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6 ヒビの入ったキャンディ

 目覚めると、部屋は光に包まれていた。

 間接照明がついたまま、オレンジの光に朝日の白が混じり、不思議な色合いになっている。

 まるでキャンディの中にいるみたいだ。

 オレンジ味のキャンディ。ここで飲んだ味の濃いジュースではなく、一リットル百円のような薄い味。口の中が甘くなったような気持ちになって、私は思わず口を動かしてしまう。

 想い出を作って辛い時に舐め溶かしていけば、きっと大人になって色々な事が起きても乗り越えられる。甘い想い出が助けてくれる。

 瑠々の言葉が、眠った頭の中で再生された。

 腕の中に瑠々はいない。開いた腕の中がすぅすぅして、少し痺れが出ていた。腕をゆっくり動かしながら、あのまま眠ってしまったのだと思い出す。

 ぼけた頭で体を起こし部屋を見渡すと、窓際に瑠々が立っていた。早起きだなぁ。

「瑠々、おはよう。時計がないから何時かわからないね」

 目をこすり、こちらを見る瑠々に挨拶をする。でも、何も言い返してこない。

「どうしたの。何か変? ヨダレ?」

 髪の毛を手グシで整えながら、私は顔を触る。しかし、瑠々は何も言わなかった。

「瑠々?」

 怯えたように、私を見つめている。それは私の知る瑠々ではなかった。

 瞬間、私はどんと胸をつかれて、崖から落とされたような気がした。座っているのに足元がおぼつかなくて、ふわふわとゆっくり落ちていくようだ。

 まさか、という思い。瑠々がふざけたのだ、という思い。どちらの直感を信じたらいいか分からず、私は瑠々をただ凝視した。

 私も瑠々も何も言わない。キャンディの中で、ただお互いを探るように見つめあった。

 ふざけるのはやめて、と言おうとしたけれど、そうする勇気は出なかった。目の前の彼女が、とてもふざけているようには見えなかった。どこかで見たことがある表情。そう、転校初日の子の顔だ。この子から、私の期待する答えは返ってこないだろうな。

 柔らかいノックの音が部屋に響く。キャンディにヒビが入ったような気がして、思わず体を震わせる。そのヒビから淳悟さんの声がした。

「梨緒子ちゃん。起きていますか」

 明らかに、瑠々がほっとした顔をする。

「はい、どうぞ」

 部屋に入ってきた淳悟さんは、すっかり身なりを整えていた。顔が青ざめている。

 何かを言おうと口を開いたものの、すぐに手を口にあて、顔をしかめた。苦しいものを口に含んだみたいで、吐き出したいけれどそうしてはいけないと我慢しているようだ。

 そうか、と私は悟った。目の前にいるのに、いなくなったしまった。

 もう一度、淳悟さんが口を開いた。私と顔を合わせようとしない。

「瑠々ちゃんも聞いてください。おばあさまが亡くなりました」

 私はただ、ベッドの上でうなだれた。三人とも涙がなかった。けれど、悲しみの深さはわかっていた。

 セミの声が遠くに聞こえる。エアコンの音が、うるさく聞こえた。

 何かしらの感情を出したら。少しでも動いたら、泣いてしまいそう。私は何も考えないようにした。

 だけど、瑠々は私の中から消える事はない。

 カレーの味。カスクールの味。水ようかんの味。

 緑のにおい。ミントのにおい。火薬のにおい。

 青い傘。紫色の手ぬぐい。オレンジ色のナイトウェア。ガーベラ。部屋の隅に転がる白黒のサッカーボール。

 サッカーしようって言ったのに。私が教えてあげられる事ってそれくらいしかなかったのに。

 約束を守らないなんて、瑠々らしくないじゃない。

 でも平気、こうなるってわかっていたから。傷ついたりしない。覚悟していたもの。わかっていて、この短い夏を過ごしたんだ。だから大丈夫、落ち込んだりしないよ。

 しかし、その私の思惑を無視するかのように瑠々が……本物の瑠々ちゃんが私の手を握った。そのあたたかさは瑠々と一緒。中身が変わっても、体は一緒だから当たり前なのだけど。

 瑠々ちゃんを凝視すると、恥ずかしそうにうつむいて、振り絞るような声で言った。

「おばあちゃま、言っていたの。梨緒子のこと頼むわって。だから、その」

 震える手で私の手をつつむ。目を合わせてはくれない。いつだってこの顔は自信に溢れた顔で、挑戦的に私を見てきたのに。

 瑠々はどちらにも「頼む」って言うんだから。しかも、この子は私より先に気持ちを立て直して励ましてくれる。

 どっちの瑠々も凄い。私は情けなくて悲しくて、涙が溢れた。また助けられてしまった。私がいつも、そこにいるだけでなんの役にもたっていないのに。楽しい話をするわけでも、気の利いた事が出来るわけでもない。ワガママで、口ばかり達者で、思った事が顔に出るだけ。

 グリ、と口の中がきしんだ。食いしばった奥歯が痛い。

 何も出来ない、してあげられなかった。

 その気持ちが読まれたみたいに、瑠々ちゃんはさらに口を開いた。

「梨緒子のおかげで、美味しいキャンディ作れた、ここにいてくれてありがとうって。おばあちゃま、そう言ってました」

 涙を堪えて、弱弱しい声ながらも瑠々ちゃんは私を励ましてくれた。

 あの人は、私の事をわかってる。悩みの種がなんなのかわかっていて、フォローまで用意してくれている。

 嘘だ。傷ついていないなんて。平気なフリして、見ないようにしていた。見てしまったら、それと向き合う強さが私にあると思えなかったから。

 花火の時。瑠々は「最後まで見届けて」と言った。

 きちんと向き合って欲しいと願った。私はそれを放棄した。やりたくないって駄々をこねて。

 瑠々も無理強いはしなかったけれど、本当は最後の線香花火を一緒にしたかったのだろう。

 キャンディではふさぎきれないヒビはどうしたらいいの? これも、いつかは甘い想い出がふさいでくれるの?

 無理だと思う。

 涙も声も鼻水も、どんどん溢れて止まらない。鼻も喉も、焼けるように痛く、まぶたは誰かに押されているみたいに重い。こんな想いは一生癒されないに決まっている。

 瑠々ちゃんも淳悟さんも、一緒に泣きながら、肩を抱きながら悲しんだ。部屋の空気がなくなるくらい、いっぱい泣いた。誰かが亡くなって泣くという経験が初めてだった。

 瑠々はこんな初めてまで残した。悲しい感情なんていらないのに。どうせ、これも大人になるための準備とか言うんでしょ。

 さようなら、私の大好きな友達。星になって、悪い大人にならないように監視し続けてね。

 新しい友達を残してくれてありがとう。

 ぎゅう、と私は瑠々ちゃんの手を握った。そうすれば、監視中のあの人にこの気持ちが届くと信じて。



   終わり

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