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信長公弟記~織田さんちの八男です~【コミックス6巻】発売中  作者: 彩戸ゆめ
織田家の八男になりました

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13 ポイント5000感謝御礼SS 柴田修理亮勝家備忘録

昨夜、間違ってUPしてしまいました。

まさか5000ポイントも頂けると思っていなかったので、嬉しくて書いてしまいました。

こちらは本日二話目の投稿となりますので、10話を未読の方は、そちらからお読みください。

 十一月ともなると段々と寒くなり、吹く風は冷く肌を刺すようだ。鍛錬を止めて空を見上げると、どんよりとした雲は暗い灰の色に染まっている。


「頼が死んだのも、こんな天気の日であったな……」


 飯尾から嫁いできた頼は、特に器量が良いというわけではなかったが、気立ての良い娘だった。婚儀の際に恥じらう姿がいじらしく、ずっと大切にしようと神仏に誓った。


 だが、十年も前の今頃の季節に、頼は難産の末に死んでしまった。腹の子も、助からなかった。


 その頃のわしは織田弾正忠信秀様にお仕えしていて、お屋形様と共に戦で戦っていたから、頼の死に目にも会えなかった。


 だからだろうか。生まれたばかりの赤子を抱いた土田御前様に、心惹かれるようになったのは。

 生まれた子も、とても可愛らしいお子であった。色が白く、紅を刷いたような唇はまるでおなごのように美しく、まさに玉のように愛らしい子であった。


 決して美男とは言えぬわしの子がそんなに美しい子であるはずもないのだが、失くした妻子を土田御前様と喜六郎さまに重ね合わせ、ひっそりと赤子の成長を見守ることは、わしにとって存外の喜びであった。


 健やかにお育ちになった喜六郎さまは、ますますその秀麗さに磨きがかかるようになってきた。これは行く末の楽しみな若君であるとみんなが褒めそやし、わしも密かにそれを誇りに思っていた。


 だが、その美しい顔が、日増しに曇るようになってきた。織田信秀様が流行り病で亡くなった後、織田家の嫡子である織田信長様と、その同腹の弟君である織田信行様が、当主の座を巡って争うようになったからだ。


 これで信長様が誰からも文句の出ない若君であれば良かったのだが、尾張の大うつけとも噂されるほどのできそこないで、筆頭家老であった平手政秀殿が諌死されたこともあって、織田家中では信行様の方が当主にふさわしいという声が大きくなっていた。


 それに心を痛めていた喜六郎様は、信長様と信行様の同腹であることから、お二人の間を取り持っていらしたが、それでも険悪になるばかりの関係に、日に日に思い悩む様子であった。


 今年の水無月になろうかという頃、あれもまたどんよりとした空で今にも雨の降り出しそうな日のことだった。喜六郎様が、単騎で末森を出るのを見かけたのは。


 今にして思えば、すぐに声をかけてお伴すれば、あのような悲劇は起こらなかったのかもしれぬ。だがその時のわしは、喜六郎様も気疲れが多く気分転換をされたいのだろうと思って、あえてお声をかけなかった。

 和泉守も討ち、少しくらい遠出をしても危ないことはなかろうと、そう判断したからだ。


 だが、その結果。


 喜六郎様は守山の領内まで駆けてゆき、織田信次様の家臣である洲賀才蔵の威嚇のはずの矢が当たって落馬されてしまわれた。末森に運ばれた時には心の蔵も止まっていて―――


 誰もが喜六郎さまは亡くなられてしまったのだと、そう思った。


 だが神仏も喜六郎さまを哀れに思ってくださったのだろう。喜六郎さまは再び息を吹き返し、その澄み切った黒い瞳を見せてくれたのだ。


 しかし、目覚めてよりの喜六郎さまは、以前とかなり様子が違っていた。どちらかというと信行様に似た性格でいらしたのが、まるで信長様のような振る舞いをなさるようになった。


 土田御前様は我が子の変容に、一度見舞った後は二度と喜六郎さまの部屋を訪れる事はなかった。


 それは、妻子の訃報を聞き傷心のまま戦から帰った時にわしが見た、あの慈愛に満ちた母の姿からはかけ離れていた。


 いや、今にして思えば、こちらの姿のほうが真実の姿であったのだろう。噂に聞く信長様への冷淡な対応は、まさに喜六郎さまへのなさりようと重なる。

 わしの目の方が曇っていた。そういう、事なのだろう。


 殿へのうつけ者との評価も、殿と喜六郎さまのやり取りを見るに、わしが間違っていたのだと、今ならそう素直に思える。


 傷も癒え、床を離れた喜六郎さまのことを狐が憑いたのだと騒ぐ者もいるが、あの目を奪われるほど優しく美しい笑顔は以前と少しも変わらぬ。それが分からぬ者のほうこそ、喜六郎さまのことをよく理解していなかっただけだ。


 それでも少し以前と違うところがあるのは、心の蔵が止まっている間に胡蝶の夢を見られたからだろう。そこで喜六郎さまは、平凡な男の一生を体験されたらしい。

 まことに、不思議なこともあるものだ。

 いや、それこそが、喜六郎さまが神仏よりの加護を得ているということにならないだろうか。きっとそうに違いない。


 もしやしたら、夢の中で喜六郎さまはわしの子として育っていたのかもしれぬ。目が覚めた時、最初に紡いだのはわしの名であったのだから。

 かかさま、柴田、と。


 その同じ夢をわしも見れないのは残念ではあるが、それでも喜六郎さまがこれより健やかにお育ちになって立派な武士になるのを間近で見られるのだから、喜ばしい気持ちのほうがまさった。


 以前よりも活発になられた喜六郎さまは、城内の色々なところへ顔を出すようになった。織田の殿の子ともあろう者が、下働きの住む部屋を見にくるとは、誰も思わなかっただろう。

 なぜこのような場所に来られたのか聞くと、下働きの者たちが不自由なく暮らしているのかどうか知りたかったからだとおっしゃる。


 上の者だけが幸せになるのではなく、日ノ本の民すべてが幸せになって欲しいのだと言う喜六郎さまは、まっこと、お釈迦様の再来であられるやもしれぬ。


 縁あって、殿から喜六郎さまの傅役を任されることにあいなった。

 主君とも、我が子とも思い、精一杯お仕えしてゆかねばならぬ。


 この柴田勝家、身命を賭して、喜六郎さまを立派な武士もののふにいたしましょうぞ!


このお話だけを見ると、熊がイケメンに思えてくるミラクルです。


柴田勝家は、単なる脳筋として書かれることも多いんですが、武勇はもちろんですが、内政の手腕もなかなかのものです。

たとえば越前で農民から刀を集めてそれを農具にして渡してます。秀吉より先にやった刀狩りですよね。

最後の時にも殉死する家臣に囲まれていて、とても慕われていたんだろうなと思います。

こういったエピソードって、いわゆる、勝てば官軍で、なかなか負けた方の武将だと残らないものなんですが、それでもこうして残っているということは、もし秀吉との戦いに勝っていれば、「さすが柴田あっぱれな忠臣よ」というエピソードが今よりてんこ盛りだったんじゃないでしょうか。

歴史のIFって考えると楽しいですね。

そしてそれを空想の世界で色々と実現できるのが楽しいです。

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