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5-3 パジャマパーティー

 喉が痛い。自分が思うよりも大きな声で叫んでいたみたい。

 泣きたいのは、絶対に瑠々の方だ。でも、『雨傘』の中からラブレターを見ても、私が今のように取り乱しても、瑠々は感情を表に出さない。それが大人になるってことなんだろうか。

 お風呂に入りながら、瑠々の強い顔を思い浮かべる。

 暑いからもういいや。湯船には数十秒浸かっただけで出た。ひとりのお風呂はなんだか寂しい。それに、長く入っていたら、乱入を待っていたみたいになる。それは面白くない。

 手で顔を仰ぎながら部屋に戻ると、私のベッドに瑠々が腰掛けていた。当たり前のような顔で。

「おかえり」

「びっくりしたぁ」

 ピンク色の、ひらひらしたナイトウェア。透けた素材を重ねてある。ワンピースタイプで、裾がとっても長い。パジャマパーティーと言うには庶民感があまりない格好で私を待ち受けていた。なんだろう、瑠々のセンスってちょっとわかんない……。

「湯加減はいかがだったかしら」

「はぁ、大変よろしかったです。瑠々、お風呂は?」

「もうひとつあるから、そっちに入った。梨緒子って案外長風呂ねぇ」

「髪の毛長いから」

 お風呂、もう一個あるのか。そうか、ホテルだったんだもんね、と私は頭を落ち着かせる。ひとりで時空を超えているから、お風呂も一秒で済ませられるんじゃないか、って気になってしまう。

 瑠々は、部屋の隅を指差した。そこには、すっかり存在を忘れていたサッカーボールが置いてある。本当に忘れたらお父さん泣いちゃうな。

「サッカーボール。庭に置いたままだったから持って来た」

「そうだった。ありがとう」

 湯上りで汗ばむ首筋から、おろしたままの髪の毛を手で浮かせ、風を送る。その姿を瑠々はじっと見ていた。

「似合うわね。私の見立てどおり」

 先ほど買ってきた、ふわふわで淡いオレンジ色のパジャマを見ている。私は妙に気恥ずかしくなって、持っていたバスタオルで前を覆った。タンクトップとショートパンツ、袖が七分丈パーカーの三点セット。今はパーカーを着てはいないけれど。

「あの、今頃聞くのはおかしいけど、後でお金払えって言わないよね」

 照れ隠しに話題を逸らした。本当に気になっていることではあるけれど。

「言うわけないでしょ。私を誰だと思っているの」

「瑠々様です」

 ありがたいありがたい、と私は瑠々を拝んだ。瑠々は心底おかしそうに吹き出した。そんなに面白いことをしたつもりはないんだけれど。

「梨緒子に貰った水ようかん食べましょう。これから最後の夜、パジャマパーティーだよ!」

 パジャマパーティーのお供が水ようかん。自分が食べたいから持って来たんだけど、変な感じ。

 小さなテーブルの上に黒い和皿が置いてある。そこに並べられた水ようかんは、買ってきた値段よりも高級に見えた。麦茶もセットで置いてある。

 瑠々は立ち上がり、赤いソファに座った。私にも座るよう促す。近くに座ると、お風呂上りの、甘いシャンプーの香りがした。

「梨緒子はどうして、淳悟にもっと積極的に行かないの」

 窓の外の景色を見る椅子の方向。だけど、外は真っ暗。山を少し登った所にあるから下の様子がわからない。家族の皆は、元気かな。

「いいの。三年後、五年後の将来にかける。その為にも、素敵な大人になれるように頑張る」

「だらしがないわね。あれが伏線と言えるのかしら。淳悟の事だからすぐ忘れる心配があるわ」

 それは気がかりだ。口約束だもん。でも、今はこれでいい。当たって砕けるだけが正解とは思えない。

「瑠々だって、全然経験ないくせに」

 光郎さんと恋する前に結婚したんだから。私は竹のようじで水ようかんを切り、口に運んだ。

「悪かったわね。ま、自分の選択が間違いだった、なんて思わないように。選択を正しくするのも自分の力よ」

 難しい事を言って、瑠々も水ようかんを口にする。選択を正しいものにする。出来るようにしないとね。

「あら、久々に食べたけれど美味しいわね」

 次々と口に運ぶ。話を逸らしたいのだろうか。

「光郎さんからの手紙、嬉しかった?」

 その問いかけに、瑠々は手を止めた。テーブルに水ようかんを置くと、麦茶をひとくち飲んで、頷いた。

「私に、あんな映画のような展開が訪れるとはね。あの人、生きているうちに言ってくれたらよかったのに」

 寂しそうに、でも嬉しそうに目を細めた。

「どうして、光郎さんは『雨傘』を隠そうとしたのかな。裏板に隠して、それが外れなくなったからっていうのは分かるよ。でも『雨傘』は瑠々の……妙さんの大切なものだから、なくなったら探されちゃうじゃん」

「見つけて欲しかったのよ。だから淳悟に教えた。自分が生きている内は恥ずかしい。でも死んだ後なら見てもらいたい。そんなところじゃない? 本当に隠したかったらさっきみたいに無理矢理裏板を壊して、何か理由を付けて額縁を買い換えたと言えばいいだけのことだもの」

