八話 俺の翼
”人は、予想もし得ない状況下に突然置かれた時、気付くと壁にめり込んでいる”――。
これは、俺の格言である。
何が起きたのかは、一部始終を”視えて”いたから分かっている。単純明快、高速で接近して来たカラスロードに殴られたのだ。
しかし、問題は何故吹き飛んだのか――、だ。
予想では、攻撃を受けたとしても『物理攻撃無効』で大丈夫だと踏んでいたのだが――。
頭の上にハテナマークを乱立させては、自分の思惑と現実のギャップに戸惑うばかり。
そして、放心と混乱が入り乱れる気持ちそのままに答えを求める。
(あ、え? リーナさん? 物理攻撃無効が効いてないんじゃ……)
《効果は正常に作用しているです。特性『物理攻撃無効』は、身体における”物理ダメージのみ”を抵抗するです。現在、ジークの身体の損傷、損壊率は共に0パーセントです》
あぁ、そういうことね。ダメージ自体は抵抗したが、衝撃まではダメージを受ける程でもないと効果が反映されないのか。
余裕だと思って、舐めてかかって油断していた。これは完全に俺の判断ミスだな。
ここでは地球の常識が通用しない理不尽な現象が、当たり前の様にそこらにあるんだって思わないと――。
この状況にしても、油断せず最初から『反射眼』を発動していれば結果は違ったはずだろう。
カラスロードも自分の攻撃が効いていないのを感じているのか――、強い警戒心を与えてしまった様で距離を取っている。
俺は壁から抜け出すと、瞼を閉じて小さく呟いた。
(リーナ、俺を覆うように多重結界を発動してくれ)
《了解したです! ――多重結界を展開!》
俺を中心として、透明度のある小さなドーム型の障壁が展開された。
リーナが適正化した多重結界には、物理性侵入無効と魔法性侵入耐性の効果を持つ。
そして俺は、多重結界で守られた障壁の中で、戦況打破の手を練るべく思考を巡らせる――。
――さて、作戦立案を開始する。
現状、すでに警戒心を与えてしまっている以上、一撃で仕留める事が出来なければ余計に警戒されるだけだろう。そうなっては、音速で飛翔する奴の動きは厄介極まりない。
『言想ノ神眼』を使いたい所だが――奴め、相当用心深いのか様子を見るように音速でヒットアンドウェイで攻撃と退避を繰り返している。これでは、使用条件に五メートル制限がある以上、『言想ノ神眼』を使うのは難しいか。
『反射眼』を応用して魔力弾を試してみるのもいいが、おそらく当てる事すら困難を極めるだろうな。
俺の唯一の攻撃手段である二つが潰されたか……。となれば、残る方法は一つ。
初手に一発確殺を狙うのでは無く、”奴の動きを封じる”のが先決だ――。
そこまで思考を巡らせた後、動きを封じる手法を練るべくリーナに声をかけた。
(リーナ、俺の体の質量を変えることは出来る? おもいっきり重くしたいんだけど)
《んん……、質量は無理ですー。頑丈にしたり柔らかくしたり、形を変えたりは可能ですが》
(そうか……。なら、この多重結界を張ったまま俺が外に出るのは?)
《それは可能です! 結界内では、任意の物を障壁の外へと出せるです》
(――それだ!)
瞬時に脳裏で描いた、この場を切り抜ける光明なる戦法。目の奥で灯火がキラリと一輝きする。
(作戦開始! 指示通りに頼むぞ)
《了解です!》
視界前方に映るカラスロードを見据え、俺は間合いを確認しながら着実なる一歩を刻んで行く。
対するカラスロードも、警戒しては合わせる様に一歩一歩と後ずさる。
そして俺はおもむろに足を止めると、それと同時に多重結界の障壁が姿を消した。
目を細めるカラスロード。警戒していた障壁が消えた事を察知したのか――、勢いよく蹴り出す足が床を砕き、大きく広げた翼は空を切り、地面スレスレの超低空飛行による音速接近へと移行した。
その速度たるや、発生する衝撃波が事の凄まじさを物語る。
だが――、目である俺は、こと”視る事”に関してずば抜けて突出した能力を保持しているのだ。常識外れの速度で動く物体であろうが、俺の動体視力は確実に対象を捉える。
例えそれが――、”音速に達していようとも”。
目と鼻の先まで接近したカラスロードが大きく右腕を振りかぶる刹那――、俺はここぞとばかりに軍旗を掲げる。
そう――、まるで孔明のように。
(――今です!)
