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5-2 青春とは

 カレーの匂いが充満するキッチンを出て、私は部屋で休んだ。

 まだ日も傾いていない。いつもの夏休みだったら、ぼんやりしているうちに日が暮れて、今日も何もしなかったと夜になって焦る。

 ここに来てからはひたすら濃密で、めまぐるしく生活している。いつも、どれだけ時間を無駄にしていたのだろう。

 ぼんやり赤いソファに座り、疲れた体をだらけさせていると、部屋にノックの音が響いた。何かキッチンに忘れ物したかな、と思い、立ち上がって扉を開けに行く。

 想像していた瑠々ではなく、どこか居心地の悪そうな顔で佇む淳悟さんがいた。思わず、裏返った声が出そうになる。

「どうしたんですか?」

 冷静を装って言うと、少し首をかしげて淳悟さんは私を見つめた。

「瑠々さんから、梨緒子ちゃんが部屋に来て欲しいとの伝言を聞いたのですが」

 やられた。休憩なんて言っておいて、こういうことを仕組んでいたんだ。瑠々を憎らしく思うのもそこそこに、私は淳悟さんを部屋に通すことにした。

 仕組まれたものだとしても、これはチャンスだから。

 ぱたん、と扉を閉じると部屋が狭く感じた。

 呼吸が浅くなる。落ち着け落ち着け。

「あの、せっかくだから、淳悟さんとお話したいな、と思って。ずっと瑠々とおしゃべりしているから」

 朝、そのチャンスを逃したのは自分なのだけど。

「そうですね。梨緒子ちゃんが瑠々さんと仲良しになってくれて嬉しいです」

 瑠々の思惑に乗せられたとも知らず、淳悟さんは無邪気に微笑む。

 ぽすっとソファに腰かけ、私の話を待つ。大層な話など何もないんだけれど、どうしよう。私もおずおずと、隣に腰掛けた。

 頭の中に、瑠々が言った「十八と二十八なら、大した年の差じゃないわ」という声が蘇る。高校生でも二十六くらいの人と付き合う人はいる。

 その頃なら、私は淳悟さんに恥じないような人間になれているだろうか。あと三年、五年。コーヒーの味がわかるようになるかな。

「淳悟さんは、どんな高校生でしたか?」

 こぼれた言葉は、恋愛に関するものではなかった。

 その質問が少し意外だったように、淳悟さんは目を一瞬細くしてから答えた。

「今と変わりないと思います。人様に自慢できるような事もしていませんし」

「その時は、どんな大人になろうと思っていましたか?」

「どんな。そうだな。そういうものが特に見えませんでしたね。家系もこんなだからちゃんとしていなくちゃいけなかったけれど、どうもやる気がない子どもで。怒られない程度に勉強はしましたが。だから、聞かれると戸惑うな」

