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3-7 裸の付き合い

 お風呂場はこちらです、と案内される。ダイニングからまっすぐに伸びた廊下をまっすぐ進む。

 玄関ホールを横切りながら、私はひそひそ話をするように淳悟さんに問いかける。

「瑠々……というか、中身の妙さんはいつもあんな感じですか?」

「厳しい方ですよ。とはいえ、僕は旅館もホテルも手伝う気がないからあまり会う事もなかったんですけれど」

 まったく覇気のない、と怒る瑠々を思い出して、つい笑ってしまう。

「本物の瑠々ちゃんは、それは大人しい子で。しゃべっているのを見たことがないくらい。それがいきなりああいう風になって、まだ戸惑っています」

 頭をかきながらはぁ、とため息をつく。

 本物の瑠々にも会ってみたい。それは妙さんがいなくならいと無理なのだろうけれど。

「こちらです。ホテルの風呂場にしては小さいですが、造りが古いもので」

 我が家の風呂場より二倍は広い。脱衣所には棚があって、白で統一されていた。

「中を覗いていいですか?」

 脱衣場と風呂場のしきりのガラス戸をあける。すでにお湯がはられているので、むわっとした蒸気が体にまとわりつく。

 大浴場、という広さではなかったけれど、大人でも四、五人は浸かれる白い浴槽があった。窓ガラスがたくさんあって、日中は太陽の光が射し込んでとても明るいのだろう。今は夜だけれど。

 窓ガラスには目隠しの為かすりガラスになっていた。周りに家はないから覗かれる心配はないけれど。

「リフォームしたばかり、というだけあって、綺麗ですね。シンプルだけど、可愛い」

「ありがとうございます。シャンプーやボディソープはご自由に。タオルも脱衣場に用意していますからね。それから、ここにスリッパもご用意していますから、お風呂上りはそれを使用してください」