 私も麦茶を口にした。香ばしい風味が喉に流れる。

「へぇ。大人って素直じゃないって思ってたけど、そんなことないんだね。ただ大きな声で言えないというだけで」

「そうよ。大人だって単純な生き物だもの。単純に物事を考えるには、少々知識を入れすぎてしまったのかもね」

 ごちそうさま、と言った瑠々は、ベッドにころんと寝転ぶ。ひらひらの服がひらりと広がる。本当にお姫様みたい。部屋の内装を見渡しながら言葉を続けた。

「この体になってわかった。知識があるとか、しがらみがあるだけじゃない。付き合う相手とか、私を見る目も、素直に生きられない原因かもしれないって。梨緒子だって、私が元の姿だったら全然話してくれなかったと思うわ」

 それを言われると、何も言い返せない。人は見た目じゃないなんて言うけれど、嘘だ。

「梨緒子の年齢でも、がんばって肩肘はって生きることもあるでしょう。子どもは子どもなりの悩みがある。でも、大人からしたら、それはとってもキラキラしていて、羨ましいくらいのものなの」

 瑠々はまるで夢を見ているようにぼんやりと、頬を赤らめて瞳をきらめかせていた。そんなに羨ましがられるものではないのに。

「隣の芝生は青く見えるだけじゃない? がむしゃらに生きた瑠々を羨ましく思うよ。私にそういう生き方は出来るのかって」

「出来るわよ。まだ未来があるんだから」

「未来があるとわかってて、それでも出来なかったらって不安があるの。戻れない過去を羨ましく思うより、現実的で残酷な気もする」

 私も瑠々の隣に寝転んだ。ほのかな洗剤の香りと、ぱりっとのりのきいた肌触りがする。

「これからも友達が出来なかったら。恋人が出来なかったら。家族と離れ離れになったら。未来は不安なことしかない」

 思っていても、誰にも言葉にして伝えなかったこと。どうして、この間会ったばかりの瑠々に言えるのだろう。人との出会いってこういうものなんだろうか。

「だから、生きている今、この年齢でしか出来ない楽しいことをするのよ。想い出をたくさん作るの」

 自分の腕を枕にして、瑠々がこちらを向いた。アイドルの写真みたいなポーズだ。

「たくさん作ってどうするの。過去には戻れないのに」

「心の中で、少しずつ溶かしていくの。キャンディみたいにね。辛くなった時、心が苦くなった時、想い出はそれを甘いものに変えてくれるキャンディになるの」

 手で何かをこねるマネをした。お泊まり会の前にもやっていた。キャンディを作るマネだったんだ。

 いまいちピンとこなくて私が眉をひそめると、瑠々は少し考えた。

「たとえばね、梨緒子がお母さんとケンカして、もうお母さん嫌い! って思うじゃない。でも、一緒にお買い物に行ったとか、お弁当作ってもらったとか。そういう些細な、いい想い出があれば嫌いって気持ちは消えていく。そうでしょ。そういう積み重ねは今しか出来ない。だから、今回は私の青春を取り戻すと同時に、梨緒子にたくさん想い出を作って、それを将来挫折したり、嫌な思いをしたりした時に役立てて欲しかったの。大人になって、大怪我しないために。スキーでもそう。転ぶ練習をしておかないと」

 余計なお世話だったかしら、とくしゃっと顔をしかめ、でも笑顔で言った。思ってないくせに、と私の鼻の奥がまた痛んだ。

「なんで、そんな気遣いを私にしてくれるの。なりゆきでこうなったとはいえ」

「さぁね。長くはない人生の……なんていうの、こういう余った時間、サッカーで言うじゃない。ロスタイムから名前変わって……ええと」

「アディショナルタイム。この前も教えたじゃん」

「そうそう。言いにくいったらないわね」

 何回かアディショナルタイム、と繰り返し、瑠々は天井を見上げた。さすがに、天井は白いままだ。時間が足りなかったのかな。

「そのアディショナルタイムに出てきたのは、真っ黒に日焼けしてはつらつとした、素直な感情表現をする私と反対の女の子。でも友達がいないっていう共通点。人生で一度も出来なかった友達の作り方なんて私にはよくわからないけど、この子は面白いなって思った」

 ベッドに横になっているから、長し目のような表情で私を見つめる。偉そうに言っているけど、内容はなんだか悲惨な気がする。

「瑠々って、六十九年間友達いないんだよね」

 つい可哀想な顔になってしまう。瑠々は私の表情を見て眉をしかめた。

「悪かったわね。勉強して、人より上になった気になっていたら出来ないわね。昔は女が大学に行くだなんて、なかなかない話だった。結婚したら忙しくなってね。そうそう。梨緒子に憧れた部分はそこにもあるかもね」

「どういうこと?」

 私に憧れる部分なんてあるんだろうか? ちょっと期待してしまう。なんでもやってのける瑠々に羨ましいと思ってもらえることが一つでもあるなんて。

「昔は男の子ですら、サッカーなんてしなかった。流行ってなかったというか、存在がマイナーだったから。まして女の子がボールを蹴っていたらはしたないって時代だったの」

「へぇー。なんだか面倒な時代だね」

 スポーツ好きとしては、性別で出来るものが減るというのは納得出来ない。私の顔を見て、瑠々は少し微笑んだ。

「今もテレビで見ていて、女の子がぶつかりあって怖いって思うわ。でも、彼女たちはとってもキラキラしている。古い考えやしがらみがあっても、やりたいことを貫ける人たち。そういうパワーを梨緒子にも感じたの。部活何個も掛け持ちして、やりたいことやって。何が悪いのって偉そうな顔して」

 私は慌てて顔を押さえる。最初からそんな顔をしていたのだろうか。

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