169 お風呂でゆっくり
「わっはっは。これほどの城を造っておいて、惜しげもなく俺に渡すと言うか」
「惜しくないわけではないですけど、それよりも湯殿に入る権利の方が大切です」
髪の毛をよくすすいで、手ぬぐいでまとめる。
ちょっと女子っぽくなるけど、この方が早く乾くはずだ。
「湯殿の側に庵か……ふむ。そちらでも良いな。城ではなくて、庵を所望しよう」
……つまりそれは、居心地の良い別荘を造れってことでしょうか。このお風呂を取られないなら、別にいいけどさ。
「縄張りをしておきます」
「うむ」
髪の毛を洗い終わった俺は、もう一度湯船に入る。
ふいーっ。
ああ、お風呂の後に冷えた生ビールが飲みたいなぁ。
コーヒー牛乳でもいいけどさ。氷室は作ったし、挑戦してみるといいかもしれん。……あ、ダメだ。コーヒーはエチオピア原産だ。手に入れる方法がないな。
「龍泉寺城は眺めが良いな」
「ええ。高台なので、遠くまで見渡せますね。天守を作れば、もっと遠くまで見渡せると思います」
今回、龍泉寺城を造る時に熱田の大工さんたちにお世話になったんだけど、凄い技術を持ってるんだよ。熱田大工って言えば、結構有名らしい。だから天守も、大体の設計図を渡せば作ってくれるんじゃないかと思う。
「美濃まで見えると思うか?」
「美濃はどうでしょう。遠くに小牧山が見えるのですが、その向こうに稲葉山が見えるくらいでしょうか」
「なるほどな」
信長兄上は俺の話を聞いて、じっと考え込むような顔になった。
うん。そうだよ、気がついた?
稲葉山城みたいな山城から麓を見ると、遠くまで見渡せるんだよ。
つまり、稲葉山城から木曽川を越えてくる織田軍の動きはよく見える、ってことだ。
尾張は平野だからな。農作物を作るには適してるんだけど、どうしても城を造る場合は平城か平山城になる。犬山城は確か龍泉寺城と同じように川っぺりで崖に面してるんだったと思うけど、そんなに頻繁に行かないしな。
「ただ山城は防衛には優れていますけど、不便ですよね」
「であろうな」
織田信長の造った城っていうと安土城が有名だけど、岐阜城も有名だよな。岐阜ってことは美濃だから、美濃を獲ってから建てる城だな。確か、稲葉山城の跡地に建てるんだったかね。あれ? リフォームするんだっけ?
「喜六」
「はい」
「岩倉城はもう持たん」
岩倉城を兵糧攻めにしてから、もう四カ月になる。その間、城内は地獄のような有様になったらしい。信長兄上が城下を焼き討ちにして民が城に逃げ込んでるんで、籠城してる兵だけじゃなくて、避難してる一般人の食料も足りないし、処理できない糞尿の量に、疫病が流行りそうなんだとか。
これは甲賀忍者の鵜飼孫六さんが調べてきてくれた。
そうそう。鵜飼さんはめでたく俺の家臣になってくれることになったんだよ。ふっふっふ。これで俺も忍者の配下持ちだぜ。
家族を呼んでいいかって聞かれたんで、オッケーして武家屋敷の長屋の一角を提供することにしたら、なんか固まってた。
一応さ、俺が引っ越しする前に家臣の皆さんには先に引っ越ししてもらってたんだよな。
そんで、家族呼んだのはいいけど、あれ、家族じゃなくて一族だと思うんだけど。だって五十人くらいいるんだぞ? 当然長屋の一角に入りきらないから、城下町の方に別に長屋を作ったさ。
まあ、家臣の数もまだ少ないからな。空いてる土地はいっぱいあるんで問題ない。
あんまりちゃんとした造りじゃないから申し訳ないなと思ったけど、雨露がしのげるだけでも良いって喜ばれた。
でもって鵜飼殿の禄は年間五十貫しかないから、家族の人は城下町で何か商売してもいいぞって言ったら、更に喜ばれた。
っていうか、泣いてた。
え? そこ、泣くとこじゃないよね!?
なんか一生懸命お仕えしますとか言われたけど、お給料分はきっちり働いてくれるんならそれで良いと思う。うむ。
「城攻めをなさいますか」
「近いうちにな」
そうか。
……また、戦か。
「初陣では武功を挙げたが、まだ怖いか?」
「……怖いです。殺されるのも、殺すのも」
誤魔化しても信長兄上には見破られちゃうだろうから、正直に答えた。だけど「でも」と言葉を続ける。
「でも私は織田の男子ですから。戦から逃げることはできぬのだと分かっております」
「逃げる方法が一つだけあるぞ」
うん。確かに。
出家して僧になれば、直接戦場で戦わなくても許される。
でもさ、それで戦がなくなるわけじゃない。きっと自分の無力さを嘆いて、墓の数を数えて暮らすようになるんだ。そんな後悔するだけの人生は、まっぴらだと思う。
信長兄上。
俺は、もう覚悟を決めたんだよ。
「私は、戦のない世を実現させるために、信長兄上をお助けしたいのです」
「天下布武か。―――七徳を備えた者でなければ天下を治められぬ。七徳とはすなわち、暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにすること」
あれから何度も諳んじていたのだろう。
信長兄上は天下布武の何たるかを、滑らかに語る。
「そこに至るまでの道のりは……険しいですね」
「仕方あるまい。綺麗な戦など、この世のどこにもないからな。皮肉なものだ。平和な世を求める為には、平和と真逆の戦をせねばならん」
「ですが、信長兄上ならば成して頂けると信じております」
「……俺を誰だと思っておる」
「尾張の大うつけ、織田信長兄上です」
「ふん。言うようになったな」
信長兄上は俺の頭を乱暴に撫でると、勢いよく湯から上がった。
「犬! 出るぞ!」
「はいっ」
犬と呼ばれた利家は、軽く手ぬぐいで信長兄上の体を拭くと、湯帷子を着せた。
「喜六。先に行っておるぞ」
俺は、はい、と答えながらゆっくりと湯から上がった。
それにしても。
お湯の中で長話なんてするんじゃなかった。
すっかり、のぼせちゃったよ……
龍泉寺城の水堀は、庄内川から引くのは無理そうなので、少し変更します。
変更したらまたお知らせします。