 白いスリッパを棚から取り出し床に置く。そう説明する淳悟さんのメガネは曇っていた。

 笑ってはダメ、と思ったけれど、スマートな印象の淳悟さんにしては、面白く可愛らしい。

 私の様子に気がついたのか、淳悟さんはメガネを外した。

「メガネあるあるです」

 脱衣場に戻り、淳悟さんはメガネを軽く振っていた。

「コンタクトレンズは面倒なんですよね」

 言い訳じみた口調で弁解する。

 それがとても愛おしくて、私はどうしていいかわからなかった。

 恋人だったら、友達だったら、私が大人だったら。考えても、想像もつかない。

 片思いの相手に、愛情表現ってどうやったらいいんだろう。片思いはそれをしてはいけないのだろうけど、気持ちが弾けてどうにもならなくなりそう。

 心も頭もむずむずして落ち着かない。

「あの、私部屋に戻って着替えとってきます。タオルとか、シャンプーは自分の物を使いますから、平気です!」

 逃げるように、お風呂場を後にした。

 早足で来た廊下を歩く。ギシギシと、床板が鳴いていた。綺麗に見えるけれど、やはり年季を感じる。

 心臓がうまく動いてくれない気がする。正面玄関の大階段の前で一度立ち止まり、呼吸を整えた。ちらり、とダイニングの方を見る。

 今、瑠々はどこにいるのだろう。こんな姿見られたらなんて言われるか。顔が火照ってそうしようもない。

 一息ついて、私は階段をゆっくりのぼった。


 ちゃぷん、とお湯の滴る音を聞きながら、私はようやくひと心地つけていた。

 二泊するのに、バスタオル一枚しか持ってこなかった。使いません、と言ってしまったし乾かして使えばいいか。

 体を洗い、広々とした浴槽に浸かりながら自分の準備の甘さを嘆く。

 ぼんやりと窓を見上げる。天井が高いから空間にゆとりはあるけれど、ちょっと寂しい気もする。

 浴槽にはジャグジーのボタンもついているし、とても高級なお風呂だ。異次元の世界だなぁ。バラを浮かべても違和感なさそう。

 セレブな妄想をしていると、脱衣所で物音がした。

 顔を向けると同時にがしゃん、と荒い音をたてて瑠々がドアを開けて入ってきた。

「梨緒子、体洗い終わった?」

「びっくりした!」

 女の子同士ではあるけれど、私は自分の腕で体の前を隠す。しかし、瑠々はそのまんま、裸を私の前にさらけ出していた。

「裸の付き合いをしようじゃないの! ほら、冷たいサイダー持って来たよ」

 氷がたっぷりのグラスと、ペットボトルのサイダーをトレイに乗せ、浴槽の縁に置いた。縁もちょっとしたテーブルくらい広いから、置いても落ちる気配はない。

慌しくかけ湯をすると、飛び込むように浴槽に入ってきた。顔にお湯がかかり、私は眉をひそめる。

「何、なんなの」

 不審者でも見るような気分で瑠々を見た。

「お風呂は、あなたが寝ている間に入ったから汚れていないわよ」

 文句ある? と言わんばかりに言葉を紡ぐけれど、私が言いたいのはそういうことじゃない。

「あのさ、体は小学生の瑠々ちゃんでしょ。勝手に裸を私に見せていいの」

 しかし、その言葉はまるで腑に落ちない様子だった。

「減るもんじゃないし、これから友達になるんだからいいじゃない。梨緒子が言いふらさなければ誰も知らないわ」

 そういう問題か、と思ったけれど、瑠々に口答えしたところで適当に正論めいたことを言われて終わりだろう。諦めて私はサイダーをコップに注いだ。

「本物の瑠々ちゃんも、瑠々みたいに強引さがあれば友達できたかもね」

「あら、私みたいでも友達は出来ないわよ」

「そうなの?」

 サイダーちょうだい、と瑠々は手で催促した。私はもう一つのコップを手渡し、サイダーを注いだ。勢い良く注いでしまったせいで、シュワシュワ溢れた泡が、お湯に落ちてすぐに消えた。人魚みたいに、瑠々も近いうちに消えてしまうんだろうか。

「おっとっと。入れすぎよ。あー日本酒なら最高なのにな」

 冷酒をくいっと、と手であおるマネをする。

「体はか弱い瑠々ちゃんなんだから、お酒は飲んじゃダメだよ」

「わかってるわよ。死ぬ前に一杯したかったわぁ」

 乾杯、とグラスを合わせてくる。何に乾杯だかわからないけれど、調子を合わせた。冷たいサイダーは、お風呂で温まった体を冷やし、喉を潤してくれた。

「最高! 普通、お風呂場でサイダーなんて飲んだら親に怒られる」

「今日は何もかも特別よ」

 グラスを持ち上げ、妖艶とも言える笑みを浮かべる。手にしているのはサイダーではなく、本当に日本酒なのでは、と思ってしまう。

 よく見れば、くりくりと大きな黒い瞳にボブの髪の幼い少女なのに。裸も、自分の一年前と比べるとより幼い気がした。

 だめだめ。マジマジ見てしまって後悔する。人の体、しかも本人の意思と関係ないところで。

「瑠々にも友達はいないけど、私にもいないのよ。いらないものだと思っていたし、気がつけば自分以外の事で大忙しだったしね。私の自慢は友達が少ないこと、って豪語していた位よ。煩わしい人間関係に悩むくらいなら、自分のペースで生きていたいもの」

 そんな自慢があるのか、と私は少し呆れてしまう。強がりにしか見えない。

「瑠々ちゃんも、その血を受け継いだわけか。かわいそうに」

「あなた、本当にひと言多いわね。だから友達できないのよ」

 言われなくても、と思いつつ、確かにそうだ。こう言うことを言うから場の空気が悪くなっていたのだろう。自覚はなかったけれど。

「瑠々のため、といいつつ、結局自分のためかもね。私も、本当ならこうして友達とお泊まり会をしていたかもしれない。年をとってもお友達同士で泊まりに来るお客様はたくさんいたわ。それが心底羨ましかった。幼なじみで、五十年の付き合いとか。カラオケサークルの仲間とか。友達も仲間も私にはいないから。嫉妬を隠してもてなすことに慣れていたけど、心のどこかで羨ましかったんだと思うわ」

