137 酒飲みたちの酒宴
そこからの酒好きたちの動きは早かった。
名乗りを上げた前田利家が早馬で近隣の酒蔵から酒を持ってこさせ、それだけでは足りないと那古野城下まで行って、さらには津島まで行った。
どんだけ酒が飲みたいんだよ。
もちろん清須から近い生駒家の酒も運ばれてきた。清酒までは行かないけど、それでもかなり透明に近い酒になってきた。
「ほう。これが清酒でござるか」
「おお。なんとも旨そうですなぁ」
「香りもまた良い」
「わしは早く飲みたいぞ!」
壺の中を覗き込む呑兵衛たちを蹴散らしながら、壺を運んできた生駒家長殿が、清酒もどきの入った壺を信長兄上の前に置いた。
「まだ澄み切ってはおりませぬが。まずは最初に殿に一献」
あんまりお酒が好きじゃない信長兄上だけど、それでも飲まなくちゃいけない時は仕方なく飲む。小さな盃に入れられた酒を飲んで、軽く目を見張った。
「濁り酒よりも飲みやすいな」
「はい。これならば殿にも召し上がっていただけるかと思います。もっと澄んだ酒をお造りいたす所存ですので、もうしばらくお待ちくだされませ」
「ふむ」
基本的に酒を飲まない信長兄上が褒めた酒を飲みたい人たちが、ちょっと距離を置いたところでこっちの様子を窺っている。なんていうかライオンの残した獲物を狙うハイエナの群れって感じだ。
もちろんその中に酒好きの熊もいる。
熊は熊らしく、ハチミツを好物にしてればいいのに。
俺は信長兄上の周りで酒の入った壺を狙っている酒飲みたちの輪から、そっと離れた。そして離れた先に、明智のみっちゃんと半兵衛を見つける。半兵衛も俺の姿を見つけて、にこっと微笑んだ。
「喜六郎様、大役、ご苦労様でした。ご立派なお姿でしたね」
立派な姿……紅差してるこの姿が? 烏帽子に花まで飾ってるんだぞ?
どっちかっていうと、稚児のコスプレだと思う。
「いえ。一射目は緊張ではずしてしまってお恥ずかしい限りです。私では絶対に那須の与一にはなれませんね」
「もし那須の与一が射手であったなら決められた数字を射ることなど容易いでしょうから、あそこで喜六郎様が外されたのは、籤が公正であるという証明になって良かったのではないでしょうか」
うん。それはつまり、弓が下手だから、小細工することもできないって意味だよね。
その通りだけどね。
良い方に解釈してくれてありがとう。ハハハ。
心の中で乾いた笑いを上げたら、後ろでどっと歓声が起こった。どうやらまた新しい酒が届いたらしい。こっちは従来の濁り酒だけど、酒飲みたちにとっては酒だったら何でもいいんだろうな。
「それより半兵衛殿は良かったのですか? せっかく多額の賞金を得られたというのに」
「ここで独り占めして、恨みを買いたくはないですから」
まあ確かに、それは言えるけど。
でも宝くじで一等当てたようなもんだからなぁ。全部バラまいちゃうのはもったいない。
でももう皆の前で宣言しちゃったからな。これを前言撤回することはできない。武士らしくないしな。
「津島神社、熱田神社。私が普請しております龍泉寺城にも援助して頂いて、誠にありがとうございます。さらには清須の者たちへの酒の振る舞い、かたじけなく存じます」
だから俺は感謝の意を込めて、半兵衛に頭を下げた。
信長兄上は立場上、頭を下げられないからな。代わりに俺の頭で勘弁してくれ。
「頭を上げてください、喜六郎殿。私はそんなつもりでは―――」
「これも喜六郎様なりのけじめなのでしょう。礼を受け取っておきなさい」
「光秀殿が、そう、おっしゃるのなら」
顔を上げると、半兵衛は眉を下げて困ったような顔をしていた。
俺はそれに気づかないふりをして、わざと明るい声を出す。
「それにしても清須の者たちのあの喜びよう……勝家殿など、飲み比べをしていませんか!?」
熊は、はやし立てる信長兄上に乗せられて、誰かと飲み比べをしていた。後ろ姿だから誰だか分からないけど、酒豪の熊と張り合って飲んでるんだから、凄いうわばみだよな。
「ああ。下方貞清殿は実力伯仲の相手でございますからね。酒でも負けたくはないのでしょう」
みっちゃんに言われて、なるほど、あれは熊のライバル、上野城城主の下方貞清殿なのかと納得する。飲み比べを仕掛けられたら、そりゃあどっちかがつぶれるまで勝負するしかないだろう。
でもそんなのは熊だけの話じゃなかった。至る所で飲みつぶれてる男たちの姿が見える。
っていうか、これさ、もし今清州を攻められたら、戦わずして負けるんじゃないのか。だって皆酔いつぶれて使い物になりそうもないぞ。
うわ。あっちでは前田利家が藤吉郎に絡んでるよ。でも仲がいいんだっけ。あ、藤吉郎が利家に殴られた。でも藤吉郎は笑ってるな。ふむ。仲が良いのは本当らしい。
みっちゃんと半兵衛は酒は飲まないのかなと思って見ていたら、半兵衛が「なるほど。八岐大蛇はこうして倒されたのですね」とか言って頷いていた。
ちょ、ちょっと待って。
尾張にはヤマタノオロチいないからね!
熱田に草薙の剣は奉納されてるけど、八つも頭のある蛇はいないからね!




