3-3 ナイトへの依頼
落ち込んでいる間にダイニングについた。
「荷物は、とりあえずそちらへ。梨緒子ちゃんも喉渇いたでしょう。何か飲んでください」
指さされた場所に、大きな白いカゴがあった。旅館のお風呂場にあるような大きなものだ。小さな花がちりばめられていて、見た目は旅館のものとは違ってとても可愛い。そこへ、リュックを置く。
「スポドリがいいです。瑠々が美味しそうに飲んでいたから」
「そうですね。僕もそうします」
微笑みあって、淳悟さんはキッチンに姿を消した。水ようかん、渡さなくちゃ。
グラスに氷を入れて戻ってきた淳悟さんにくしゃくしゃになった紙袋ごと差し出す。そこで、お母さんから「紙袋から出して中身だけ渡すのよ」と言われていたことを思い出した。そうだった、と箱を取り出す。慣れないからあたふたしてしまう。
「水ようかんです。お口に合うかどうかわかりませんがどうぞ」
覚えてきた言葉と共に差し出す。言えた。
淳悟さんはふふっ、と軽く笑うと、両手で箱を受け取った。
「ありがとうございます。水ようかんなら、冷蔵庫で冷やしておいたほうがいいですね」
「はい」
箱をキッチンへ持って行き、すぐに冷蔵庫に入れて戻ってきた。
「梨緒子ちゃんは、きちんとした親御さんに育てられているのですね」
淳悟さんはしみじみとした様子で、二リットルボトルから氷の入ったグラスに注ぐ。
淳悟さんが椅子に腰掛けるのを待って、私はグラスに口をつけた。
「そうですか? 普通ですよ。お父さんはあんまりしゃべらないし、お母さんとお姉ちゃんはふわふわしているっていうか、細かいことは言わないんです。だから家族にうるさく言われる事もありません」
お土産の渡し方も、今回のことがなければ知らないままだっただろう。
「中学一年生で、大人に敬語使えない子もたくさんいますから。それに、お土産の渡し方も、指導されてきたんだなってわかります」
バレてた。見透かされたことが恥ずかしくて、私は顔を隠すようにグラスで顔を隠した。
「電話でお母様と直接お話しましたけれど、梨緒子ちゃんをとても愛していらっしゃるんだなとわかりました」
愛している、なんて海外ドラマで聞く言葉だ。どうして親子で愛しているって言い合えるんだろう、っていつも不思議だった。
「どこのおうちも、そうだと思いますけれど」
当たり前のように育ってきた。だから自分の家庭のことを客観的に考える時なんてない。けれど、こうして言われると、私はちゃんと愛されて育ったんだなと実感する。
「僕が偉そうなことは言えませんが、人とはかなり触れ合ってきたほうだと思うので、色々わかることもあるんです」
苦笑して、グラスに口をつけた。唇は厚すぎず薄すぎず。歯並びがよい口に触れるグラス。
なんだか照れてしまって、私は目を逸らす。
「帰ったら、褒めてもらったって報告しますね」
うへへ、と可愛くない笑い声が漏れる。親が褒められても嬉しいんだな。淳悟さんは笑顔ながらも首を振った。
「そんなそんな。こんな若い人間に褒められたなんて、却って気を悪くしますよ」
「でも、淳悟さんは見た目より随分大人っぽいです」
瑠々ほどじゃないけれど。
黒縁メガネの奥の瞳を見つめる。太陽の光が射し込む明るい部屋でも、黒い瞳は瑠々に似ている。
「大学時代は、隠居、ってあだ名されていました」
「いんきょ、ってなんですか?」
「自由に余生を楽しむおじいさん、という事です。それぐらい落ち着いていたということでしょうか」
それが嬉しいあだ名かどうか、判断しにくい笑顔で答えてくれた。大学時代の淳悟さんはどんな生活をしていたのだろう。
「あの、嫌だったらいいんです。淳悟さんのこと、聞いてもいいですか?」
少し目を開いて驚いた様子を見せたが、淳悟さんはもちろん、と頷いた。よかった、とほっとした気分で、私は聞きたいことを頭の中に浮かべる。
やはり気になるのは、最初に聞いた瑠々との関係性。