 やっぱり強がりだったのか。悔しそうに想い出を語っていた。

「人生に後悔していない、って言ったけど、本当はしているの?」

 ためらいながらも口を開いた私に、瑠々は眉をくいっとあげた。その仕草は、外国の映画に出てきそうなものだ。

「していると言ってしまうと、私の六十九年を自分で否定してしまうからね。そこはご想像にお任せします」

「私、大人の空気とかそういうの、察してと言われてもわからないよ。六十九年の重みもわからない」

 余計なことを言って、傷つけてしまったら。

 同学年ですらあまり状況を読めていないというのに、難しい問題だ。顔をさげた私に、瑠々は明るい声をあげた。

「梨緒子も学校で大変なんだろうけれど、私の前では好きなことしゃべりなさい。大丈夫、ちょっとやそっとで傷つくような、ぬるい人生送ってないから。その代わり、私も思うことを言うわよ。お互い様ね」

 体が温まり頬を赤く染めた瑠々は、頼もしいことを言った。

 ありがたいな、と思っていると、瑠々は湯船を移動して私の顔を覗き込んだ。何を、と思うとニヤニヤと人の悪い笑顔をしている。

「あのさ、梨緒子は淳悟のこと、好き?」

 サイダーを口に入れていなくて良かった。噴き出してしまう所だった。私は大慌てでコップを浴槽の縁に置く。

「そ、そんなことは……」

「いいじゃない、私にはなんでも言って。もちろん淳悟には言わないからさ。こういう恋バナ? っていうのも、お泊まり会の醍醐味だと思うわけ。ねーねー教えてよー。私の結婚の話も聞いたんだから、言いなさいよー」

「しつこい。ウザい! だから友達出来ないんでしょうが!」

 本当に思ったことを言ったけれど、瑠々はまったく気にしなかった。それが凄く楽に感じる。

「もう、そんなこといいのよ、梨緒子っていう友達が出来たんだから。教えなさいよ。想い出作りに協力してちょうだい」

 ねぇねぇ、と子どもっぽくおねだりしてくる。そうなると、なんだか断りにくくなるから不思議だ。

「別に話してもいいけど。そんな、本気で好きってわけじゃないし。年だって離れてるから現実的でもない」

 自分に言い訳をするように、指で水面を波立たせながら話す。それを、瑠々は嬉々とした目で見ていた。

「さすがに十三と二十三じゃ犯罪だものね。けれど、あと五年。十八と二十八ならさほどおかしくはなくなると思うわよ」

「確かに」

 十八になった自分を想像する。どんな人になっているのか想像つかない。

 淳悟さんの二十八才は、きっと素敵なんだろうな。

「年齢で諦めたり、そうやって言い訳したりしても仕方ないわ。とはいえ、今黙っていたら後からきた女に掻っ攫われる。ちゃんと、伏線張っておくのよ」

 掻っ攫われるとか、伏線とか、不思議な単語が出てくる。これはミステリードラマ? 穏やかじゃない。

 しかし、人生の先輩の言う事だ。

 旅館で色々な人間ドラマを見てきたのだろうから、参考になる情報はいくらでもありそうだ。

「伏線、ってどうやるの」

 瑠々は肩をすくめた。

「私は親に決められた人と結婚して、それだけだから。詳しくはないわね。一般論としては、好きだってアピールはしておいたほうがいいんじゃないかしら、ってこと。男は鈍いから。後は適当に頑張りなさい」

