4-1 好きな人を軽蔑するということ
目が覚めると、まだ外は薄暗かった。朝の四時、五時くらいだろうか。携帯も時計も持ち歩かないから、部屋に時計がないと戸惑う。手ぐしで髪を整えながら、頭を働かせる。
よし、早起き出来た。私は昨日の夜決めた作戦を実行に移すことにした。
身支度を済ませ、眠たいまま階段を降りダイニングへ向う。やっぱり、髪の毛をきっちり結ぶと気合も入る。
キッチンで勝手にスポドリをとり、コップに注いで一気に飲む。体中に染み渡る思いで、ぷはーと言いたくなるのを堪えた。
水分補給が目的ではない。
昨日淳悟さんが蔵の鍵をしまった木箱。そこにある蔵の鍵を使って中に入り、『雨傘』を探すのだ。その為に早起きした。
諦めていたら、見つかるものも見つからない。他人である私なら、見える景色も違うはず。
悪い事をしていると自覚しているので、緊張しながら木箱の蓋をあける。しかし、中にはこの屋敷の鍵だけしかなかった。変だな。昨日、確かにしまっていたし、屋敷の鍵はあるのに。ここが鍵を収納する箱には間違いないと思うのだけれど。
私は気になって、蔵に行ってみることにした。
そっと玄関ホールのドアをあけると、ずっと空調のきいた屋敷内にいた体に、熱風にも似た風がまとわりつく。早朝にもかかわらず、一匹二匹、セミが控えめに鳴いていた。
「あっつい……」
思わず独り言をもらしながら、私は蔵へ向う。日差しで焼けてしまうような暑さではないけれど、少しモヤがかかったような雑木林が目に入る。いかにも湿気が多くてムシムシしそう。
じんわり体に汗が滲む頃、蔵の前に到着した。やはり鍵が開いている。誰かがいるんだ。でも、ここにいるのは私と瑠々と淳悟さんだけ。部外者が入り込んでいるのでなければ。
そっと扉を押し、隙間から室内を覗く。電球の明りが、コーヒー牛乳色の髪を照らしている。話し声はしない。
知らない人ではなく淳悟さんだったことに安心はするけれど、こんな早朝から何をしているのだろう。
ゴトゴトと、物を動かす音が蔵の中で響く。片付けなら、日が昇る前にやるわけもない。まして、私という客人がいるのに。
今、見てはいけないものをみている気がした。私は握った手で心臓を押さえつける。
淳悟さんは、男性が両手で抱えるほどの長方形の薄い何かを持ち上げる。そのままスライドするように、物が多くて狭い蔵の中を横歩きでこちらに向かってきた。私には気がついていない。
これは、真実を尋ねなくては。私は歩いてくる淳悟さんを、扉を開いて待った。
気配に気がついた淳悟さんは、目を見開いて私の顔をまじまじと見た。自分の持っている物。白い布でくるまれた薄い板を見て、諦めたようにそっと床に置く。
「梨緒子ちゃんどうして」
「私は、まだ『雨傘』を諦めたくなくて。他人だから、二人が探した時に見逃していた部分が見られるんじゃないかと思ったんです。でも瑠々や淳悟さんに言ったら止められるから、黙ってやろうとしました」
諦めたように肩を落としたが、淳悟さんは顔をあげ、私に問いただす。
「一応聞きます。これ、なんだと思います?」
「『雨傘』ですよね」
「そうです。では、今見たことを瑠々さんに言います?」
試すように、意地悪な顔をして聞かれる。私は一瞬、言葉に詰まる。それを淳悟さんはじっと見ていた。首筋に汗が流れる。荒くなった呼吸で、生ぬるい湿った空気が体にたくさん入ってきた。
「言いたいです。でも、それで瑠々が傷つくなら言いません。だから本当のこと教えてください」
私の答えに、淳悟さんはなぜか納得したように頷いた。
「でも、梨緒子ちゃん顔に出るタイプですからね。どうだか」
こんな状況なのに微笑まれ、私はなんだか腹が立った。
「教えてください! 瑠々の為にも」
荒げた声に、淳悟さんは驚いた様子を見せた。瑠々にはこんな顔を見せてきたけれど、淳悟さんに対して言葉を荒げたことはない。
「わかりました。では、屋敷に戻りましょう。今日も朝から暑いですね」
ひょい、と雨傘を持って、私を押し出すように蔵から出た。
「あ、僕のポケットに蔵の鍵が入っているので、取って施錠してくださいませんか」
ほら、と腰を動かし、淳悟さんは自分のズボンの右ポケットを私に見せ付けてきた。今日も、ぴたっとしたアイボリーのズボン。
このポケットに、手を入れるのか。
先ほどまでとは違うドキドキが襲ってくる。いいのかな、こんなこと。手が塞がっているからって横着!
私はためらいながらも淳悟さんのポケットに手を入れた。人肌が妙に生々しくて手が震える。肌の感覚が布越しに伝わる。
こんな風に男性に触れるのは初めてだ。クラスの男子はノーカウント。けれど、こんなことで恥ずかしがっているとバレてしまうのは嫌だ。
鍵を取り出し、施錠する。鍵穴に入れるまで二回失敗したけれど、背中で隠れて淳悟さんには見えなかったはず。動揺を知られてしまうと、幼い人だと思われそうで嫌だ。
「ありがとうございます」
早朝から悪いことをしているとは思えない程、淳悟さんはすがすがしい顔で私に笑顔を向ける。
その『雨傘』どうして瑠々に見せてあげなかったのか。知らないフリをずっと続けていたのか。言いたいことはあるけれど今は無言で、屋敷に向って歩く淳悟さんの後ろについていった。
内容によっては、私は初恋の人を軽蔑しなくてはならなくなる。それは嫌だなぁと気が重くなっていった。