三十八話 地図が指し示す場所
朝の挨拶を交わすかのように小鳥達は宙を舞い、眩しく輝く朝日が一日の始まりを告げる。街からは徐々に賑わいの声が漏れ始め、多くの住民達が外へとその姿を現している。
屋根の上にて仰向けに寝そべるジークは、目を開いた瞬間に飛び込んできた日差しに眉をひそめた。そして上半身だけをゆっくりと起こし、日常の活動を始めた街並みを見下ろした。
「毎日迎える朝でも……気分によっては、まるで違う一日の始まりだな」
そう呟いては両腕を天へと伸ばし、背筋を逸らして大きく伸びをした。
片膝に手を当ててスッと立ち上がると、腕を組んでは遠くを見つめた。
「心が蝕まれて人格が変貌しようとも、”人として大切なもの”は失っていないつもりだ。今日からは、少し変わる努力をしてみるとしよう」
宿の一室の扉の前にて佇むジークは、決意を固めるかのように一つ大きく息を吐くと、目の前の扉を二回ほどノックした。
「は~い!」
部屋の中から響いたのは、元気に返事を返すルルの声。パタパタと近づく足音が止まると、ガチャリと扉が開いた。
「あ、お兄ちゃん! おはよう!」
「あぁ、おはよう」
ジークの姿を目にするなり笑顔を放つルルに、ジークも微笑んでは挨拶を返した。
ルルは少し首を傾げると、上目遣いでジークを覗き込みだした。
「ん~? お兄ちゃん、なんか少し変わった?」
「そうか? そうだなぁ……気持ちの引っ掛かりが取れた、ってところだな」
「ふ~ん、良かったね!」
無邪気に満面の笑みを零すルルに、ジークは優しく頭を撫でてあげると、奥にあるベッドへと視線を移した。そこにはまだぐっすりと眠っているミラの姿がある。
ジークはベッドへと足を進め、目の前にまで位置するとおもむろに片足を上げた。その足裏は、眠るミラへと向いている。
するとそこに、すかさずリーナの声が割り込んできた。
《ストーップ! 蹴って起こそうとしたですね!? 接し方を改めるんじゃなかったですか!? 起こし方一つでも、もっと考えてあげるべきです!》
(む、そうか……)
足を下ろし、顎に手を添えてはジークは思考を巡らせた。
ただ起こすだけの行為だから、いつもの調子で動いたつもりなんだが……これが浅はかなのか? いや、冷静に考えれば睡眠中に無理矢理起こされると、それはかなりのストレスだ。俺も幼少期に母親に起こされたときなどは、まだ寝ていたいのにと不満を漏らしていたこともあった。なるほどな……つまりは極力ストレスを与えずに、快適に目が覚めるような起こし方をすればいいわけだ。恋愛事象の参考書、男女の心と体の関係の論文、女性心理論、人心掌握術、恋愛シュミレーションゲームも少しばかりかじったな……その他もろもろの情報も含めてフル活用し、最高の目覚めのシチュエーションを演出してやる!
ジークは一つ頷くと、ミラの眠る布団の中へとその身を静かに滑り込ませた。
目と鼻の先には小さな寝息を立てるミラの顔。数本の髪が顔にかかっているそこにジークは手を添えて、優しく撫でるようにかき上げた。
ミラは反応するかのように一つ小さな息を漏らし、重たい瞳をゆっくりと開いていった。
超近距離で交差する両者の目線。ジークは優しい微笑みを浮かべる。
「やっと目が覚めたな、寝ぼすけの子犬ちゃん」
――ズザザザザザ。
その瞬間、布団から大きく飛び退いて部屋の角へと逃げ出すミラ。壁を背にして困惑した面持ちを浮かべている。
「え? え? 誰!? ジークさんなのに、ジークさんじゃない!」
ジークはというと、ミラの反応にきょとんと目を丸くしていた。どうやら思惑と違ったようだ。
(リーナ、脳内シュミレーションでは完璧なシチュエーションを演出したはずなんだが、予想と現実のミラの反応が食い違いすぎている。思い当たる点があるとすれば、ミラが覚醒してから俺が声をかけるまでのタイミングを、あとワンテンポ遅らせるべきだったか?)
《……は?》
(ん? いや、どこでミスをしたのかその原因追及と、改善対策を練らなければならないだろ?)