 昔を誤魔化すように、自分の頭を撫でている。聞いてはいけない事に踏み込んでしまった。

「すみません」

やっぱり、口は災いの元だ。だから話すことが怖くなる。これでは誰かに本音でぶつかることなんて出来ない。

「梨緒子ちゃん、また落ち込んでる」

 からかうような言葉に、私は顔をあげる。いつの間にかうつむいていた。

「何を尋ねてもいいんですよ。嫌なら答えなきゃいいだけなんですから。梨緒子ちゃんはちゃんと一歩引くことが出来る。だから大丈夫ですよ」

 励ますように、淳悟さんは頷いた。

「私、大丈夫でしょうか」

「大丈夫。僕が保障します」

 その言葉に、私は顔を赤らめた。なんて心強い言葉なんだろう。今すぐ飛び跳ねたいという喜びではなく、ひとりでずっと噛み締めていたいという喜びが体中に広がる。

「あの。淳悟さんにお願いがあるんです。後三年後とか、五年後とか。その時に、また私の話、聞いてください」

 一息で言った。言ってから、心臓が大騒ぎしている事に気がついた。

 おかしな日時指定に、淳悟さんは何か言いかけた。でもすぐに頷いてくれる。

「梨緒子ちゃんの話なら、いつでも聞きますよ」

 私の大好きな笑顔で言ってくれた。もしかして、言いたい事はわかっているのかもしれない。

 それはそれでいい。今私に出来る精一杯はやった。満足感が、心臓の動きを収めてくれる。

「ありがとうございます。淳悟さん」

 緩む顔を押さえるのが大変。うふふ、と言葉に出てしまいそう。

 二人の間に沈黙が流れた後、部屋の扉がノックされ、返事をする前に瑠々が入ってきた。

「出来たわよ、カレー」

 なんだか不機嫌だ。怒ってる。

 お皿準備しますね、と先に部屋を出た淳悟さんの後姿を見ながら、瑠々は私を小突いた。

「何あれ。せっかく時間あげたんだからやることやっちゃいなさいよまどろっこしい」

 やること? 意味がわからないけれど、どうやら瑠々は部屋の外で聞いていたようだ。

「趣味悪いよ、こっそり聞くなんて」

 怒って言うと、ふふん、と憎たらしい笑顔を見せた。

「壁に耳あり障子にメアリー」

 つまらない駄洒落を言って、先を歩く。まったく、メアリーって誰だよ。

 前を歩く瑠々の後姿を見て、私はなんだかぞくっとした。遠くへ行ってしまうのではないか、と慌てて後を追いかける。あんなに憎たらしい顔でも、どこか儚い印象は付きまとっている。

 少し現実離れした気持ちになったけれど、ダイニングに入るとカレーのにおいで空腹を感じ、さきほどまでの不安は消えた。

 瑠々特製のにんにく入りカレーは刺激的で、今まで食べたことのない味だった。

「美味しい。これはハマりそう」

「よかった。インドカレーの定番として有名なのよ。今度、梨緒子がご家族に作ってあげてね。夏って、なんでかカレーが食べたくなるのよね」

 熱い熱い、と顔の汗を淡い紫の手ぬぐいで拭っている。手ぬぐいを使っている人、初めて見た。

 私が夕飯作るなんて言ったら、みんな心配してしまうかもしれない。私は驚く家族の表情を思いながらスプーンを口に運んだ。

 淳悟さんもほくほくした顔で食べているが、にんにくの臭いが気にならなくもない。しゃべる時、口の臭いを気にしたことなんてなかったけれど、同じ臭いなら大丈夫だろう。おそろい、というのもなんだか嬉しい。

 満腹になり、食後に冷たいジャスミンティーが出される。これも初めて飲んだ。

「梨緒子は好き嫌いがないからいいわね」

「この話、前も言ったよ。記憶力は若いんじゃないの?」

「うるさいわね。性格よ」

「瑠々は嫌いなものあるの?」

「体のほうは、アレルギーがあるの」

 どこか悔しそうに瑠々は呟く。体のほう、つまり本物の瑠々ちゃんには、食べたくても食べられないものがあるんだ。

「その分、私が食べ物以外の楽しみを沢山教えてあげる。瑠々ちゃんが嫌がらなければ」

「ありがとう。梨緒子に友達がいないなんて信じられないくらいいい子ね」

 ここは怒るところなんだろうけれど、その笑顔を見たら何も言えなくなる。可愛い顔は得だな。

 淳悟さんは、苦笑して私に少し頭を下げる。ごめんね、と小さく口を動かして。私はとんでもない、と慌てて首を小さく振った。淳悟さんが謝ることじゃない。でも、その気遣いが嬉しかった。

「さ、すっかり暗くなったし、まずは花火をしましょう!」

「色々準備してるね」

 イベントをこれほど用意されているとは。でも、夏休みに友達や好きな人と花火だなんて憧れだ。家族以外でやったことない。

 青春っていうものじゃないか、これは!

 夏の夜空に、少しだけセミの鳴き声が響く。街灯がないけれど、ダイニングの電気と玄関ポーチの明かりで充分だ。むわっとした空気をまといながら、私たちは花火を始めた。

 ろうそくに火をつけて、三人一斉に手持ち花火に着火。シューっと音をあげ火を吹く。

 その度に私と瑠々は騒いだ。緑の火。赤い火。黄色の火。メガネで火を反射させる淳悟さんは、私たちを優しく見守ってくれている。

 火花を散らし、屋敷の庭を走り回る。髪の毛を振り乱し、瑠々も追いかけてくる。大きな瞳が火花でキラキラと光って見え、いっそう可愛らしさを引き立てる。

 かやくの臭いと煙で顔をしかめる私をよそに、瑠々の顔は太陽のようにきらめいていた。

 梨緒子梨緒子、と何度も名前を呼んで、くるくると花火を回す。中身がおばあちゃんだなんて信じられないほど無邪気な姿だった。クラッカーを鳴らしたみたいな弾けた笑顔。心の底から楽しんでくれている。私はなぜだか、その姿に涙が出そうだった。

「梨緒子? どうしたの」

「煙が目に入ったみたい。平気だよ」

 心配そうに覗き込まれ、私は新しい花火を手にしながら誤魔化した。淳悟さんもうつむいて、バケツに放り込まれた花火をいじくっている。私と同じか、それ以上の気持ちなのかもしれない。