《多重結界、展開!》
俺とリーナの、息の合ったコンビネーション。
多重結界が展開する瞬間に俺は後方へと大きく跳び、カラスロードの放つ拳と紙一重で結界の範囲外へと退いた。
動きを封じる作戦――それは、”多重結界による檻への応用”。
範囲外への進出はリーナの任意に託される点に着目し、結界内部に敵を閉じ込めたのである。
まさに発想の転換――、本来であれば守護する役割の結界が、敵を捕らえる檻と化したのだ。
結界の中でしばらく暴れていたカラスロードだったが、破壊する事が出来ない障壁を前に諦めたのだろう――、今はただ静かに睨みを利かせている。
俺は歩み寄り、正面にて奴と構えた。障壁を挟んでいるとはいえ、向き合うお互いは目と鼻の先だ。
視界の先には、静かな怒りを秘めた瞳が、真っ直ぐに俺を見据えている。
思う所は――、あるさ。
自分の家とも言える縄張りに、他者が土足で突然入り込んで来て、事もあろうか命が狙われるのだ。
逆の立場なら、それはもう必死に抵抗するだろう。なんせ――、命がかかっているのだから。
弱肉強食だなんて、理不尽な事までは言わないさ。
だがな、命は簡単には投げ出せないんだ。自分の命は大切――、それは誰もが”同じ”だろう?
俺は、奴から目を逸らす事はしなかった。奴自身と、そして現実から目を背けてはいけないと――、そう心に思うから――。
(……恨むなら、この世界を恨んでくれ)
俺の瞳から、黄金の輝きが拡散する様に溢れ出る――。そして”一言”、静かに言葉を紡ぐ。
(消滅しろ)
『言想ノ神眼』による、魂言への強制上書き。放った言葉の本質が、魂へと付与されるのだ――。
カラスロードは胸を押さえると共に、激しく顔を歪めている。おそらく、魂が消滅する苦痛に必死に耐え、断末魔の声を轟かせないよう抑えているのだろう。
立派な――、戦士だ。
消えゆくカラスロードを見つめ、俺は戦いというものを身を持って再確認した。
これは命のやり取り。幻想でも、遊びでもない。――本気でぶつからなければいけないのだ。
すると、戦いの終焉を告げる様に、リーナが労いの言葉をかけてきた。
《お疲れ様です! 上手くいったですね!》
(そうだな……)
《どうしたです? 勝ったのに嬉しそうじゃないですよ?》
静かに返した一言が、リーナに要らぬ心配をかけてしまったようだ。
先の事はまだ分からないけど、だからこそ――、俺は強く決断せねばならないだろう。
(なぁリーナ。こんな理不尽で、理解し難い世界だけど――、俺は必ず生き延びてみせる。その為にも、リーナの力が必要なんだ。俺に――、手を貸してはくれないか)
流れるは、しばしの沈黙。
そしてその静寂の間を破ったのは、呆れる様に零すリーナの溜息だった。
《……はぁ。今更、何言ってるです? 私はあなたを守ると言ったじゃないですか。ドンと構えて、好きに生きればいいんですよ! 守護の天才リーナちゃんが付いているんですから、何も問題はナッシングなのです! ワッハッハッハー!》
リーナなりに、気を遣ってくれたのだろう。
その優しさと、あえておちゃらけて振舞う姿に、自然と気持ちが穏やかさを取り戻してゆく――。
(――ありがとう、相棒)
そして次なる目的地へと向けて、俺は歩みを再開するのだった――。
ブワッ――と、左右に勢いよく広がる漆黒の翼。虚空に羽を散らし、妖しく輝く艶やかな光沢を帯びている。骨に当たる部分には真っ赤なラインが彩られ、スタイリッシュな配色美を醸し出す。
