3-4 友達になりたくて
「そうです。友達を作りたいんです」
友達を欲しがっていたから、淳悟さんは私をここに連れてきたのだ。すっかり忘れていた。ここには気になることばっかりだったものだから。
「それ、本当なんですか? あの子が友達欲しいだなんて」
淳悟さんが友達認定したときに「勝手なことを」と怒っていたので、てっきり淳悟さんのおせっかいだと思っていた。
「僕が無理矢理、というわけではないですよ。瑠々さんはずーっと友達がいないんです。あの性格でしたし」
「はぁ」
「この話も、本人から聞いてください。言うかわかりませんけどね。一応、本人の中ではコンプレックスになっているようなので」
さて、と淳悟さんは残ったオレンジジュースを飲み干した。
「今日明日、泊まっていただく部屋にご案内します」
私も慌てて、濃いオレンジジュースを飲み干した。
「コップはそのままで。荷物持ってきてくださいね」
「はい」
てきぱきと指示をする姿は瑠々に重なる。私はいつも言われるがままだ。今日に限らず、人生ずっと。
「あの、二泊するんですよね。荷物少ないような気がしますが」
女の子にしては荷物は極端に少ない。それがちょっと恥ずかしくなる。
「私、あんまり物を持たないので」
そうでしたね、と淳悟さんは優しく微笑んだ。身長が高いので、立ち上がると見上げる形になる。
こんなにスマートな淳悟さんだけど、牛丼が好きなんだぁ。意外な一面を知って、なんだかほくほくとあたたかい気持ちになった。こうやって新しい一面を知るだけで嬉しくなることがあるんだな。
ダイニングを出て、大階段を登る。先を行く淳悟さんの後をついていく。
「インテリア、瑠々さんが気合いを入れていましたが、気に入っていただけるかどうか」
前を向いたまま、なんだかはっきりしない物言いをする。どんな部屋なんだろう。少し不安に思うけれど、あれこれ文句を言える立場でもない。
「どんな部屋でも、平気です」
高そうなものが置いてあったら、壊さないように気をつけよう。
慣れない大階段の手すりを伝い、二階へ。一階と同じように大げさな美術品や家具は置いていない。
広々として清潔な空間だけど、きちんと掃除が行き届いている。階段部分は吹き抜けになっていて、最初にここから瑠々が下を覗きこんでいたのだとわかった。
「いいなー、吹き抜けって憧れる!」
「僕はあまり高いところは好きじゃないので、嬉しくはありませんけれどね。女性は好きですよね、吹き抜け」
女性、と括られたことに恥ずかしさを覚える。
ひとりの女性扱いをされて、嬉しいような気を遣われているだけのような。それでも、やっぱり嬉しさが勝る。
「女性は」という言い方は、学校にいては味わえない。ちょっと大人になれた気分だ。クラスの男子から「女は~女子は~」と荒っぽく扱われているが当たり前だったから。
「こちらが梨緒子ちゃんのお部屋になります」
場所は、今瑠々が眠っている部屋の真上あたりだろうか。扉を慣れた手つきで開き、私を招き入れる。
レディーファースト、というものだろうか。ドキドキしながら、扉をおさえる淳悟さんの脇を通る。
「凄い」
それしか言葉が出ないほど、部屋はきらびやかに装飾されていた。
壁紙は、白地に淡い黄色のストライプ。太い縦線の中にはさらにオレンジ色の水玉模様。とにかく、インパクトがあった。
さらに、ベッドは金色の手すりが枕元と足元にある。掛け布団の上には帯のような紺色の布がかけられていて、同じ色の枕がいくつも並んでいる。ベッドは小さいサイズながら二つ並んでいるので、ダブルベッドみたいだ。カーテンはレモンイエローで、青い蔦模様が描かれている。
枕元には小さな棚があり、その上にはチューリップのような形のライトがある。窓際には間接照明の大きなライトもあるし、脇には小さなテーブルと一人用のソファが二脚おいてあった。赤い布のソファと白い机で、青と黄色がメインの部屋のアクセントになっていた。机の上には、一輪挿しの元気なイメージのあるオレンジ色のガーベラがある。
雑誌やテレビでの高級ホテル特集でみるような部屋だ。
「私には似合わないくらい、おしゃれ」
天井のランプシェードも白いココット皿を逆さまにしたみたいで可愛い。ずっと観察してしまう。
「壁紙を張り替えたり、家具を取り寄せたり、瑠々さん、張り切っていましたよ」
私の反応に満足した様子で、淳悟さんは二人きりなのにこそっと教えてくれた。顔を近づけられ気恥ずかしい。
「壁紙まで張り替えたんですか」
驚いたような、呆れたような。そこまでしなくても……ちょっと引く。いやいや、引いたら悪いけれど。
「もちろん、僕も手伝いました。あまり無理をしてはいけない、と止めたのですが、短期間で出来る限りのことはするんだ、ってきかなくて」