 子どもらしいことをしたかった、と瑠々は言った。その夢を私が叶えてあげていると思っていいのだろうか。

「これで最後ね」

 瑠々は線香花火を手に、寂しそうな顔をした。

「最後、って言うけど、線香花火って量多いよね」

 私の言葉に、瑠々はろうそくの明かりを頼りに眉間にシワを寄せながら、数を数えた。

「老眼じゃないから良く見えること。十二本あるから一人四本ね。飽きないで全部やるのよ」

 ほらほらあんた達、と私と淳悟さんに四本ずつ手渡す。

 私たちはろうそくを囲んで、じっと線香花火がパチパチと光を飛ばす様子を眺めた。

「今日は風がなくてよかったわ」

「そうだね」

 ぽとり、と火の玉が落ちる。二本目の線香花火に火をつける。

「遊ぶのって、こんなに楽しいのね」

「そうだね」

 またぽとり、と落ちる。

「人生でこんなにはしゃいだことはないわ」

「そうだね」

「それしか返事できないわけ?」

 震えた手から、またぽとり。

 だって、話したら泣いてしまう。

 ぽとぽと落ちる火の玉は、まるで瑠々の魂が落ちてなくなるみたいじゃない。

 最後の一本。私はどうしても火をつけることが出来ない。

「梨緒子ちゃん?」

 様子のおかしさに気がついたのか、淳悟さんが私の顔を覗き込む。今の泣きそうな顔は見られたくない。察してくれて、淳悟さんは私の肩にぽんぽんと触れた。

「いいんですよ、無理しなくて」

「無理? 何それ?」

 わけがわからない、という様子の瑠々を他所に、淳悟さんは私から線香花火を取り上げた。

「梨緒子ちゃんは、終わらせたくないんですよね。この時間を」

 その言葉に私は頷いた。

「ダメよ。いつかは終わるの。どんな時間も。だから精一杯楽しんで生きなくちゃ。楽しい想い出をたくさん集めて、固めて、それを思い出して辛いことを乗り越えるのよ。逃げてしまったらそれは苦い想い出となって人生の妨げにもなるわ」

 瑠々はもっともぶって意地悪ばかり言う。楽しい想い出。それを集めたらどんな色でどんな形になるのだろうか。

「やるのよ。ちゃんと、楽しい想い出を完結させてちょうだい」

 無理矢理、私の手に線香花火を持たせる。

 考えたくなかった。中身の瑠々はいなくなる。近い内に。

 汗ばんだ手で私の腕をつかんでいる。吐息からカレーのにおい。生きた人間である瑠々を感じて、ますます混乱する。

「どうしてそんな意地悪するの。辛いって言ってるのに!」

 瑠々は力を抜いてはくれなかった。私の叫びを聞いても動揺しない。どうしてそんなに強い瞳で私を見るの。

「瑠々は寂しくないの。私と、もう遊べないんだよ」

 考えるより先に言葉が溢れて止まらない。花火で目がチカチカしている。その光の中、瑠々は表情を崩さず首を振った。

「寂しいから、たくさん想い出を作りたいの。泣いている梨緒子を見るより、笑っている梨緒子を見たいわ。笑顔の梨緒子を心の栄養にしていきたいの」

 小さな体で、瑠々は私を抱きしめる。ぽんぽんと頭をなで、背中をさする。

 私、泣いているんだ。言われて初めて、頬に涙が流れていると気がついた。

 お母さんにあやされているみたい。違う、お母さんじゃなくて友達。このまま、ずっと瑠々と友達でいられたらいいのに。

「泣かせてるのは誰よ」

 落ち着きを取り戻し、体を離して反論すると、瑠々はとぼけたような顔をした。

「私か。そっか」

 瑠々は私に押し付けた線香花火を奪い取ると、それを水を張ったバケツに放り込んだ。火をつけられる事がなかったのに。

「淳悟、処理はお願いね。梨緒子、お風呂入りなさい。汗ビッショビショで汚いわよ」

 先ほどまでの感情はどこへやら、瑠々はてきぱきと指示を飛ばす。

「汚いって。夏にこれだけはしゃげば誰だって汗かくでしょ」

 むっとしながらも、こういう瑠々のさっぱりと切り替えられるところに救われた。

「梨緒子ちゃん、片付けはやっておきますから先にどうぞ」

 言いながら、淳悟さんは花火入りのバケツを持って、裏手の水道場へ向った。私が何もしなくても、事が進んでいく。

 甘えてばかりだな。

 瑠々の顔を見ると、なぜか私をにやにやしながら見ていた。淳悟さんの後姿をじっと見ている場面を見たのだろう。なんだか、悔しい。

 小さく舌を出して「瑠々なんか嫌い」と言ってやりたかった。

 でも、そういうことを言うと相手がいなくなってしまうというのはよくある話だ。だから、私はぐっと文句を堪えて笑った。こんな顔でよければ、いくらでも笑ってあげる。

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