俺は、体の背後に位置する”それ”へと見惚れる眼差しを向け、焦がれる淡い吐息を漏していた。
そう――、何を隠そう”それ”こそが、”俺専用の翼”なのである。
実は、カラスロードとの戦闘においてリーナに解析をさせていたのは、敵の情報を得る事以外にも、もう一つあったのだ。
カラスロードが自在に飛行していたのを見た時に、俺も飛んでみたい――いや、この世界での飛行概念について解析しておきたいと考えたからだ。
断じて遊び心じゃないぞ、断じてな。大事な事だから二回言っておく。
地球においての飛行概念として、法則は解明しているが原理は未だに解明されていないのだ。この『エルバ』では地球での常識が通用しない以上、念の為にリーナに解析させていたのだった。
翼については特性の『性質変化』と『形態変化』を駆使して作れば――、と考えていたのだが、『千里眼』と『言想ノ神眼』を通して得たカラスロードの身体情報もあり、ふと一つ思い付いたのだ。
”あの翼が欲しい”――、じゃ・な・く・て!
リーナの『複製能力』でカラスロードの翼を再現する事が出来れば、飛行概念との兼ね合いからも支障が生じにくいのではないか――、と。
そんなこんなで、とりあえず先に翼だけを作り出していたのだ。
しかも、リーナが適正化してくれたおかげで、俺の体にしっかり合う様に調整された優れモノだ。
自分専用の翼を見つめて酔いしれていると、リーナの方も事が済んだようだ。
《解析完了です! ユニークスキル『空気操作』を取得したです!》
(待ってました博士!)
待ち遠しかった瞬間が訪れた。翼だけがあっても飛行は出来ない、飛ぶ事を可能とするその作用が必要になるのだ。
俺の所持スキルに、新たに追加された『空気操作』――。これを駆使して、俺は世界を羽ばたいてみせる!
《空飛びたいんですね? ワクワクしてるの分かりますよ? 子供ですね!》
(う、うるさい――)
茶化すリーナに羞恥心を若干くすぐられながらも、俺は満を持してイメージを練り上げていく――。
周囲から収束する様に、体へと纏う流れる風。
翼の一振りと共に、ゆっくりと体が上昇を始める。
(や、やった! 飛んでる! 飛んでるぞ!)
遥か昔より、空を飛ぶ事は人間の夢であった。飛行機や、はたまた宇宙にまで達するロケットはあるももの、それとは意味が違う。
究極は、純粋に己の力で飛ぶ事――。それこそが求め続ける終着点であり、真髄なのだ。
故に、この現状に感激せずにはいられないって話だ。
それはもう――、時間を忘れてしまう程に。
(天からの視界は、ヴィーナスも霞む程に美しい)
《……ジーク》
(自分の翼! 自由な空! 広がる世界!)
《ジーク!》
感動に酔いしれて自分の世界に入り浸りしていたのに、なにやら俺を呼ぶ声が聞こえる。
(なんだ? 今、高度成長期だぞ。邪魔するな)
《なに意味不明な事言ってるです! もう二十分もそうしてるですよ! 次行かないんです!?》
(むぅ……。分かった、行きますぅ……)
煽るリーナに促されるままに、「もうちょっと堪能したかったなぁ」――という気持ちを抑え込め、少しふてくされながらも次の目的地へと飛翔するのだった――。
巨大な岩の中央に、真っ赤に血走る一つ目。岩の体とも思えるそこからは、ゴツゴツとした岩肌を持つ触手が、無数にうねりを上げている。
(よし、この先に次のターゲットがいる!)
飛翔による移動を続けていた俺は、標的の生息地へと辿り着くとこまで来ていた。
次なる魔物の名は、――『岩ギンチャク』。