改めて室内を見回す。何畳くらいだろうか。私の六畳間の部屋の倍は広い気がする。物がないからさらに広く感じる。
「それで具合悪くしていたら意味ないじゃない」
つい憎まれ口を叩いてしまう。ありがとう、って素直に言えない。本人がいないのに。
「すみません。僕がきちんと止めていれば」
悔しそうに唇を噛む。しまった。淳悟さんを責めたいわけじゃないのに。うまく言葉を選べなくて、相手を落ち込ませてしまった。
「違うんです。嬉しいんですけど」
言葉に詰まりそうになるけれど、私は勢いで言った。
「素直に言えないだけなんです。淳悟さん、ありがとうございました」
淳悟さんには言えた。ふぅ、と息をつく。淳悟さんの前だと私は素直になれる。どうしてだろう。瑠々を前にして、それが言えるか自信がない。
話を変えるように、私はベッドサイドに近づいた。
「この足元の帯みたいな布、これってなんの意味があるんですかね?」
掛け布団の上にかけられた帯のような紺色の布。これも、高級ホテルのインテリアでよく見る。
「それはフットスローと言って、靴を履いたまま寝ても布団を汚さないためのものですよ」
「えっ、靴履いたまま寝るんですか?」
フットスローを手で撫でる。ふわふわして、柔らかい布だ。
「ちょっとゴロ寝する時だけに使っているようですが、飾りも兼ねていますね。眠る時は外して構いませんよ」
未知の世界のことを、あれこれ教えてくれる。私は憧れのまなざしで、淳悟さんを見つめた。
「頭いいんですね、凄い」
頭がいい、というのも違う気がするけれど、いい言葉が思いつかなかった。悔しい。
「博識というわけではなく、基礎知識として知っているだけです。大したことはありませんよ」
博識、という適切な言葉を聞いて、また悔しくなる。私と話していて、子どもっぽいところが気になりはしないのかな。
「私からしたら、凄いことです。色々な経験をしてきたんでしょうね」
「褒めすぎですよ」
それ以上、触れていいのかわからない笑顔で締めくくられた。知っている理由はあるのだろうけど、淳悟さんは自分からは話さない。聞かれなければ答えないのか、聞いてもはぐらかすのか判断できない。ぐいぐい前に出て嫌われるのは怖い。
私は顔色を伺って話を進めることが苦手だ。
ぐいぐい行って空気読めない人、って思われているのかもしれない。それが、友達が出来ない理由の一つなのではないか、と最近分析している。本当のところはわからないけれど。
淳悟さんのこと、もっと知りたいのにこれ以上話せない。臆病だ。
思わず黙ってしまう。黙ってしまったら、コミュニケーションがとれないじゃないか。何か、いい話題はないかな。
「あの、じゃあこの名前は? 手すりみたいな感じですけど」
金色の手すりに触れる。こういう質問なら大丈夫だろう。心に迫る質問じゃなければ答えてくれる。
「枕元にあるのはヘッドボード、足元はフットボードです。布団が落ちないための柵ですね」
「名前があるんですね。私のベッドは、枕元には小物を置く棚がついてます」
詳しいなぁ。にしても、このベッドも高そうだけど、天蓋付き、みたいなお姫様ベッドじゃなくて安心した。
「ちなみに、トイレは部屋を出て右の突き当たりにあります。リフォームしたから綺麗ですよ。荷解きもあるでしょうし、お疲れでしょうから少し休憩しましょうか。瑠々さんがいないと話も進みませんし」
にほどき、がどういう意味かわからなかったが、聞き返すのは子どもっぽいと思ってやめた。
「いいですよ、休憩なんて。私頑丈ですから」
「そうはいきません。先ほど、瑠々さんが倒れたと聞いて顔面蒼白になっていて、具合が悪そうに見えました」
強い口調に、私は頷くしかなかった。具合が悪くなったら迷惑をかけてしまう。
「わかりました。瑠々のことでちょっと気を張っていたというのもあるし、少し休みます」
納得すると、淳悟さんは笑顔で頷いた。
「お預かりしている大切な娘さんですから。それに、まだまだ時間はあります」
少ししたら呼びに来ます、と淳悟さんは部屋を出た。
広い部屋にひとり。
にほどき。荷物を片付ける、ということかな。窓の外からセミの鳴き声がかすかに聞こえる。とても静かな空間で、エアコンも効いていて快適。
リュックの中から着替えや洗面具を取り出す。お姉ちゃんが貸してくれたポーチの中に、歯磨きセットやシャンプーの小さいボトルが入っている。
それ以上やることもない。荷物が少なくて困ることがあるとは。どうしよう。
赤いソファに座って、ガーベラを指でつついてみる。これも瑠々が選んでくれたのだろうか。オレンジ色の元気な花。そんな花を見ても、ため息が出てしまう。
お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、元気かな。ちょっと泣きたくなる。もしかして、ホームシックになってしまった?
