182 鷹狩りの作法
狩場では、既に鳥見の衆の一人が鶴を発見してそれを見張っていた。
鳥見の衆は大体二十人くらいいて、信長兄上より先行して狩場に向かう。藤吉郎も、そのうちの一人だ。それで雁とか鶴を見つけたら、一人が信長兄上のところに知らせに来て、一人が獲物を見張る役目をするんだな。
今回は藤吉郎が鶴を見つけたんじゃないみたいだ。呼びに来たのも見張りをしてるのも、別の人だった。
「ここからは口をきいてはならぬぞ」
信長兄上は馬から降りると、馬衆の山口太郎兵衛を呼んだ。太郎兵衛の馬は、背中に乗せた藁を両脇にたらして、すだれのようにしている。この陰に隠れて、獲物を捕りに行くんだ。
それから信長兄上は、鷹匠の与助さんからオオタカの弟本宮って名前の鷹を受け取った。
オオタカの名前には、名前をつける作法っていうのがあって、メスには「弟」、オスには「兄」って言葉を最初につける。
オオタカはメスの方が身体が大きいんだけど、名前に弟ってつけるのが不思議だな。もしかして大小って言葉とかけてるのかもしれんね。兄はしょう、って読むし。
あとは換羽してる一歳以上のオオタカには、更に「塒」っていう文字がつく。
それに捕獲した山の名前をつければ、オオタカの名前つけは完成だ。
つまり、信長兄上のオオタカは本宮山で捕獲されたメスの若鷹だっていうのが、名前を聞いただけで分かるってことだな。
この鷹が成鳥になれば「弟本宮塒」って名前に変わるわけだ。別に鷹がドヤ顔してるわけじゃないからな。
もっとも、俺はめんどくさいからタカコさんって呼んでるけど。
ついでに、それを聞いた信長兄上もたか子って呼ぶようになったけど、細かいことは気にしちゃいかんよね!
タカコさんを左の拳の上に止まらせた信長兄上は、太郎兵衛が乗った馬の陰に隠れながら、ゆっくりと鶴に近づいていった。
獲物は鶴の定番のナベヅルだ。
そして八・五間、つまり十五メートルほどの距離まで近づくと鷹が獲物に向かって飛ぼうとするから、それを一度抑えて、鳥筋、つまり獲物が鷹に気がついて逃げようとするその飛行軌道を予測して、その方向に投げるように鷹を送り出した。いわゆる、羽合わせ、ってやつだな。
この羽合わせっていうのは、本来は何年も修業して取得する鷹匠の技術らしい。それをあっさりやってのける信長兄上って天才すぎるよな。
大体、普通の武将の鷹狩りっていうのは、信長兄上みたいに自分で鷹を放したりしないんだよ。獲物を捕るための合図なんかは武将がやることもあるけど、基本は鷹匠が取った獲物を献上されて終わりだ。献上する作法なんてものもあるくらいだしな。
っていうかよく考えたら、信長兄上ってオタク気質なんじゃないか? ほら、気に入ったものは徹底的に突き詰めるって、良い意味でのオタクだけど。
シュッと飛び立ったタカコさんは、低空を飛びながらナベヅルに迫った。タカコさんが向かってくるのに気がついたナベヅルは慌てて飛び立とうとする。
でもその時にはもう遅い。
タカコさんは獲物を逃すまいと、ナベヅルに向かって一気に上昇する。そしてナベヅルの顎の下のあたりを、下から鋭いかぎ爪でつかんだ。
脳震盪を起こしたナベヅルがフラフラと羽ばたく間に、タカコさんは体勢を入れ替えて自分の体を上にした。
タカコさんの襲撃に反撃もできないまま、痛みにバサバサと暴れるナベヅルは、段々と高度を失って地面に落ちた。
それと同時に鷹匠の与助さんと、鶴を油断させるために農民の恰好をして待機していた、向かい待ちと呼ばれる役の尾関弥左衛門が走り寄った。
まず弥左衛門がナベヅルのくちばしを地中に差して、タカコさんや自分に攻撃できないように封じた。それから与助さんがナベヅルの胸を指で刺し、心臓をえぐり取ってタカコさんに食べさせる。
そうするとタカコさんは得物から足を離してもらった心臓を食べるのに忙しくなるから、その隙に獲物をタカコさんから離すってわけだ。
刃物を使わないのは、取った獲物は後で信長兄上に献上されるからだ。もし万が一にも刃物に毒でも塗られていたら、信長兄上が毒を食べる事になっちゃうしな。そんな事態になったら、鷹匠どころか、鷹狩のお供全員が切腹しなくちゃいけなくなる。
仏教では肉食は禁止されてるけど、鷹は不動明王、普賢菩薩、毘沙門天、観音菩薩の四仏の化身とされているから、そのありがたーい鷹の恵んでくれたお肉様は食べてもいいって解釈になるらしい。
戦国時代の武将って、こういうところで貴重なたんぱく質を摂取してたんだな。
でもそういう作法になってるってことは、鷹狩りを利用して毒殺しようとした人がいるってことだよな。鷹狩りの獲物にもそんな気を遣わなくちゃいけないっていうのが、なんとも世知辛いよな。毒殺を回避する為には仕方がないことなのかもしれないけどさ。
「よくやった、たか子! さすがだな」
信長兄上は自分の体よりも大きな鶴を見事に獲ったタカコさんを褒めた。するとタカコさんは胸を張ってピョロロと鳴いた。
まるで信長兄上に褒められたのが、分かったかのように。
やっぱり鷹狩りが好きなだけあって、鷹の気持ちが分かるのかもしれんね。
オタクだなんて思って、ごめんよ。
「信喜もやってみせよ」
美和ちゃんと結婚した俺は、晴れて一人前と見なされたのか、信長兄上にちゃんと元服後の名前で呼ばれるようになった。なんとなくまだ聞き慣れなくて気恥ずかしい。
「はい」
鳥見の衆の報告によると、少し先の方で、別の獲物を見つけたらしい。
駆けつけてみると、見張りをしてるのは藤吉郎だった。
「鴨か。いけるか?」
信長兄上に聞かれて、俺は頷く。
でもなぁ。俺よりも、タカコさん次第なんだよなぁ。
タカコさんは信長兄上のことは認めているらしくてちゃんと言う事を聞くんだけど、俺の言うことを聞く割合は五分五分だ。
獲物を見つけると、俺が合図する前に飛び出して行っちゃうんだよな。とほほ。
俺はタカコさんを手に据えて、信長兄上がやったように馬の陰に隠れてタイミングをうかがう。
信長兄上がやったみたいな羽合わせはできないけど、タイミングを見て放すことくらいはできるさ。
よし、行けっ!
鴨が気付かないうちにタカコさんを放そうとして―――
「キョッ、キョッ、キョッ」
タカコさんはそっぽを向いて鳴いた。
そして当然、鴨は鷹の鳴き声に驚いて逃げて行った。
えええええ。そりゃ、ないよぉ……
肩を落とす俺に、タカコさんの鳴き声と、残念な人を見るような信長兄上と藤吉郎の視線が辛かった。
鷹狩りを書いていたら、楽しくてついついたくさん書いてしまいました。
ねねまで辿りつきませんでしたね。
ちなみにこのお話は信長公記に載ってるお話が元です。
尾関弥左衛門は初代尾張藩主徳川義直に殉死した鷹匠さん。名前だけ借りました。