「瑠々から、下僕とか奴隷とか従業員って言われていますけど、お二人はどういう関係なんですか?」
先ほど、瑠々の体調が悪いことでの慌てようを見ていると、本当は好きなんじゃないか、と思っている。それを聞いたら、私はフラれることになるのだけど、お泊りをするのだから真偽ははっきり確かめなければ! 大丈夫、真実がどうであれ、私はあくまで瑠々とお泊まり会を楽しむだけ。気持ちを切り替える事は、スポーツをやっていればよくある場面だ。
「そのままの意味ですよ。オーナーと従業員というのが一番しっくりきます。瑠々さんからお給料を貰って、ここで『雨傘』探しに協力しているわけです」
「お給料?」
「はい。僕は春に大学を出てから定職にもつかず、家業も継がず過ごしてきました。何もせず、何をしていいかもわからず、日々流れるまま過ごしていたんです。世間の学生が夏休みを迎えたとき、瑠々さんから「ヒマなら手伝え」と言われまして。唯一自由人だった僕が選ばれたわけです」
私の頭が悪いのか、途中から理解できないぞ。どうしてヒマしているからって、小学六年生から給料をもらえるのだ。
瑠々の中身がおばあちゃん、という話は一体どういうことなのだろう。背中にチャックらしきものもない。
「瑠々は、何者なんですか? この間の話は本当なんですか?」
緊張なのか興奮なのか、口が渇いた。グラスに口をつけ、淳悟さんの返答を待つ。
「それは、瑠々さんから直接聞いてください」
笑顔で受け流される。肝心な話なのに。
だったら、もう一つ大事なことを聞こう。
「淳悟さんは、瑠々のこと好きですか? 恋心的な意味で!」
恋心、という言葉に面食らったようで、淳悟さんは一瞬動きを止めた後、肩を震わせながら笑った。
「ないですないです。そんな恐ろしいこと。そんなこと思っていたんですか」
目じりの涙を、メガネの隙間に指を入れて拭っていた。恐ろしい、とはどういう意味なのかわからないけれど、違うならいい。
「僕は、ある方から瑠々さんを守るように頼まれたんです」
そんなナイトのような依頼、誰からだろう。淳悟さんはなんでも出来るんだな、素敵。
うっとりしていたせいで間が空いた。その隙に淳悟さんは立ち上がってしまった。
「お昼ご飯にしましょうか。お腹すいたでしょう」
ダイニングの中の時計を探すが、時計は見当たらなかった。
「瑠々さんが、朝作っていたのですぐに用意出来ます」
「ありがとうございます」
手伝おうと腰を浮かしかけると、淳悟さんは手で私を制した。
「もうお皿に並べてありますから、冷蔵庫から出すだけです。飲み物はオレンジジュースでいいですか?」
「はい、大丈夫です。私なんでも平気なんです」
「そうはいっても、中学生にカフェオレはダメでしょう、と瑠々さんに叱られましたから」
苦笑して、淳悟さんはキッチンに入って行った。そうすると姿が見えなくなるから不安になる。料理している後姿を見てみたいな、と思うけれど、怪しい人になるからやめておこう。
カフェオレって、別に中学生でも飲めると思うんだけどなぁ。
ダイニングにはインテリアと呼ぶほどのものはない。とはいえ、天井は高いし、八人が座れるテーブルが中央にあっても邪魔にならないのだから、私の部屋よりもずっと広い。
観察していると、淳悟さんは本当にすぐ戻ってきた。
「お待たせしました」
トレイから私の目の前にお皿を置く。
「生ハムのカスクールです」
「かす?」
「バゲットというフランスパンを使ったサンドイッチです。生ハムにチーズ、レタスを挟んであるものです」
なんてオシャレなものを。聞いた事もない。
さらに、英語なのか何語なのかわからないラベルが貼られたオレンジジュースのビンと、グラスを置く。普通のスーパーでは見かけたことがない、と思う。
注がれたジュースは、私の普段飲むものより色が濃かった。
「どうぞ、召し上がってください」
「いただきます」
