2-2 しょうがと紅茶とお泊り会と
昨日と同じダイニングに通された。涼しくて気持ちがいい。暑さには強いし、夏は大好きだけど、エアコンの涼しさも好きだ。
「そうだ、朝ジンジャーブレッドを焼いたの。よかったら食べて行って。二人じゃ食べきれないから。そうだ、紅茶は飲める? 淳悟、アイスティーいれてあげて」
口数多く、瑠々はあれこれ提案し、淳悟さんに指示を出した。
「ジンジャーブレッドって何?」
初めて聞いた。ジンジャーってしょうがだっけ?
「小説を読んでいたら出てきたからレシピ調べて作ってみた。しょうがを使ったパンというか、スイーツみたいなもの。私もまだ食べていないわ。どんな味かしら」
昨日も使っていたタブレットを指でコンコンと軽く叩く。カバーも何もつけていない、そっけない黒のタブレット。今日も画面に指紋はついていない。
昨日は私の前に淳悟さん、その隣に瑠々が座っていたけど、今日は私の正面に座った。淳悟さんはキッチンへと姿を消す。
黒目の大きな、可愛い瞳で私をじーっと見る。頬杖をついて、これが写真だったら見とれてしまいそうな可愛らしさ。でも、今は睨まれているだけで、エアコンで冷えた背筋が凍りそう。
「凄いね、私、お菓子作りなんて出来ない」
他にも聞くべき事はあるはずだが、まだ核心には行けない。適当に話を続ける。
「お菓子って、本当に細やかな計量が必要なの。ちょっとでも量を間違えたら膨らまないし、手抜きすると食べられたものじゃなくなる。あなたみたいにがさつな子には向いていないわね」
ふふん、と口角を意地悪く上げる。
嫌な子!
私は反論せず黙った。図星だからだ。計量なんて適当でいいじゃん、ってやったらクリームは固まらなかったり、粉が固まったり。
「ところで、なんでまた今日来たの? 私とまたケンカしに来た?」
「違います、忘れ物を取りに来ただけです」
親に嘘ついちゃったから、それを事実にするためにお願いがある、と言えなかった。やっぱりこんな子と一晩同じ屋根の下で寝るなんて、イライラしすぎて体調崩しそう。
「忘れ物? 手ぶらじゃなかった? 今日も何も持っていないし。年頃の女子が珍しいわね」
「余計なお世話」
そんなことより。
「あのさ、あの蔵って、誰か閉じ込めているわけじゃないよね」
閉じ込めているという私の言葉に、瑠々は一瞬言葉を失い、それから笑った。
つんと冷たい顔でも皮肉めいた笑みでもない。同世代の子と話していると実感できる笑顔だった。しかし、それをじっと見つめる私の顔を見ると、瑠々はまた冷たい顔に戻った。
「何、その顔。怒ってる?」
怒ってる? と聞かれ、私はとんでもないと首を振った。
「可愛い笑顔だな、って思って見ていただけだよ」
すると、瑠々は恥ずかしそうに両手で顔を覆った。姿形に見合う仕草だ。
「やめなさいよ、可愛いって言うの」
指の隙間から、白い肌が赤くなっていることに気がつく。照れてる。マジか。私の中で、この子が照れる、笑う、という感情表現があることが驚きだった。
「私に対して、そんな感想持っているとは思えない表情で見ていたような気もするけど」
怒っている、と言われた。私は自分の顔をつんつんつつきながら、ため息をついた。
「私に友達が出来ない理由は、こういう顔つきだから、っていうのもあるかも」
汗でべたつく顔。日焼け止めは塗らないから、きっと二学期には真っ黒になっているだろう。さらにその顔が怖く見えるかも。大問題だ。
「あれ、いないって正直に言った。強がりそうな所なのに、今日は素直ね」
「どうでもいいかなぁって。そんな見栄はっても仕方ないし」
昨日とは違って、私自身、肩肘張らずに済んでいる気がする。瑠々にいいとこ見せようとも思わない。既に見苦しいところを見せているのだし。
「二人とも、汗かいて喉渇いたでしょう。おしゃべりの前に、どうぞ」