ジークの問いに、リーナは大きな溜息を零し、冷たく言い放つ。
《はぁ……。原因は、あなたの脳みそ。改善するのも、あなたの脳みそ。です》
(ひどく侮辱された気分だが、どういうことだ?)
《いいですか? あんな起こし方ではあからさまに変わりすぎですし、第一ジークらしくありません。ミラが誰と問うように困惑するのも無理ないです。意識しすぎなのですよ、蹴るのではなく”普通”に起こせばいいのです。雑な扱いは、ルルやマインにも同じようにしているですか?》
ジークは何かを悟ったようにハッと目を見開いた。
そうか……今まで気にはしていなかったが、ミラには他よりも雑に接していた部分が多いのかもしれない。リーナを抜かせば、一番長く身近にいた存在ゆえに、それがごく当たり前と化していた。ミラは女なんだ、女性に対する相応の接し方ってものがあるだろうに。まずはそこを改めねばならないな。
次に俺へのイメージだ。ミラが俺に対するイメージも考慮してシチュエーションを組むべきだった。そうでなければ、あの起こし方をすれば誰でも同じ結果になるということになる。”女性が男性にされる最高の起こされ方”、これを基準に思考したのがそもそもの間違いだったのだ。相手が自分に対して持つイメージという、固定概念の部分が抜け落ちていた。そう考えれば、普段の俺からすれば急にあんな言動を取ったとしても、先に出てくるのは喜びではなく驚きなのも納得がいく。なるほどな……恋愛とやらが、少し分かってきたぞ。いつか完全に解き明かし、自分の中の恋愛感情を支配してやる。
――ククク。
ジークは布団の中で一人不気味に口角を上げ、そんなジークにリーナは冷たく言い捨てた。
《顔はいいのに今まで恋愛経験がなかった理由、それとなく理解した気がするです》
ミラは恐る恐るジークに近づくと、眉をひそめては探るかのように小さく口を開く。
「あのぉ……ジークさん?」
背後からミラに声をかけられたことで我に返ったジークは、布団の中で寝返りをうつかのように振り返ると、まだ顔を若干困惑させているミラと向き直った。
「あぁ、気にするな。少し間違えただけだ。準備が終わったら、食堂に向かうぞ」
「へ? あ、はい。それは分かりましたけど……その……」
困惑の顔から、少し赤面させたミラは小さく言葉を続けた。
「そろそろ布団から出ませんか? さっきまで私が寝ていたので恥ずかしいんですけど……」
「ん? あぁ、そうだな。どおりで寝心地がいいわけだ、残った温もりとミラの香りを感じるからか」
ジークはごく平然とした面持ちで自然に呟くと、促されるままに布団から出ようとしたのだが、その腕を力強く握るミラの手があった。
「い・や・だぁあああー!」
真っ赤な顔をするミラは大声でそう言い放つと、力任せにジークを布団から引きずり出した。
よろめきながらも、なんとか体制を立て直して床へと足を着くジーク。ミラはプイっと顔を背けると、ジークを尻目に洗面台へと足を進めて行った。
ポリポリと頭をかくジークは、ミラと入れ替わりで洗面台の方から姿を現したルルへと声をかけた。
「ルル、もうすぐ準備は終わりそうか?」
「うん! ルルはあと着替えるだけ!」
「わかった。マインとナオミは食堂にいるはずだから、俺も先に行く。準備が終わったらミラと一緒に来てくれ」
「は~い!」
ジークは扉を開けて通路へと出ると、人間の姿を解除して本来の目玉の姿へと変えた。そしてご自慢の黒い翼を顕現させては、食堂へ向けて羽ばたかせたのだった。
食堂には白いティーカップを手に持つマインと、テーブルに立てかけた鏡を睨みつけながら化粧をしているナオミの姿がある。パタパタと鳴る飛翔音に先に気が付いたのは、優雅にモーニングブレイクと洒落込んでいるマインだった。
「む、ジーク殿か。おはようだ」
「あぁ、おはよう」
朝の挨拶を交わすと、ジークは翼を消してはテーブルの上へと降り立った。そしてペチペチと足を進めては、立てかけられた鏡の横まで位置し、真剣な顔をしているナオミを覗き込んでいる。
「おい、挨拶くらいしろよ」
「待って!」
