102 忍びにあらず
忍者で有名な甲賀と伊賀は、琵琶湖、今はまだ近淡海って呼ばれてる湖の南に位置している。甲賀の南の、山一つ隔てたところに伊賀があるって感じで、地理的には結構近い。でもってここら一帯は六角氏の勢力範囲なんで、甲賀は六角氏の仕事をすることが多いわけだな。
月谷和尚さま情報によると、そもそもあの辺りは東大寺とか興福寺とかのお寺が所有してる荘園がたくさんあったところらしい。その荘園に対して抵抗した武士たちのことを悪党って呼ぶんだな。
そういや月谷和尚さまが書いてくれた戦国勢力地図の大名の名前のとこに興福寺ってあったな。あれは大名じゃなくて寺社勢力か。奈良のあたりだから、昔から勢力のあるところかもしれんね。
でも信長兄上は一向宗と延暦寺とは戦ったけど、興福寺なんてとことは戦ってなかったような気がするな。信長兄上が台頭する前にどこかに潰されたのかな。
ってことは、信長兄上より前に寺社勢力と喧嘩した人がいるってことか。へえ。仲良くできそうだけどな。どうなんだろうな。信長兄上が第六天魔王なんて呼ばれるってことを考えると、さしずめ大悪党ってとこかね。
なんかハードボイルドっぽくてカッコイイな。
現代だと悪党って聞くと物凄く悪いことをした奴らってイメージがあるけど、荘園持ってた貴族にしてみたら同じなんだろうな。
その悪党が時代を経て忍者になったって訳だ。
元々は山伏とか修験道の戦法を学んだのが始まりだとかって話も聞くけど、まあ山伏も間者をやることが多いしな。実際に山伏が師匠だったのかもしれんね。
歩き巫女にしてもそうだけど、この時代の人は信仰心が篤いからな。仏教を布教するために巫女とか山伏が他国をウロウロしても、あんまり怪しまれない。
いや、怪しんではいるのかもしれんけど、実際に真面目に布教とか修業してる人たちもいるし、本物か偽物か判断できないからな。でもって、例えば間者だと言って始末したら本物の山伏だったなんてことが分かったら、エラいことになる。
早い話、仏教界が敵に回るんだ。
あれだけ日本に覇を唱えた信長兄上ですら、仏教関係は苦労したからなぁ。
要するに、触らぬ神に祟りなし、ってわけだ。
「ですが忍びは金で簡単に寝返ります」
忍び嫌いの滝川リーダーが反対した。
ほんと、なんでそんなに忍者が嫌いなのかね?
「饗談にも使える者はおるがな。ずっと喜六につけるとなると難しいか。一益、何か良い案がないか?」
「さすれば三宝院の者共はいかがでしょう」
「ほう? だがあそこは先の大戦で焼け落ちただろう」
「寺が焼けても信仰は消えませんからな」
「であるか。……ふん。悪くない。して、いかにして呼ぶのだ」
「さるお方のご縁で、伝手を辿ることができまする」
そこで滝川リーダーは俺を見た。
なんだ 俺にそんな宗教家の知り合いはおらんぞ。
「鴉か?」
「いえ。鵺にござります」
「ほう。鴉程度かと思ったが、鵺が来るか。だが山伏の恰好のままでは逆に目立とう。坊主ならともかく、山伏では同朋衆にはなれん」
鴉とか鵺とか、コードネームっぽいけど何だろう。山伏といえば熊野神社だけどな。鴉も熊野の御使いだしな。
三宝院って言ってたから熊野神社とはまた別口かね。
でも鵺ってなんだ? あれは化け物じゃなかったっけ?
後で滝川リーダーに聞いたら、山伏の中でも、真言宗系の修験道の当山派の本山が三宝院で、天台宗系の修験道の本山派の本山が聖護院らしい。でもって、聖護院系の神社の中に熊野神社が含まれている。
熊野神社の御使いは鴉だ。だから熊野に属する山伏のことを鴉って呼んだりするらしい。
そしてそれに対抗して、三宝院の修験僧の中でも特に厳しい修業を積んだ者を、鵺と呼ぶんだそうだ。
「還俗させて仕えさせましょう」
「あやつらが素直に還俗などするのか?」
「真の霊験を見てみたくはないかと誘えば、首を横には振りますまい」
「なるほどな」
「しかし後で面倒にならぬのか? 気がついたら即身仏では笑い話にもならんぞ」
「おそらく実物を見れば、そのような気も起こらぬかと……」
「ふむ」
だから、なんで皆で俺を見るんだ? 悪いけど俺には霊感なんてカケラもないぞ? あと即身仏ってアレだろ。ミイラだろ。なんでそんな物にならなくちゃいけないんだよ! 却下だよ、却下。
そりゃあ、確かに信光叔父さんが出てくる夢は見たけど、あれは夢だしな。あれからその手の夢は見てないから、きっとただの夢だったんだろう。
それにしても、忍びじゃないのか。残念だな。
こう、俺だけに忠実な忍びを召し抱えるのって、なんだか戦国時代の醍醐味っていうか、ロマンがあるんだけどなぁ。
いやまあ、そこまでの忠義を捧げるだけの何かが俺にあるのかって聞かれたら答えようがないんだけどさ。信長兄上みたいなカリスマはないしな。
仕方がないか。
鴉と鵺は創作です。




