163 浮野の戦い 一騎討ち
敗走する敵を背中から攻撃するほど楽な事はない。
犬山城の織田信清の弟、織田広良殿が率いる千人の軍勢の加勢によって、信賢の兵たちは次々に討ち取られていった。
「岩倉城家老、福田安宗。森可成が討ち取ったり!」
援軍が来た方から、敵将を討ち取ったという森殿の声が聞こえた。その直後に、信長軍から歓声がわき起こる。
この戦。勝ったな。
信長兄上がこんなところで負けるわけはないと知っていたけど、それでも歴史通りに勝利をおさめた事に安堵する。
陣頭で指揮をしていた福田安宗が討たれると、信賢勢はまたたく間に敗走を始めた。それを追いかける信長軍は、手柄を求めて兜首を追いかける。
俺も、敗走する兵を追いかけようとしたけど、ふと前にいる橋本一巴殿が立ち止まっているのに気がついた。橋本殿は、信長兄上に鉄砲の撃ち方を教えた師匠だ。その手には、重そうな火縄銃を持っている。
その視線の先には、右の手首に赤い布を巻いて弓を持った武士がいた。
退却する時に殿を務める者たちは、腕に自信のある者でないと務まらないと言われている。そうでなければ追ってくる敵兵にすぐ討たれてしまって、自分たちの主君が逃げ延びるだけの時間を稼げないからだ。
それでも彼らは基本、死兵だ。死ぬまでにどれだけ敵を倒せるか、どれほど時間を稼げるかを目的にしている。
つまり、その武士は、死ぬ覚悟を持って殿を務めているということだ。
振り向きざまに矢を射ているけれど、追いつかれるのは時間の問題だろう。
「弥七郎!」
「……一巴か」
その声に振り返った武士は、橋本殿とは旧知の仲みたいだった。
「名もなき雑兵に討たれるくらいならば、わしと一騎討ちをせい!」
戦場での一騎討ちっていうのは、実はそれほど多くはない。源平合戦の時代だったら多かったのかもしれないけど、今の時代では集団戦だからな。
「ぬかしたな。俺がそこらの雑兵に負けると思うてか!」
「では、尋常に勝負せよ!」
最近ではあまり見られない一騎討ちに、逃げる信賢軍を追いかけていた足軽たちは滅多にない見世物が見られるのかと足を止めた。
弥七郎と呼びかけられた武士も、その場に留まる。
敵兵をその場に足止めする、という目的で言うならば、ここで時間を稼ぐのは有効だと思ったんだろう。
「良いだろう。常々お主の持っておる鉄砲など、弓に比べれば赤子のおもちゃのようなものだと証明してやろうと思っておったからな。良い機会じゃな!」
「何を言うか。これからは鉄砲の時代じゃ!」
戦場で敵として相対しているはずなのに、二人の口調は親し気で、どこか楽しそうですらあった。
「弥七郎。友として、助けてはやれぬが恨むなよ」
「分かっておる。お前こそ、儂に殺されても恨んでくれるなよ、一巴」
「ははは。戯言よな」
弥七郎……どこかで聞いたことがある名前だけど、どこだったかな。
そうだ。稲生の戦いで死んだ、林のクソジジイの側近だったんじゃないか!? 名前は林弥七郎。―――同じ林ってことは、もしかしてジジイの一族だったのもしれん。
ジジイが死んだ後、一家でどこかに出奔したって噂は聞いてたけど、信賢の所に身を寄せていたのか。
それにしたって、林弥七郎って言ったら、那須の与一の再来って言われてるほどの弓の名人じゃなかったっけ。
橋本殿は、なんだってそんな相手と一騎討ちしようとしてるんだよ。こっちの方が優勢なんだから、何もしなくても林弥七郎は負けるじゃないか。だったら命は助けるから、降参しろって言う方が良いだろうに。
なのに、なんでわざわざ自分の命を危険に晒すような一騎討ちをしようとするんだよ。
その気持ちが顔に出ていたのか、俺を守るようにずっとついてくれていた滝川リーダーが話しかけてきた。
「たとえ死すとも、一騎討ちの果てとなれば、武士の誉れでございましょうな。命を賭けて友の誇りを守るとは……やはり、真の武士たる者の心根はなんとご立派なことでしょう」
滝川リーダーは感嘆しているけど、友だちの誇りとやらを守るために、命をかける必要なんてあるのか!?
ここは投降を促して、どんな事があっても生き延びさせる場面じゃないのか!?
名誉とか誇りとか、そんなものはくそくらえだ。
命はたった一つしかないんだぞ。
馬鹿げた一騎討ちなんて止めたい。
でも、この場でそれが不可能な事は、俺にもよく分かっている。
ここにいるのが信長兄上なら、止められたかもしれないのに……
きっと信長兄上も、そんなバカげたことで命を無駄にするなって言うと思う。だけどここには信長兄上はいない。
だからただ―――この、一騎討ちの行方を見守るしかない。
いや、でも。
やってみなくちゃ分からないじゃないか。
たとえ神聖な一騎討ちに水を差した愚か者だって言われたとしても、それで人の命が助かるなら、それでいいじゃないか。
「林殿、橋本殿! お待ちください! この戦、勝負は既に決しております。林殿には投降していただきたい!」
二人の名人と呼ばれる者の命を惜しんで叫んだけれど、二人から返ってきたのは「否」の言葉だった。
「二度も生き恥を晒すのであれば、ここで果てるのが本望でござる」
「わっはっは。良い志じゃ。わしが引導を渡してやるゆえ、迷わず成仏するが良い」
「抜かせ。鉄砲などより弓の方が優れているのだと万人に知らしめてやるわ」
「それはこちらの言い分じゃ! いざ、勝負!」
林弥七郎は大きな矢じりの矢を弓につがえ、橋本殿に向けた。
橋本殿も、鉄砲に弾を二発こめて林弥七郎を狙う。
ドオォン。
橋本殿の鉄砲が火を吹いた。
それと同時に、林弥七郎の弓も橋本殿に向かう。
矢は。
鉄砲を構えた橋本殿の、その上がった左肩の下を寸分たがわず狙っていた。
わきの下の、鎧で覆われていない柔らかな場所へ、深々と矢が刺さる。
声もなく、鉄砲を持ったままの橋本殿が前に倒れた。
おそらく―――即死だった。
矢を放った林弥七郎も倒れてはいたが、まだ生きているようで、すぐ側で一騎討ちを見守っていた信長兄上の小姓の佐脇良之が走り寄っていた。
佐脇という苗字だけど、実は前田利家の実弟だ。後継ぎのいない佐脇家に養子に出たらしい。
林弥七郎は倒れたままで刀を抜き、佐脇殿の左腕を小手ごと切り落とした。
佐脇殿はそれにもひるまず、遂には林弥七郎の首を取った。
俺はその一連の出来事を、どこか他人事のように、ただ見つめるしかなかった。
福田安宗の名前は創作です。福田大膳正の名前しか出てないようです。
史実では、福田大膳正は血刀を持ったまま五明というところにたどり着いて農家に匿われましたが、その日のうちに亡くなったそうです。
林弥七郎は稲生の戦いで亡くなったことにしていたんですが、一騎討ちの場面を書きたかったので、稲生では生き残ったと書き直しました。
弓の名手の林弥七郎は秀吉の正室ねねの実父という説もあります。Wikiでは杉原氏ってなってますけど。もしねねの実父なら、秀吉の親友である前田利家の弟に首を取られていたということですね。