淳悟さんがやってきて、私と瑠々の前にアイスティーを置いた。透明で大きなグラスは、模様が施されていた。ガラス細工、だろうか。
「わー、おしゃれ。丁度喉渇いてきました。いただきまーす」
重いグラスを持ち上げ、ストローを口に運ぶ。なんだかんだ言っても、喉が渇いていたから一気に半分飲んでしまう。はしたなかったかな。ちらりと瑠々を見ると、口をすぼめて一生懸命飲んでいた。半分程飲むと、ふぅと体をリラックスさせる。お互い、喉はかなり渇いていたようだ。
「熱中症にならないように気をつけなさいよ」
呆れたように、お母さんに似た口ぶりで言う。
「家出る前に、スポドリ一リットル飲んできたので」
「すぽどり?」
カタコトで、瑠々が首をかしげる。
「スポーツドリンク。アクエリアスとかポカリスエットとか」
説明すると、ああ、と納得した様子だった。
「一気に一リットル飲んで大丈夫なもの?」
呆れたように瑠々は顔をしかめる。確かに、飲みすぎかも。でもちょこちょこ飲むのは苦手なんだ。
「平気。私は頑丈だから。瑠々ちゃんこそ、ひ弱そうだから気をつけなさいよ」
「私はベッドサイドにも水を置いているし、塩飴も常に携帯している。それにスポドリ? っていうのも常備しているから平気よ」
どうだ、完璧でしょ? そんな表情で私を見つめ返す。
「アクエリアス派? ポカリ派?」
唐突な私の質問に、瑠々は眉をひそめる。
「熱中症対策には、どちらがいいってあるの?」
「いや、味の好みの話」
肩透かしを食らったように、瑠々はつまらなそうに目を細くした。
「あ、そう。私はアクエリアスね。アッサリしている気がする」
「私も!」
同調してから気恥ずかしくなる。学校にいるのと同じテンションで会話してしまった。こんな他愛ない会話で、私はクラスの子や部活の子と友達になったつもりでいた。
「お待たせ。ジンジャーブレッドです。瑠々さんの手作りですよ」
淳悟さんが持ってきたのは、白い無地のお皿に乗せられた、小麦色のパンだった。薄くスライスしてあって、三枚を波のようにずらして置いてあった。白いホイップクリームも添えられていて、ケーキのようにも見える。
目の前に置かれて、じっくり観察してしまう。しょうが入りケーキ……美味しくなさそうだけど、見た目は食欲をそそる。
「どうぞ、食べてみて」
瑠々に促され、私はジンジャーブレッドをフォークで一口サイズにカットする。ホイップクリームをつけ、口に入れる。
ほのかに香るしょうがと、しつこすぎない甘さが口に広がる。しっとりしていて、パンとケーキの間、という感覚だ。
「美味しい」
瑠々の顔を見て言う。すると瑠々は笑顔になり、続いてジンジャーブレッドを口にした。そして満足そうに頷いた。
「なるほど。こういう味なのね。これぞ英国式って雰囲気だわ」
英国式、というのがよくわからないけれど、確かにイギリスのティータイムにありそうだ。私はまたジンジャーブレッドを口にしながら、ようやく席についた淳悟さんを見た。
「本当に、瑠々ちゃんが作ったんですか? 淳悟さんじゃなくて?」
小学生が作るには、少々大人っぽいというか渋いというか。淳悟さんは首を振った。
「料理は瑠々さんのほうが断然お上手なので、口を挟む余地はありません。まぁ、お皿洗いは僕の仕事ですが」
そう言って、ジンジャーブレッドを口にする。
「洗い物は嫌いなの」
瑠々も、悪びれる様子なくジンジャーブレッドをもぐもぐと口にしていた。
先日の「奴隷、下僕」といった言葉を思い出す。
美味しい食べ物で誤魔化されるところだった。本題が大事ではないか。
アイスティーで喉を潤し、私は瑠々と淳悟さんに向き直った。
「あの、さっきの蔵での話。私、聞いちゃったんだけど」
「閉じ込めている人なんていないわよ」
「それは……冗談というか、確認。あの会話は瑠々ちゃんと淳悟さんとのものだよね。ということは、瑠々ちゃん、なんなの?」
「なんなの、って言われてもねぇ」