キラキラと輝く色とりどりにデコレーションされた爪、握るピンセットの先には人工まつ毛があり、それを装着するのに集中しているようだ。糊のような物でまぶたに粘着させる為、適当に行うとズレて張り付いてしまい、見栄えが悪くなるのだ。
作業が無事終了したのか、ナオミはピンセットと化粧道具一式を仕舞いながら一息ついた。
「ふ~終わった。あ、おはようキモ目玉。ってか化粧してる最中に覗かないでよね!」
「あぁ。しかし、そんなに気にするようなことなのか?」
「気にするっつーの!」
ナオミの返事に、ジークはマインへと視線を移すと、苦笑いを浮かべながらマインが口を開いた。
「私は化粧をしたことはないが、おそらく寝顔を見られたくないのと同じではないか? 特に異性には見られたくない、素顔の一面ということであろう」
「なるほどな」
ジークは腕を組んで一つ頷くと、女性の心理についてまた一つ学んだようだった。
すると、準備が終わったのかルルとミラが食堂へとやってきた。
「マインお姉ちゃん、ナオミお姉ちゃんおはよう!」
「遅れましたっ――、おはようございます!」
全員が挨拶を交わし、ルルとミラも席へと着くと、全員の姿をその場に確認したジークは『次元収納』からある物を取り出しては、テーブルの上へと置いた。
「よし、全員集まったことだしこれを見てくれ」
一同が身を乗り出して覗き込む先には、黄金に輝く一つの鍵があった。
「これがケースの鍵だ。これで、地図を手に入れられるぞ」
目を丸くする一同は各々顔を見合わせると、徐々に笑みへと変化させては両腕を高く掲げた。ついに地図へと手が届くのだ、その喜びは興奮となり、大きくはしゃぐ各自の身がそれを露わにさせていた。
「鍵が手に入ったのも、みんなのおかげだ。礼を言わせてもらう……ありがとう」
ジークの言葉に、はしゃぐ一同はそのまま動きを止めると、寄り添い合ってはヒソヒソと小さく話し出した。
「ねぇ、キモ目玉が変に素直なんだけど何!? いつもの俺様目玉じゃない!」
「私、朝起こされるときに子犬ちゃんって言われましたよ」
「なんと! ついにジーク殿にもデレが到来か!?」
「お兄ちゃん、少し変わったみたい」
小声で話しているつもりの会話だったが、もちろん聞こえているジークは青筋を立て始めていた。
「俺のことはいい! さっさと朝食を済ませてグルーエルのところへ行くぞ」
ジークの喝が入ったところで鎮まる一同は、各々席に着いてメニューを見定め始めるが、その面持ちはニヤニヤとしていたのだった。
領主館ではテーブルの上に重なる資料へと、向かい合うグルーエルの姿があった。朝から執務をこなしているのか、手に取る資料に目を通してはハンコを押している。
すると、自室の扉をノックする音が部屋の中へと響き渡り、それに答えるようにグルーエルが一言返した。
「どうぞ」
中へと足を踏み入れたのは、ミラ達一行の姿だった。目玉の姿のジークはミラの肩へと乗っている。
「これはこれはみなさん、おはようございます。ささ、こちらへおかけください」
ミラ達の姿を確認したグルーエルは立ち上がって出迎えると、部屋の中央に設置されている大きな大理石のテーブルへとミラ達を促した。そしてグルーエル自らがカップを用意し、備え付けのポッドでお茶を入れている。
ミラとマインがグルーエルと向かい合い、横になるようにルルとナオミが座る形となっている。
ミラは注がれたお茶を一口すると、テーブルの上へと例の鍵を差し出した。
「鍵を手に入れました。これで地図と交換してもらえるはずですね?」
グルーエルはおもむろに立ち上がると、申し訳なさそうな顔つきで深々と頭を下げた。
「話は今朝がた、アローメルから聞いております。まさか彼女が怪盗ルパンだったとは……一族を代表して、本当に申し訳ありませんでした。アローメルの処罰については検討しているところですので、こちらに任せてはもらえないでしょうか」
ミラは手に持つティーカップをテーブルへと置くと、真剣な面持ちでグルーエルを見据えた。
「アローメルさんはもう怪盗ルパンじゃありません。心を入れ替えたんです。アローメルさんは日々の業務の中で、ストレスの捌け口がありませんでした。そのせいで溜まったストレスが、怪盗ルパンを生み出してしまったんです。これってアローメルさんだけのせいじゃなくて、その環境を作り出していた、もしくは気付けていなかったグルーエルさんのせいでもありますよね?」
