100 諸国
でも信長兄上は島津とは直接戦わなかったんだよな。九州まで征伐したのは秀吉だっけ。
「して。これは何だ?」
信長兄上が指したのは、俺の力作、函館のウニちゃんだ。
「ウニです」
「……栗ではないのか」
ああ、確かにトゲトゲしてるのは同じだね。でも北海道で栗って育つのかな。極寒ってわけでもないから、北海道でも南の方なら育つのかもしれんね。網走あたりだと分からないけど。
「では、このみみずは何だ?」
「ミミズではなくて、鮭です」
良く見てくれよ。ちゃんとヒレと尾っぽがあるじゃないか。ミミズなんてヒレと尾っぽどころか、目もないじゃないか。
「さけだと……?」
「川を上る魚ですね」
「ほう」
あと、イクラも取れる。
鮭イクラ丼もいいな。いつか食べれるといいんだが。
「鯉よりうまいか?」
この時代の高級魚って、鯉なんだよな。川魚はその土地に行かないと食べれないけど、鯉なら池で養殖できるからな。
だけど鯉は骨が多いし、ちょっと泥臭いのが難点だ。
それに比べたら鮭の方が断然うまい。
荒巻鮭にしたら、こっちまで運べそうだけどなぁ。
「お前たち、知っておるか?」
皆が首を振る中、滝川リーダーだけが「聞いたことがあります」と答えた。
「皮まで美味で、将軍家に献上されるほどの高級魚でございますな」
「ほう。一益は食ったことがあるのか?」
「いえ。話に聞いただけにございます」
「いつか食うてみたいものだ」
信長兄上はしばし目を閉じると、腕を組んだ。
「他にこの地図を見ておもしろい話はないのか?」
「おもしろい話、ですか?」
うーん。知らない大名も多いしなぁ。おもしろい話かどうかは分からないけど、あえて言うなら、伊達政宗が独眼だってくらいかな。でも政宗ってまだ生まれてないんじゃないかな。確か戦国時代の終わり頃に生まれたんじゃなかったっけ。
あとは佐渡に金山があるのと、石見に銀山があるのを知ってるくらいだ。でもどっちも遠いしなぁ。
他には名産品とかかな。尾張の名物って言ったら、八丁味噌かういろうかね。作り方は知らんけど。
それに俺もそんなに歴史に詳しかったわけじゃないしなぁ。ほとんどが、歴史オタクの山田の受け売りだ。
桶狭間の戦いとか長篠の戦いは、俺が内容を話すことによって歴史が変わっても困るからな。あんまり話したくない。歴史通りなら勝てる戦に、下手に介入して反対の結果をもたらしたくないしな。
今ですら、光秀が織田家にいるっていうイレギュラーが発生してるんだ。あんまり歴史を改変するのはマズいだろう。
がっつり改変するのは、本能寺の変くらいでいいしな。
面白エピソードでいいなら、徳川家康の脱糞騒動かな。三方ヶ原の戦いの時だったよな。迫ってくる武田軍にびびっちゃって、脱糞しちゃったんだよな。
でもこれも未来の話だから無理だな。
その他には、うーん。信長兄上の役に立ちそうな知識っていうと―――
あ、あった。
「武田の歩き巫女ですね」
「歩き巫女だと?」
「ええ。武田は歩き巫女を間者として使っています」
歩き巫女の元締めはなんて言ったかな。えーっと、望月千代子だったっけ。
歩き巫女っていうのは、その言葉のまんまだな。歩いて布教する巫女さんのことだ。外法箱って呼ばれる小さな箱を紺色の風呂敷で包んで背負って、白い装束に身を包んで旅をするんだが、布教だけじゃなくて売春みたいなのもするらしい。
確かに古代から巫女ってそういう仕事もしてたことがあるしな。
古代メソポタミアの聖娼なんかは有名だよな。英雄ギルガメッシュの親友のエンキドゥの獣性を鎮めたんだっけか。
さしずめ、メソポタミア版美女と野獣ってとこかね。
元締めの名前を思い出した俺は、手をぽんと叩いて、良い情報を教えたよなと思って信長兄上を見た。そしたら、なぜか兄上はこめかみの辺りを指で揉んでいた。
その横に控えているツッチーはなんだか渋い顔をしていて、リーダー滝川は目元を指で抑えてる。熊は……うん、なんかキラキラした目で俺を見てるな、いつもの熊だ。
あ、あれ……?
もしかして俺、ヤバイ事を言っちゃったのか?
「喜六」
「は、はい」
いつになく重々しくて真面目な信長兄上の声に、俺の背筋はぴっと伸びた。
うわぁ。覇王の覇気きたよコレ。
「命が惜しくば、これらのことは他言無用にせよ」
「……え?」
ちょ、ちょっと待ってくれ。どういう事だ?
俺、もしかして信長兄上に脅されてるのか!?
だけど俺だって馬鹿じゃないんだ。誰にでもこんな知識がありますよなんて吹聴したりなんてしない。信長兄上だから、信長兄上だからこそ、惜しみなく知識を披露してるんだ。
なのに、俺を、疑うのですか―――!?
「こ、こら。泣くな。俺がいじめているようではないか」
悲しくて、勝手に涙が出てきた。
くそう。一応俺は精神年齢は前世含めてアラフォーだぞ。なのになんで涙が出てくるんだ。
現生の体に、前世の精神が引きずられてるとでも言うんだろうか。
「で、でも、兄上が私を脅されるからではないですか」
悲しくて、悲しくて。
ポロポロと勝手に流れる涙を手でぬぐいながら、俺は信長兄上を睨みつけた。
俺は、信長兄上が本能寺の変で死なないようにがんばってるのに、こんなに信用されてないなんて。
俺の……俺の今までの努力は何だったんだ!
「待て。だからそうではないと言うに―――ああ、恒興、どうにかせよ!」
信長兄上に名指しで呼ばれて、ツッチーはさっきの信長兄上よりも大きなため息をわざとらしくついた。
「喜六郎様。殿はこれ以上ないというくらいに言葉の足りぬお方ですが、喜六様の事はとても大切に思っていらっしゃいますよ。殿の日頃の行いからとてもそうは思われないとは思いますが、あのげんこつも言葉の足らぬ殿の精一杯の愛情表現なのです」
信長兄上をフォローしているんだか貶しているんだか分からないツッチーの発言に、俺はぱちくりと目を瞬いた。
正解は望月千代女でした。喜六、惜しい。




