159 初陣
「喜六郎殿も、こたびの初陣の件はご存知なかったのですか?」
護衛についてくれているタロと一緒に部屋に入ると、半兵衛は美濃から連れてきた家人にお茶の用意を頼んでいた。尾張での生活が長くなって、半兵衛も煎茶を飲む習慣ができているらしい。
「ええ。今日初めて聞きました。まあ、信長兄上の事なので、驚きはありませんけど」
なんていうか、思い立ったら吉日、を有言実行する人だからな。
というか、信長兄上がああいう性格だって最初から分かってたんだから、俺もちゃんと準備しておくべきだったと今なら思う。戦支度だけじゃなくて、心の準備も含めて。
「では、まだお覚悟が十分ではないのでしょうね。無理もありません」
「織田の一族として、情けない限りです」
「そのような事はありませんよ。私も、初陣の時は陰で震えておりました。なにせいきなり城に敵が攻めて参りましたから」
……え? なんか半兵衛だったら、涼しい顔で敵をなぎ倒してたんじゃないかと思ってた。こう見えて、槍の扱いはうまいからな。
「ですが、父は不在で城には私と母と、まだ幼い弟がいるばかり。震えているばかりでは城は落ちます。無我夢中で敵を退けました」
ああ、そういえば、前に言ってたな。居城である大御堂城に、いきなり義龍の軍が攻めてきたんだったな。
なるほど。あれが半兵衛の初陣だったのか。
普通、名のある武将の子の初陣は、父や親族や重臣たちがしかるべき時期や戦場を吟味して選定する。なぜなら、初陣で手ひどく負けたりすれば、子々孫々までの笑い者になるからだ。
だけど俺と半兵衛には、そんな十分な時間は与えられなかった。
そうか。半兵衛もこの震えを、乗り越えたのか。
「後になって、書物で読んだ戦と実際の戦とでは、こんなにも違うのかと体が震えました。人の死を、あんなにも身近に感じたのは、あれが初めてでしたから」
そうだよな。戦では、人が死ぬ。どんなにがんばったって、誰かは死ぬ。
「戦とは非情であり無情な物。喜六郎殿は、それを既に知っておられる。……以前、私に、戦のない世の中を作るのが夢だとおっしゃっていましたよね?」
「はい」
戦のない世の中を作るのが夢だ。
なのに、そこに至るまでの道は、たくさんの屍によって作られるんだ。
「戦のない世を作るために戦をする。矛盾しておりますが、そうしなければ太平の世は訪れないのもまた事実。ですから喜六郎さま。戦の無常さを、これからしっかりとその目に焼き付けておくのです。それが、太平の世への礎となりましょう」
「目を逸らさぬことが、私の力の源となりましょうか」
「ええ。喜六郎様なら、必ず」
俺は半兵衛の言葉をかみしめた。
戦のない世を作る為には、信長兄上と共に戦って、勝って、勝ち続けなくてはいけない。
信賢との戦いに勝って。
桶狭間の戦いで今川に勝って。
本願寺や浅井、朝倉、それから……
明智光秀だけじゃない、他の誰にも謀反など起こさせず。
そして日本を統一して、戦のない平和な世の中にしたいんだ。
だけど、どうしたってそこに至るまでの犠牲が出る。
それならば俺は。
俺は、平和に至るまでの道の全てを覚えておこう。命を散らした無辜の民の姿を、この目に焼き付けておこう。
「半兵衛殿、感謝いたします。少し、心が落ち着きました」
「いえ。本来、時間さえあれば、信長様や柴田様がかけるはずの言葉だったでしょう。私などがそのお役目を奪ってしまって、本当に申し訳ありませぬ。ですが、喜六郎殿にとって少しはお役に立てたのであれば、まことに嬉しく思います。……ご武運を、お祈り申し上げております」
にこっと笑う半兵衛に、俺は深く頭を下げた。
出陣までの日は慌ただしく過ぎていった。
借りる事になった鎧兜は、信長兄上が初陣で使った物かと思ったら違った。
信長兄上の初陣は、吉良大浜って今川方の領地に行って、ちょっと放火して帰ってくるくらいのものだったらしくてさ。紅い筋の入った頭巾をかぶって、刀を差したまま馬上で行動しやすいように脇の裾を縫ってない羽織を着て、馬につける鎧、という出で立ちだったらしい。
それだと今回の戦では防御力が心もとないから、もう少し丈夫な鎧を用意してもらった。
美和ちゃんと市姉さまと犬姉さまからは、それぞれお守りと手紙が届いた。
戦の前の三日間は女の人と会っちゃいけないって謎習慣があるからさ。直接会って話をすることはできなかったんだよ。
一応、俺も手紙は書いたけどさ。
三人とも、俺の無事を祈ってくれた。