白地に青い模様の平らな皿にサンドイッチが乗せられている。手にしたバゲットは固いパンだ。フランスパンと言っていたけど、名前が違うのはなんでだろう。聞いたら恥ずかしいかも、と思って黙って口にした。
さくっとした食感。口の中には、生ハムのしょっぱい味が広がる。そういえば、生ハムを食べるのも初めてだ。
「とっても美味しい。こんなサンドイッチ今まで食べたことないです」
オレンジジュースを一口。こっくりとした舌触りで美味しいけれど、子どもには濃い気がする。
「こんなに高そうなもの、私にはもったいないです」
というわりには、口はカスクールを求め常に動いていた。美味しいものは美味しい。
私の正面に座って、同じくカスクールを食べていた淳悟さんは、小さく首を振る。
「瑠々さんの感覚ですから。何も考えずに食べてください。僕も、彼女と行動を共にしなければ食べません」
「淳悟さんが、好きな食べ物はなんですか?」
うーん、と少し考えて、恥ずかしそうに答えた。
「牛丼、かな。安いチェーン店の」
「えっ、意外!」
気安く会話したいのだけど、緊張している。淳悟さんの前で、お上品に食べながらというのは難しい。
けれど固いフランスパン、もといバゲットに苦戦し、ぽろぽろとパンのカスがこぼれてしまう。恥ずかしい、と思いながら淳悟さんの手元を見ると、同じようにカスをこぼしていた。
「男はああいうものが好きなんですよ。結局ね」
「私も子どもだから、カレーとかハンバーグとか、そういうので充分なんです」
私のために、睡眠を削ってまで肉を煮込んで、朝からオシャレなサンドイッチを作って。瑠々の体調が悪くなったのは、やはり自分のせいだ。
カスクールを皿に置き、オレンジジュースを口にする。
「どうして、ここまで頑張るのかな」
独り言がこぼれる。
私の為になんでだろう。泊まると決まった時のお辞儀をした所作といい、瑠々は力を入れるとことがわからない。
「楽しみにしているから、何かしていないと落ち着かないんですよ」
「そうは見えないんですけれど。いっつも怖い顔」
笑いを堪えながら、淳悟さんはカスクールを口にして、もぐもぐと噛んでいた。なんだか、焦らされている気がする。私も残りのカスクールを口にした。私の方が先に食べ終わった。早食いみたいでちょっと恥ずかしい。
「ごちそうさまでした」
オレンジジュースを飲んで、淳悟さんが食べ終わるのを待つ。
「ごちそうさま。お待たせしました。僕は食べながらおしゃべりするのは苦手なので」
「食べながらしゃべるのは、よくないですよね」
さっきまで自分はしゃべっていたけれど。恥ずかしくなって視線を落とす。
「お皿、片付けますね。テーブルも拭きましょう」
固いパンのカスは落ちやすい。淳悟さんも自分の前を指差す。同じようにこぼしているのは見ているが、その気遣いが嬉しい。
お皿をトレイの上に置いた。私が運ぼう、と思って立ち上がるより前に淳悟さんはトレイに手を出し、キッチンへと持っていった。どうしても手伝わせないつもりらしい。なんだか悔しい。
ふきんを持って戻ってくると、テーブルの上をさっと拭いた。その動作も様になっていて、かっこいいなぁと見とれてしまう。
オレンジジュースはそのまま、淳悟さんはふきんを端に置くと席についた。
「えーと、なんでしたっけ」
「瑠々が、わくわくしているとかっていう話です」
「ああ、そうでした」
忘れていたのかとぼけているのか。掴みどころがない人だ。瑠々とは別の意味でマイペース。
「瑠々さんは『雨傘』を探すためと言っていましたが、本当はもう一つ目的があるんです」
ちらっと私を見て、淳悟さんは笑顔になる。
「覚えていませんか? 最初に会った日のこと」
最初に会った日。どんなことがあったか思い返してみる。そういえば、ケンカをした原因ってなんだったかな。
こわーい顔で、私を拾ってきたと淳悟さんに言っていた件だ。
「もしかして、友達ですか?」