焦らすように、アイスティーを口にする。淳悟さんはにこやかに私たちを見守っていた。
「だってさ、小学六年生とは思えない話ばかりするじゃない。不思議」
知識が深いだけでは済まされない、経験あってこその会話だったような。私の疑問に、瑠々はまだ答えない。
「じゃあ、どうだったら納得する?」
挑発的な視線を私に寄越す。難しいなぞなぞを出された気分だ。じゃあ、私も意地悪に返してしまおう。
「若く見えるだけで、本当はおばあちゃんなの?」
我ながら突飛もないことを言っている。また、大笑いしてくれると思った。けれど、瑠々は人差し指を立ててまた皮肉めいた笑みを浮かべた。
「正解」
またまた、悪い冗談を。私が反論しようとするが、瑠々は話を続けた。
「正確には若く見えるおばあちゃんではなく、孫の体に寄生したおばあちゃんだけれどね」
ぎこちない仕草でウインクした。今時、アイドルの子しかやらないような。
正確に言われたところで、私にはうまく処理できない。どういうこと? こちらは冗談のつもりだったんだけど。
助けを求めるように淳悟さんの顔を見る。
「残念ながら、事実です」
残念に思っていない様子で、アイスティーを優雅に口にしていた。キッチンでこっそりスポドリを飲んだのだろうか。あまり量は減っていない。飲みなれないアイスティーより私もスポドリがよかった、とは言えない。
アイスティーを口に含む。さっきより苦く感じた。
「事実と言われても。おかしな嘘ついてまで隠したいんですね」
言葉をどう続けていいかわからなくて、ジンジャーブレッドをフォークでいじくる。ふわっとしたしょうがの香りが、大人のお茶会という感じだ。
「納得しなくて構わないわ。ところでふじくぼの事は、誰かに話した?」
「ううん。誰にも」
「じゃあ、今日聞いたことも言わないでね。面倒なことになるのは嫌だから」
「もし言ったら?」
東京湾に沈めようとでも言うのか。怯えながら言うと、瑠々は肩をすくめた。
「別に困ることはないから構わないけどね。それになんとなく、あなたはあれこれ言いそうもないし」
「信用しているってこと?」
私の意気揚々とした言葉。反対に、瑠々の顔は渋くなる。
「どうして会って二日の人を信用しなくちゃいけないのよ。大げさな話じゃなくて、あなたのことはそう見えているって言っているだけ」
それを信用と言うんじゃないのかと思ったけれど、瑠々はこれ以上つっこむな、と怖い顔をしていたのでやめておいた。素直じゃないと、美少女も台無しだ。
ジンジャーブレッドをすべて食べ、残りのアイスティーも飲み干した。
「ごちそうさまでした。とってもおいしかったです」
「私が作ったんだからあたりまえよ」
言葉とは裏腹に、嬉しそうに瑠々はアイスティーに口をつけていた。褒められることに弱い様子だ。
「ほら、食べる物食べたらさっさと帰りなさい」
しかし、あまり仲良くはしてくれない。冷たい対応だ。しかし今日の私は、さっさと帰れと言われて帰るわけにはいかない。
「あの、ちょっとお願いがあるのですが」
瑠々と淳悟さんの顔を交互に見て話を切り出す。お泊まり会をして欲しい、なんて言ったらなんと言われるだろうか。
言わないわけにはいかない。「お泊まり会をする」って言った時のお母さんとお姉ちゃんの顔が浮かぶ。どこかで私のことを心配してくれていたんだ。もし「あれはなくなった」と言ったら、嘘をついていたと思われてしまうのではないか。
昨日からの不安が、また強く押し寄せる。
「お願い? 何?」
渋い表情のまま、瑠々は首をかしげる。
アイスティー、全部飲まなきゃよかった。急に喉がカラカラになってきてしまう。しかし、怖気づいてはいけない。
「瑠々ちゃんの目的、あるじゃない。『雨傘』を探すって。まだ見つかってない?」
「残念ながらね」
ごくり、と唾を飲み込んで切り出した。
「それを探す手伝いをする代わりに、私とお泊り会してくれないかな」