「何よ口ばっかり。頼りにならないんだから」

 期待して損した。私が口を尖らせると、瑠々は目を吊り上げた。この顔、怖い。

「聞きたいとは言ったけど、よいアドバイスをするとは言ってないわ」

 好き勝手なことを。私は疑わしい目で瑠々を見る。

「本当に旅館の女将さんだったの? なんか、ガサツだし。瑠々の趣味を押し付けてくるから。怪しいなぁ。お客様へのおもてなし精神はどこ行ったの」

「あなたはお金払ってきたお客様じゃなくて、友達だからじゃない」

 友達、って言ってほしくて、つい突っかかってしまっている。瑠々もそれに気がついてか、顔を柔らかいものに戻した。

 笑うと、とんでもなく可愛い。水もしたたる美少女だ。この顔でも、怒ると怖いというのは中身がよっぽどなんだろう。

 あーあ、と瑠々は照れ隠しのように伸びをした。

「夏場にお風呂場で語り合うもんじゃないわね。暑い! 先に上がるわ」

 瑠々はまた勢い良く湯船から出た。私は慌てて目をそらした。本物の瑠々に会ったら、この裸を思い出してしまうかもしれない。それは申し訳ない。

「ドライヤーは脱衣場にあるから使って。申し訳ないけど私はもう寝るから、また明日ね。お風呂に入ることも淳悟の静止を振り切ってきたの。まったく過保護よねぇ。予定もかなり変更せざるをえなくなったし」

 そういい残し、瑠々は風呂場を出た。

「自分のペースなんだから」

 サイダーを飲み干すと、私も浴槽から出た。淵にはトレイとコップが置いたまま。

 そっか。これ、片付けるのは私か。

 最初はお客様扱いだったのに、段々雑になってきたなぁと思いつつ、私はトレイを持って風呂場を出た。友達なら当然かな。


 ダイニングへ食器を返しに行く。その前に、部屋に帰って着替えを置き、洗いたての髪に櫛を通した。パジャマではなくTシャツに短パンだから、日中と変わらない。

 淳悟さんの前だから、少しは気を遣いたい。小さな鏡を見て、髪型を整えた。長い髪は、結ばずにそのまま背中に流す。ポニーテールにしないで淳悟さんの前に出るのは初めてだから、緊張しながらダイニングに入った。

 部屋を片付けながら待っていた淳悟さんは『蔵』という札のついた鍵を、木箱の中にしまっていた。

 あそこが、鍵を保管する場所なのか。

「お風呂どうでしたか」

「とっても素敵なお風呂で、気持ちよかったです。これ、瑠々が持って来たサイダーのグラスです」

 ありがとうございます、と淳悟さんは笑顔で受け取った。別に、髪を見ている気はしない。考えすぎかぁ。

「早く寝てくださいね。梨緒子ちゃんも、色々あって今日はお疲れでしょう」

 そうでもあるような、ないような。運動をした後の疲れとは違う疲労はあるかもしれない。

 今何時だろう。この家には、時計がない。その素振りを見て、察しよく淳悟さんは答えた。

「このホテル、お客様に時間を気にせずゆったりしていただきたいというコンセプトがあったので、その名残で時計を置いていないんです」

「確かに、時間に追われるのは日常だけで充分ですもんね」

 朝起きて学校に行って、時間どおりに授業をして。大人になっても時間を気にして生きていくのかな。

 そのままダイニングを出ようと思ったけれど、好きのアピールはしておきなさい、という瑠々の言葉が頭をよぎる。淳悟さんの顔を見て、何か言おうとした。でも、何も思い浮かばない。

 アピールってなんだろう。

 いや、今じゃない。焦っちゃダメだ。

「おやすみなさい」

 取り繕うに言うと、淳悟さんもおやすみなさい、と返してくれた。そのまま、ダイニングを後にする。

 悔しいな、と思う反面、私に出来るわけない、と諦めの心境でもある。

 部屋に戻ると、自然とため息が出た。緊張していたみたいだ。

 何時かわからないけど、きっとまだ九時くらいかな。お昼寝もしたし眠くないけれど、やることもない。電気を消し、ベッドに入る。

 ふかふかで、いい匂いがした。タオルケットをお腹の上に乗せ、今日一日の出来事を反芻する。

 瑠々が倒れて、美味しいご飯ご馳走になって恋バナして。淳悟さんに、私の気持ちは少しも届いていないけれど。いや、時計のことはすぐ察したのだから、きっと気がついていて言わなかっただけって可能性も高い。

 バレているとしたら、なんだか恥ずかしいな。どうせならキチンと言いたい。

 最後にちょっと落ち込んでしまったとはいえ、今日は楽しい想い出ばかり。お風呂でほてった体が冷え、汗がひいていくのを感じながら、そのまま眠りについてしまった。


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