145 火起請
「現在、織田信房殿と池田恒興殿の手勢は、それぞれ武器を持って、清須山王社にて睨み合っているようでござります」
清須山王社っていうのは清須の南にある、宝亀二年、今から八百年くらい前に尾張で疫病が流行った時にそれを鎮めるために建てられた神社だ。
その神社の境内で、織田信房の家来とツッチーの家来が一触即発の睨み合いをしてるってことか。
「しかし火起請が行われたということは、それで一応の決着がついたという事ではないのですか?」
「それが佐介なる者は熱した手斧を取り落としたのですが、これは甚兵衛の企みによるものだと騒ぎ立てており、収拾がつかぬようでござります」
そうなのか。
元々、友人のとこに盗みに入るくらい性根の腐った男だから、素直に罪は認めないか。
それにしても、ツッチーもなんでそんなのを家来にしてるんだよ。監督不行き届きだぞ。
「それで仲裁をして欲しいという事で、こちらにいらしたのですか?」
熊にそう尋ねると、熊は首を振った。
「いえ。池田殿は殿の乳兄弟でござりますれば、その権勢は無視できませぬ。たとえこの争いに勝っても、後に禍根を残しましょう。そこで、殿のご寵愛深い吉乃様のご実家である生駒家に助太刀を求めている次第でございましょうな」
「助太刀というと、話し合いではなく武力で解決するということですか?」
「既に火起請にて決着のついたものを認めておりませんですからな。残るは武力行使しかありますまい」
ほんっと、この時代の奴らは脳筋が多すぎるよ!
火起請もどうかと思うけど、もっと平和的解決ができないもんかね。
けど武力行使で決着がついたとしても、今度はツッチーの家と生駒家が揉めるんじゃないのかな。
いずれ吉乃さんは奇妙丸、つまり後の信長兄上の後継となる織田信忠の生母として正室と同じ扱いになるわけだけど、今はまだ側室の一人にすぎない。
もしこれから正室の濃姫が男子を産んだら、そっちに家督相続の権利がいくからな。血筋的にも、濃姫のほうが吉乃さんより上だし。
でも濃姫に子供ができないっていうのは、まだ皆知らないからな。
となると、ただの側室の実家と当主の乳兄弟の家と、どっちが上なんだ……?
あ、でも熊と一緒にリーダー滝川が来てるな。確かリーダーはツッチーの従兄弟だったはずだ。それならリーダーに仲裁をお願いすればいいんじゃないかな。
「滝川殿はどうなさったのですか?」
俺の質問に、熊はよくお気づきになりましたなという顔で頷いた。
いや、それくらい俺も気がつくって。熊の中の俺のイメージってどんなのなんだろう。そこまで抜けてないと思うんだけどな。
「先に清須山王社に向かっておりますが、それで収まるかどうか」
「勝家殿がこちらにいらしたということは、私も向かった方が良いということですね」
「一益が行ったのをきっかけに、争いが始まらないとは限りませぬからな」
リーダーのことだから卒なくその場を収めそうな気もするけど、一触即発で睨み合ってる時ってほんのちょっとしたきっかけで暴発するからなぁ。本格的な殺し合いになる前に、誰かが止めないとダメだよな。
「では私も行きましょう」
「はっ。お供いたしまする。それがしは生駒家から他にも家人を集めて行きますので、門の前でお待ちください」
そう言って頭を下げた熊は、足早に去っていった。
俺は思わずため息をつくと、熊との会話の間中、口を挟まずに控えていた美和ちゃんに頭を下げた。
「今日はゆっくりできると思ったのですが、かような事態ですので、これにてお暇させて頂かなければなりません。次に来るときは、もう少し落ち着いてお茶を頂けると良いのですが」
「それは仕方ありません。でも喜六郎様。お怪我のないようにお気をつけくださいませね」
「では、これにて」
美和ちゃんに挨拶をした俺は、そのまま生駒家の門まで行った。すでに熊から話が伝わっていたのか、愛馬の花子が待っていた。
しばらく待つと、熊が生駒家の家人を十人ほど引き連れてきた。
でも、それぞれ槍とか弓とか持ってるのは、なんでだ。これじゃ、話し合いの場に向かうっていうより、果し合いの場に向かう雰囲気だぞ。
そう指摘すると、熊はそのぎょろっとした目をくわっと見開いた。
「何を申されますか! 武器がないと喜六郎様の御身をお守りできぬかもしれぬではありませんか」
「いえ、でも、勝家殿がいれば千人力なのではないでしょうか」
「……む。それはそうでござるな。……あ、いやいや。万が一ということもござります。念のために他の者も武器を揃えるのは当然のことでござりますよ」
俺のヨイショに気をよくした熊だけど、すぐに我にかえった。
まあ俺も身の安全のためには武装したお供がいたほうがいいから、別に文句はないけど。
ただピリピリしてるとこに槍とか弓を持った武士が乱入して、かえって刺激になっちゃわないのかねぇ。




