。


 信長兄上はふむ、と頷くと、みっちゃんに合図をした。みっちゃんも心得たように、それだけで景虎殿が連れてきた随行の一人と交易が可能かどうかの話しを始める。


 みっちゃんは清酒を越後に譲る代わりに、越後上布(えちごじょうふ)を譲ってもらえないかどうか交渉していた。


 おお。すっかり阿吽(あうん)の呼吸だね。


 越後上布っていうのは越後で作られた麻布のことで、幕府の礼服を仕立てる為の布として重用されている。もちろん津島や熱田の商人から手に入れることもできるけど、産地直送のほうが中間マージンが少なくなる分お安くなるから、交渉がまとまればいいな。


「津島の天王祭も楽しみでしたが、一刻も早くこの酒を飲みたいと気が急いておりました。おかげで祭りが一番盛り上がっていた時にも、珍しい酒を造ったと伝え聞く信長殿のほうが気になってしまって」


 はははは、と軽やかに笑う景虎殿に、俺は思わず首を傾げた。


 ん? あの一瞬の覇気って、やっぱり景虎殿のものだったのか?

 ちょうどまきわら船に提灯がともされて川に浮かんでた時だったから、きっとそうなんだろう。


 ……酒の事を考えてあんな覇気出すなよ。何事かと思うじゃないか。


「私もまさか長尾様が酒のためだけに尾張に来たとは思わず、深読みしてしまうところでしたよ」


 はっはっは、と快活に笑う信長兄上は、そんなくだらない事で騒ぎを起こすなよ、と言外に言っている……気がする。


「一期の栄華より勝りし喜びは、一盃の美酒の他になかりけり。そうは思いませんかな、信長殿?」

「さて。私は酒の善し悪しが分らぬ凡人ですので、何ともお答えのしようがありませぬ」

「酒の味も分らぬ者が、天上の酒を造り出すか。……それとも、天上の者を身の内に抱えておるのやもしれんな」


 ちらりと横目で見られて、びくっとする。

 いや、俺が清酒を作ったわけじゃないからな。あれは偶然の産物で、こんな立派な清酒ができたのは、生駒家長殿が色々と研究してくれたおかげだ。


 む……ということは、家長殿が清酒の産みの親ってことだろうか。家長殿は信長兄上の側室の吉乃さんのお兄さんだから、確かに身内と言ってもいいよな。


 とすると、景虎殿が言ってるのは家長殿のことだろうか。


 ……ずっとこっち見てるけど。


「もしそのような者がいたなら、すぐに羽衣を返しましょう。天上の者は天上で暮らすのがふさわしいゆえに。しかし羽衣を返してもなお尾張に留まろうとするならば、その者にとっては尾張が真の故郷と言うべきではありませんかな」

「ふむ。京の都も越後も、なかなかに居心地の良い所だと思っておりますが」

「しかし、月より来た姫も故郷へと帰っていきました」

「なるほど。故郷が一番だと言われるか」

「長尾殿もそう思いませぬか?」

「ふむ」


 すみません。日本語で話してるはずなんだけど、二人の会話の意味が分かりません。


 後でみっちゃんに聞いたら、つまりは俺を引き抜こうとするな、って信長兄上が牽制して、ああいう会話になってたらしい。


 うん。俺も新婚なのに、美和ちゃんと離れて京都とか越後なんかに行きたくないからな。龍泉寺城の薬草園も完成させたいし。


 きっぱり断ってくれた信長兄上に感謝しないといかんな。


「信長殿は大層な家族思いの方じゃな」

「二心のない家族ほど、得難いものはありますまい」

「……確かに」


 頷いた景虎殿は、持っていた盃を一気に(あお)った。ぷはぁ、と息を吐き、着物の袖で乱暴に口をぬぐう。


「うまい酒と、うまい肴。今宵は気分が良いのう」


 信長兄上と何かが分かりあったのか、二人の間の雰囲気が急に柔らかくなった。

 景虎殿はぐびぐびと。信長兄上はちびちびと。

 お互いに盃を交し合い、笑い合う。


 俺のような真の凡人には、何がどうなってこうなったのかわっぱり分らんけども。

 二人の間で何かが通じ合って仲良くなったんだとしたら――――それはそれで、喜ばしい。


 特に信長兄上はその非凡さゆえに理解されないことが多いからな。景虎殿も、想像していたよりも大人しい雰囲気の人だったけど、信長兄上と分かり合えるってことは、やはり普通の人ではないってことなんだろう。


 宴席は和やかな雰囲気のまま終わりを告げた。

 景虎殿を見送る信長兄上の顔も、いつになく柔らかい。










 でも、最後の最後に事件が起きた。


 預かっていた刀を腰に()いた途端、景虎殿が豹変したのだ。

 いきなり抜刀して、手にした剣を天に掲げている。


「ふはははははは。我こそは毘沙門天の化身なりぃぃぃっ! この世の義を乱す悪はどこじゃぁ!」


 ひいいいいいいいい。

 ど、どうしてこうなったんだよ!!




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