やだやだ、と私は立ち上がってベッドに横たわる。フットスローがあるからって、靴を履いたまま。さすがに落ち着かないと思って脱ごうとしても、横になった途端眠気が襲ってきた。淳悟さんの言うとおり、疲れていたのかな。フカフカで新品のお布団に寝転がったまま、私はお昼寝を始めてしまった。
「梨緒子、大丈夫?」
気がつくと、目の前に心配そうな瑠々の顔があった。顔色もよく、いつもの生意気そうな瞳は健在だ。元気になったみたい。
「おはよう。って、今何時?」
薄暗い部屋を見て、私は朝まで寝てしまったのかと飛び起きた。
「夕方よ」
「ああ、よかった」
「淳悟から、部屋で寝ているって聞いて。具合悪いの?」
瑠々は私の額に手をあててきた。なんだか子ども扱いされている気分。子どもからそんな扱いをされるのは嫌なものだ。ふりほどこうと思ったけれど、触れた手の優しさにされるがままになった。
「熱はないわね」
「人の心配している場合? 瑠々が倒れたんだよ。私はただの昼寝」
ようやく手をどかすと、瑠々は少し口を尖らせて肩をすくめた。
「ならいいけれど。さ、夕飯の時間よ。おなかすいてる?」
お昼に食べたけれど、この時間まで眠ればもちろん空腹だ。
「すいた!」
ぽん、とおなかを叩くと、瑠々は笑顔で得意気に口を開く。
「よかった。今日は、ほほ肉の赤ワイン煮込みを作ったの。それに合うパンも焼いたのよ。ライスもあるけれどどちらがいいかしら」
フットスローと同じような色合いの紺色のワンピースに着替えた瑠々は、上機嫌で今日のメニューを告げた。
煮込んだ肉。美味しそうな響きだ。とはいえ、病み上がりなのにずいぶん張り切っている。
「大丈夫? 具合また悪くならない?」
「もう完成して、味を染み込ませるために冷やしていたからあとは温めるだけ。それも淳悟がやるというから、任せることにする。私ひとりの体じゃないから、無茶はしないわ」
うるさい事を、と面倒くさそうに言う反面、少し嬉しそうに答えた。ひとりの体じゃない、という言葉に違和感はあったけれど、頭の中は肉で埋め尽くされていたからとりあえずスルーしておこう。
「瑠々、なんか嬉しそう。なんで?」
先に部屋を出ようとする瑠々の後ろ姿に声をかけると、ぱっと振り返る。もう笑ってない。
「梨緒子から心配されるの事が嬉しいなんて思ってないから!」
まったくもう、と瑠々は忌々しげに言う。心配してもらって嬉しかったんだ。ベッドの上で、私はちょっとムカつきながらも面白く思いながら、ゆるんだポニーテールを解いて手グシで結ぶ。その姿を、瑠々はじっと見てきた。
「痛くないの? 結んだまま寝てたんでしょう?」
「平気。高い位置だし、慣れてる」
眠ったおかげで、私も体がすっきりした。そういえば昨日、緊張して眠りが浅かったからな。
「おまたせ。夕飯だー肉だー!」
「食欲旺盛なわりに、梨緒子って細いわよね」
「動いてるし、新陳代謝がいいからね。足の筋肉見て!」
「はいはい、凄い凄い」
明るい声でやりとりをしながら階段を降りた。元気そうではあるけれど、瑠々は少しだけ、冴えない表情だった。なんだろう、と思ったけれど、夜は長い。これからが本題だ。
ひとりの体じゃない、ってどういうことだ。そういう事も含め、今日こそは納得いくまでなんでも答えてもらおう!