1-3 嘘に嘘を重ねて
カフェオレを飲み終え、屋敷を出た。
淳悟さんが、元のキャンプ場跡まで送ってくれる。歩きながらも気を遣って、いつもどんなテレビ見るの? 最近どんな遊びが流行ってるの? と、他愛の無い話で場を繋いでくれた。
救われる気持ちで、私はそれなりに明るい気持ちに戻ったような気がした。空元気かもしれないけれど。
「それじゃ、まだまだ暑いですから。熱中症には気をつけて」
セミの鳴き声が大音量で響く中涼やかな表情で、淳悟さんは私に別れの言葉をかける。冷えていた体からは、また汗が噴き出していた。
「ありがとうございました。カフェオレ、ごちそうさまでした」
そういう私に、笑顔で小さく手を振ると、淳悟さんは背中を向けてあのお屋敷に帰っていった。
それを見送ると、私もキャンプ場を囲うフェンスを抜けた。鍵もかけず置きっぱなしにしていた自転車にまたがる。これから、また二十分かけて家に帰らなければ。
夕焼け空にはまだ遠いけれど、真っ青だった空は薄くなってきている。
夏は、日が長いから好きだ。暗くなると、眠たくなってしまう。眠るのも大好きだけど、時間がいくらあっても足りなくなるから。
舗装されていない砂利道を下っていく。登るのは大変だけど、砂利道を下っていくのは怖い。足元を小石が飛びかう。
それにしても、不思議な場所だった。
山道を抜け、大通りが見えてきた。たくさんの車、信号機を見ると、さっきまでの浮世離れした空間は本当にあったのか、と思ってしまう。
家の近くに来るとコンビニがあって、お花屋さんがあって、ドラッグストアがあって。物心付いたときから見慣れた風景を通り抜けていく。
自分の家は、同じ建物が並ぶ建売の一戸建て。
小さな駐車スペースには、お母さんとお姉ちゃんの自転車が止まっていた。お父さんの車はまだ帰ってきていない。
風を浴びなくなると、途端に暑さを感じる。
ウンザリした思いで自転車に鍵を閉めて、玄関を開ける。独り言のように「ただいま」と呟いて、棚の上に鍵を置いた。
「おかえり。なんだか元気ないね」
ちょうど、二階から降りてきたお姉ちゃんと鉢合わせた。
「そんなことないよ。暑くて。喉渇いた!」
元気を装い、私とお姉ちゃんはリビングに入っていった。エアコンが効いていることを期待していたけれど、どうやらつけたばかりのようで、西日に照らされた部屋は蒸し暑かった。エアコンはつけっぱなしの方がいい、と淳悟さんは言っていたけど、本当かな。
台所で夕食の準備を始めていたお母さんにもただいま、と告げ、冷蔵庫から麦茶を取り出した。
コップに注いで、一気に飲む。空になったコップにもう一杯、麦茶を注いでリビングのソファに腰掛けた。
一番エアコンの風があたるところだ。
いつも通り、テレビのリモコンを手にして画面をつけた。行列の出来るカキ氷店の紹介をしている。
ふわふわの氷の上に、たっぷりのフルーツ。美味しそうだけど、私は原色で甘いだけのシロップが乗ったカキ氷の方が好きかも。安いし並ばないし。
「梨緒子、熱中症になったらいけないから、せめて飲み物を買うお金くらいは持っていってよ。今日も、なんにも持っていかなかったの?」
お母さんの忠告に、私は生返事をした。荷物があるのは好きじゃない。いつも手ぶらだ。
手ぶら?
そういえば! 持って行ったサッカーボール、忘れていた。どこに置いていったんだろう、と頭を巡らせる。
キャンプ場跡で蹴って拾って、ふじくぼに行くまでは手にしていた。ダイニングの端に置いて、帰りにはすっかり忘れて持っていなかった。なんていうことだ。
がっかりしていると、今度はお母さんの手伝いをしているお姉ちゃんから声がかかった。
「梨緒子、今日も一人で遊んでたの?」
「そうだよ」
「一人でいるほうが好きなの?」
なんの意味もなく、ただ興味として聞いているのだと思う。けど、今の私にとってはドキッとする話だ。もう八月に入っているのに、部活にふらっと行くぐらいで誰かと遊んではいない。探りを入れられている。
「まぁね、せっかくの夏休みだし。でも友達もいるよ。私、社交的だし」
スラスラと口をついて出る嘘。お姉ちゃんより社交的なつもり。
おしゃべりが得意なつもり。実際は、優しくて穏やかなお姉ちゃんの方が友達は多い。高校生の今も、小学校、中学校時代の友達が遊びに来るくらい。お泊まり会は何度も行われて、我が家にもお姉ちゃんの友達が来た。可愛がってもらったものだ。
「心配はしてないよ。梨緒子は明るくてとってもいい子だもん。私の友達もみんな、可愛いって褒めてたよ」
お皿を並べながら、お姉ちゃんは微笑んだ。淳悟さんを思い出させる、優しい笑顔。
「平気平気。今度、お泊まり会もあるし」
「そうなの?」
お母さんも話に入ってきた。そんな予定一切ないし、相手もいない。頭で考えていたら口に出てしまった。
自分が、こんな嘘を平然とつけることに驚いてしまった。私はとんでもない悪党なんじゃないか、と錯覚してしまいそうになる。
嬉しそうに顔を輝かせるお母さんとお姉ちゃんの顔を、半ば呆然としながら見つめ返す。やはり心配されていたのだろうか。こんな嘘で、笑顔になってくれるなんて。
「ウチにくるなら、早めに言ってよ。準備あるんだから」
お母さんが、沸騰した鍋の火を止めて話を進めた。
「い、いや、そのー。相手のおうちにお邪魔するの」
この時、頭に浮かんだのは瑠々だった。勝手に話題にあげるな、と怒っている顔だ。
「だったら、そちらのご家庭にお世話になる前に、連絡とか、お土産とか」
「ま、まだ先の話だから、決まったら言うから!」
とんでもないことになってきた。焦るな。目の前のテーブルに置いてあるうちわを手にして、顔をばっさばっさと扇いだ。
大丈夫。後で、この予定はなくなったと言えばいい。この場は取り繕って、安心してもらえれば。
麦茶を口にしながら、サッカーボールと、お泊まり会の事を考えていた。
一人で、ふじくぼに行ってみようかな。サッカーボール、返してもらうだけだし。