「おっしゃる通りでございます」
「でしたら罰するんじゃなくて、もう少しアローメルさんを気にかけてあげてください。家族なら……大切にしてあげて欲しいんです」
「こ、心に刻み込んでおきます」
深く下げる頭を、より下げては答えるグルーエルに、ミラは優しい微笑みを取り戻していた。
ミラの肩に乗るジークは、そのやりとりに腕を組み、何かを感じたのか静かに目を閉じていた。
家族なら大切に……か。アローメルの為に言った言葉だろうが、それはきっと無意識に自分の気持ちも重ねているように感じる。過去に村長が俺のことを、ミラは家族だと言っていたと零していたな。ミラは……大切にされたい、そう思っているのかもしれない。俺はミラが大切なのには変わりはないし、偽りでもない。しかし、その想いは俺の中だけで留まり、きっとミラにまでは伝わっていないのだろう。言葉にしなければ、態度に出さなければ、伝わらないことだってある。恥ずかしいことではない、プライドを捨てるわけじゃない、本当にミラを大切な仲間だと想っているなら……その気持ちがウソじゃないなら……もう少し、表に出す努力が必要だな……。
ミラ達は、グルーエルが鍵を手にして部屋を出てから、しばしの間お茶を飲んで時間を潰していた。そして数分もするとグルーエルが部屋へと戻り、その両手には大事そうに抱える一つの筒があった。
「こちらが地図です。どうぞお受け取りください」
筒を持つ両手を前へと差し出し、それと同時に頭を下げるグルーエル。ミラは差し出された筒を受け取ると、感動するかのように手を震わせている。
すると、グルーエルは手から筒が離れた瞬間、その頭を勢いよく上げてはミラへと向き直った。
「あの! この度の失態、なにか埋め合わせをさせていただけませんか!? 領主として、罪を犯した一族の代表として、このままでは国王様とそのご友人様に対して失礼が過ぎます!」
きょとんとするミラは、人差し指を頬へと当てて首を傾げ、少しばかり思考するとニコっと笑顔を向けた。
「じゃあ、一つ貸しで!」
「え? 貸し……ですか?」
ふいを突かれたかのように目を丸くするグルーエルに、ミラは微笑み返す。
「はい! 貸しです!」
ミラの無邪気な笑顔につられるように、グルーエルも徐々に顔をほぐしては、小さな笑みを浮かべ出した。
「はは、これは大きな貸しですね。分かりました。いつか返せるときが来ましたら、ご期待に沿えるよう精進させていただきます」
「はい!」
やり取りが終わったと見るなり、マインとルルとナオミは席から立ち、ミラと共に扉の前へと並んだ。そして部屋の中央に残るグルーエルへと向かい直り、ミラが口を開いた。
「では、私達はこれで失礼します。今までありがとうございました!」
「私のほうこそありがとうございました。国王様によろしくお伝えくださいませ。また、いつでもこの街へいらしてくださいね」
「はい! では、また!」
「えぇ、ご武運をお祈り致します」
目的の地図を手に入れ、『エリセド』の街から去るがゆえの別れの挨拶。短いながらもしっかり心を交わすと、ミラ達はその場を後にしていったのだった。
領主館の門を外へとくぐり、少し脇に逸れるとミラはおもむろに筒を掲げた。
「ジャーン! 早速、御開帳といってみますかー!」
「「「おー!」」」
門番が横目でミラ達を見つめ、元気に返事をするマインとルルとナオミの声に合わせるかのように、ミラは筒の蓋をポンッと音を立てて開け放つと、中から丸められた紙を取り出した。そして両手でそれを左右に開くと、一同が円を組むようにそれを覗き込んでいる。
訪れたのはしばしの沈黙。ミラの肩に乗るジークはその目を細めている。
先に沈黙を破ったのはマインだった。
「この赤いバツ印が……目印なのだろうな」
「え……でも、これって」
小さくミラが呟いて返すと、ジークがその答えを口にした。
「予想はしていたが、神之欠片は……どうやら”海の中”のようだな」




