153 似た者夫婦
「義姉上! いくら義姉上と言えど、お戯れがすぎましょう!」
いつもは穏やかに微笑んでいる市姉さまが、まなじりを吊り上げて濃姫に迫った。でも濃姫は意外なほどの身の軽さでそれを避ける。
「ほほほ。そう怒るでない。せっかくの美しい顔が般若のようであるぞ。ほれ、喜六郎殿も怯えていらっしゃる」
……へ?
いやいやいやいや。別に市姉さまに怯えたりはしないよ。
怒った顔がちょっと母上に似てるなとは思ったけど。
そんなので怯える訳、ないじゃないか。
「喜六……」
俺の様子に目を見張った市姉さまが、怒気を抑えて、次に悲しそうな顔をした。
ご、ごめん。本当に、市姉さまと母上は違うってちゃんと分かってる。
だから、市姉さまにそんな顔をさせたいわけじゃないんだ。
だけど、なぜか母上を思い出すと、体が震えて―――
そんな俺の体を、犬姉さまが優しく抱きしめてくれる。
市姉さまと似ていて少し違う香の匂いに、いつの間にか止めていた息を吐いた。
「いい加減になさいませ。いくらお方様とはいえ、やって良い事と悪い事があるくらい、お分かりでしょうに。なにゆえこのような暴挙をなさったのかは存じませぬが、喜六に害を加えようとした事、兄上がお帰りになりましたら、はっきりとお伝えいたします」
「殿の寵愛なさる末の弟君に、わらわがかすり傷一つ、つけるはずなどかろう。寸止めができぬほど腕は衰えておりませぬゆえな。安心なさるが良い」
あまり声を荒げないようにしながら言う犬姉さまに、濃姫は泰然とした態度を崩さない。
犬姉さまは安心させるかのように、俺の背中を軽く叩いた。
「それで、お方様にはどのような御用がおありなのですか? 先触れもなく突然いらっしゃるのですから、急ぎの御用なのでしょうね?」
いつものおっとりした犬姉さまからは想像できないほど、険を含んだ声に、俺の方がびっくりする。思わず見上げると、それに気がついた犬姉さまが優しく微笑んでくれた。
うん。俺のほうが背が低いっていうのは、この際、考えないようにしておこうか。
「喜六郎殿が倒れられて以来、一度もお会いしておらぬゆえな。たまには親しく語らおうかと思って参ったのですよ」
親しく語らうのに、いきなり刃物をつきつける訳?
あーりーえーなーい!
「それにしては随分と乱暴なお出ましでしたこと」
「ほほほ。細かい事は気にせぬことだ。ほほほ」
口元を袖で隠して笑う濃姫は、悪いことをしたっていう自覚が全くないみたいだった。
大人の女性であるのは確かだけど、どこか子供っぽいんだな。
そして俺はこれに似た性格の人をもう一人知っている。濃姫の夫である、信長兄上だ。
ということは、だ。
何を言っても無駄、って事だな!
HAHAHAHA。
「ほう。これは折据であるか。見事な鳥の姿じゃのぅ」
濃姫は俺と市姉さまたちが折った折り鶴を見て、感心したような声を出した。さすがにこれ以上の傍若無人ぶりはまずいと思ったのか、手に取って見るまではしていない。
でもじっくり見たそうな雰囲気は凄く伝わってくる。
だってさ、いい大人なのに、折り鶴を見て、目がきらきらしてるんだもん。
そしてこんな性格の人を俺はもう一人知っている。以下同文。
俺は犬姉さまをぎゅっと抱きしめ返すと、そっと離れた。心配そうに見る犬姉さまと、そして俺に声をかけられずにいる市姉さまに微笑みかける。
もう十三歳だからな。
元服したっておかしくない年だ。いつまでもこんなに女々しくちゃ、織田の名前が泣くからな。
俺も、もっとしっかりしないとだ。
「鶴の姿を折っております」
俺はそう言って、完成した鶴を濃姫に手渡した。
よいのか、とでも言うようにこちらを伺う濃姫に、俺は頷きで答える。
折り鶴を手に取った濃姫は、目の前にかざして、ためつすがめつ見ていた。そのまなざしは好奇心に満ち満ちている。
「ほう。よくできておるな。喜六郎殿が考えられたのか?」
「いえ。胡蝶の夢の中で、作り方を覚えました」
「ほう。……どのようなところであったのかの。わらわも天上の世界を見てみたいものだ」
「戦のない、平和な世界でございましたよ」
俺はかつて信長兄上に語ったのと、同じ事を言う。
濃姫はそれを聞いて、一瞬目を伏せた。
「戦のない世か……夢のようじゃな……」
そして伏せた目をゆっくりと開けて、信長兄上にも似た鋭いまなざしで俺を見据える。
「して……喜六郎殿は、その戦のない世を、殿と共に作りたいと思っておられるのか?」
そんな事はありえないんだけど。
その返答次第では斬り殺されるかのような、それほどの気迫が、濃姫にはあった。




