123 津島天王祭
踊り終わった信長兄上たちは、元の服に着替えた後はまた清須へ戻っていった。
津島のお祭りはまだ続くんだから見て行けばいいのにな。今回の風流踊りの開催は突然決めた物だったから、スケジュール調整がうまくいかなかったのかもしれんね。
……信長兄上がスケジュール調整なんてものをしてるかどうかは謎だけど。
思い立ったが吉日を実行する人だしなぁ。
行き当たりばったりとも言うけどな。全部が全部そうじゃないけど、たまによくある。……あれ?
俺と半兵衛はせっかくだから津島のお祭りを見てから帰ることにした。風流踊りの場所を提供してくれた堀田道空殿も、いくらでも泊まって良いですよって言ってくれたしな。
「可愛らしいお稚児様たちですね」
津島天王祭は全部で三日間に及ぶお祭りだ。初日の今日は、今年は例外で信長兄上の風流踊りっていうイレギュラーな前座が開催されたけど、本来は夜の六つ半、つまり午後7時の稚児打廻から始まる。
津島五か村の、堤下、米之座、今市場、筏場、下構の村から、それぞれ2~3人の神様の憑代として選ばれた5歳未満の男の子が、地面に足をつけないよう稚児担ぎと呼ばれる人に肩車をされて津島神社まで行くんだな。
神様の憑代だから、穢れに触れちゃいけないってことで、肩車をされて、地面に足をつけずに移動するわけだ。
稚児たちは花の飾りのついた烏帽子をかぶって、大口袴と呼ばれる裾の大きく開いた紅色の袴を着て、たすきに鞨鼓と呼ばれる鼓を豪華にしたような太鼓を下げて、バチを持つ。
何で5歳未満の子供が稚児として選ばれるかっていうと、5歳まではちゃんと育つかどうか分からないから「神様の子供」ってことになってるからだ。
だから男女共に、5歳になると袴着の儀っていって、袴を履くお祝いをする。
現代でも七五三で残ってる風習だな。5歳のお祝いは現代では男の子だけだけど、今の時代では男女両方お祝いする。
まあ、それくらい乳幼児の死亡率が高いってことなんだけどな。
「そうですね。私も幼い頃にお稚児さまになった事がございますよ」
半兵衛が稚児の行列を見て目を細めていたので、俺もやったことあるよーとアピールしておく。
「それはさぞかし可愛らしかったのでしょうね。私も見てみたかったです」
心底残念そうに言う半兵衛に、ちょっと照れる。
「あの時は大変でした。信長兄上と信行兄上が、絶対に私を肩車するのだと言って、お互いに譲らなくて喧嘩になってしまって」
「それで、どうなったのですか?」
「信長兄上もまだ十五の年でしたし、危ないからというので他の大人衆に肩車をしてもらいました」
凄く小さい頃の記憶だけど、あれだけはハッキリ覚えてるんだよなぁ。
父上が止めなかったら、殴り合いの喧嘩になってたんじゃないのかね。
後で聞いた話だけど、信長兄上はしばらく機嫌が悪くて大変だったらしい。
「信長様は、昔から喜六郎様を大切になさっているのですね」
「ええ。信長兄上だけではなく、信行兄上にもよくして頂きました。ですから私は、二人の兄上が大好きなのです」
「なるほど……あのお二人が徹底的に争わなかった訳が、分かったように思います」
いや、しっかり争ったけどな。結果的に双方にそれほど被害が出なかったってだけで。
それでもあの戦いで亡くなった者はいるしな。
そう思ったけど、あの戦の事はなんとなく話す気にはなれなくて、俺は半兵衛と一緒に、稚児の行列が天王川に浮かぶ本船へと小舟で向かうのを眺めていた。
お祭りの二日目は、津島神社から津島を東西に分ける天王川へとお神輿が向かう。川の堤防に作られた御旅所ってとこに、お神輿を安置するんだ。
午後からは宵祭が行われる。いわゆるメインイベントってとこだ。
津島の庇護者は織田家だ。ということで、俺と半兵衛と堀田道空殿は橋の上の特等席でお祭りを見る僥倖に恵まれた。もちろん護衛はタロジロと堀田道空殿のところの家来衆だ。
ほら。一応俺って織田の若君だからね。警備は厳重にしないとダメなのさ。
「ご覧くだされ。あれがまきわら船でござる」
堀田殿が扇子で指す方向から、提灯でデコレーションされた船が現れた。水面にも提灯の灯りが映って、凄く幻想的な光景だ。
でも、あれだ。あれに似てる。千葉のネズミーシーの海のパレードとネズミーランドのエレクトリカルパレードが合体したような感じだ。
この時代は娯楽とかあんまりないから、観衆の皆さんのどよめきが凄い。
「なんと素晴らしい」
そして半兵衛くんも感動してくれている。
うむうむ。来て良かったな。
「私もこうして見るのは久しぶりですが、幻想的で美しいですね」
宵祭りではまず、津島五か村から五艘のまきわら船が出る。まきわら船っていうのは、二隻の舟を横に並べて固定し一艘に仕立て、屋形を乗せたものだ。屋形の上には「坊主」って称される半球型の麦の巻いた藁を置いて、巻藁の中心には棒を立てる。
中心の棒には一年の月数を表す十二個の提灯を掲げ、坊主のところには一年の日数を表す365個の提灯を掲げる。
この提灯で飾られた船が五艘も川に漕ぎ出してるんだ。壮麗という他ない。
信長兄上もさっさと帰っちゃわないでお祭りを見て帰れば良かったのに。来年は一緒に見れたらいいな。
み、美和ちゃんも誘えたら誘いたいな。
きっと感動してくれると思うんだ。
「元々、この祭りは、良王親王が津島に逃れてきた際に、南朝方の良王を守る津島の四家七苗字の武士が、北朝方の佐屋村の台尻大隈守という武士を船遊びに事寄せて討ち取ったことから始まり申した」
誇らしげに堀田殿が解説するのは、その四家七苗字の中に堀田家が入っているからだ。
「四家」は大橋・岡本・恒川・山川の四氏で、「七苗字」は堀田・平野・服部・鈴木・真野・光賀・河村の七氏を指す。
このお祭りが始まった由来に自分の先祖が関わってたら、そりゃ自慢するよな。
「なるほど。それほど歴史のある由緒正しいお祭りなのですね」
感心している半兵衛は、武士の大好きな「歴史」とか「由緒」とかを連呼している。
言われた堀田殿は、美少年にキラキラした目で褒められて鼻の下を伸ばしている。
半兵衛って……もしやおじさんキラーなのか!?
尾張津島天王祭はユネスコ無形文化遺産となっています。
津島市のプロモーションビデオはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=39GxJ7t91DA
素敵ですよね~。
津島天王祭の様子の引用については、現在津島市にメールで問い合わせ中です。




