二話 俺は目玉
――ピチャン。
小さな滴が弾けたかの様な音と共に、瞼に伝わる冷ややかな感触。
いつの間にか眠ってしまっていたのか、意識を失っていたのか――。小さな目覚めの知らせを受けた俺は、ゆっくりと意識が覚醒し始めた。
薄暗い視界の中に映り込むは、ゴツゴツとした岩の天井。
まだ完全には覚め切っていない意識のまま茫然と眺めていたが、落ちてくる一滴の雫に合わせる様に瞼を閉じては、そっとそれを受け止めた。
――冷たい。あれから一体、何が起きた? 橋の上まで行ったのは覚えているけど……、そこからが上手く思い出せない。
記憶を絞り出す様に回想してみると、”人工音声とも思える妙な声”、”強烈な光”、”ふいに感じた浮遊感”――、断続的な三つの記憶が甦ってきた。
――そうだった……。あの時、俺は川に転落したんだ。
意識があるという事は、奇跡的に生きているのだろう。十五年前の事故の時の様に、また橋の近くに住む人達が助けてくれたのかもしれない。
いや――、その可能性は低いか。明らかに俺が今いる”ここ”は、病院とは思えぬ場所なのだから。
状況を確認する為にも、起き上がろうと試みるが体が言う事を聞かない。手はおろか、足も腰も何もかもが微動だにしないのだ。というよりも、感覚すら無い。
最悪の状態が脳裏をよぎる。
――まさか……、植物人間になってしまった? 嘘だろ……!? いや待て待て、意識があるという事は脳死状態ではないはずだ。となると、脳以外の人体組織における損傷や損壊の影響により、何らかの伝達信号機能がマヒしたと考えるのが妥当な所か? 意識が戻っただけ救いではあるが――、これでは、もはや死んだも同然じゃないか。
完全に意識が覚醒した俺は、自身の状況を冷静に考察していた。
そして唯一動かせると把握していた箇所――、”目”を見開き、瞳をキョロキョロと動かしては周囲へと観察の目を向けた。
まるでどこかの洞窟の様な場所。見渡す限りが似たような景色で、壁も天井も不格好な岩で形作られている。
ここが一体どこなのか、何故ここにいるのかさえも分からない。
薄暗さを感じながらも鮮明に映し出される不思議な光景に、「視野以外の周囲も確認したい――」と心の中で呟くと、妙な声が頭の中で響き渡った。
《スキル『全方位視界』を取得しました》
――なんだ!? 誰かいるのか!?
声をかけようにも、肝心の口が動かない。それに、まるで脳へと直接語り掛けられているかの様な、この不思議な感覚はなんだろうか。
いや、あの感じ……それにあの声、覚えがある。
まるで人とは思えない、人工音声の様な声と機械的な口調。確か十五年前と橋から落ちる前にも、俺はあの声を聞いていた。
謎の声の主に一連の状況説明を求めるべく、周囲を見渡し捜索しようとした所、突然に視界が三百六十度に広がり始めた。
前後左右と上下、一切の死角が無い完全視野。今までとは全く異なる視覚世界に、圧倒的な驚愕を覚える。
――い、一体何がどうなって……。
驚愕と混乱が意識を埋め尽くし、やがて恐怖へと変化していく。
――誰かぁぁぁ! 誰かいないのか! 一体なんなんだこれは!? ここはどこなんだ! 状況を説明しろ――っ!
《スキル『探究』を取得しました。スキル『全方位視界』、スキル『探究』を取得したことにより、オリジナルスキル『観察眼』を取得しました》
取り乱す俺に、まるであざ笑うかの様に響き渡る謎の声。
スキルという名称から能力の事なのだろうが、あまりにも一方通行な状況がふざけ過ぎている。
一体俺を、どうしようって言うんだ。
苛立ち半分で周囲を見渡してみると、やはりここは洞窟内で間違い無いようだ。
肝心の謎の声の主は見当たらないが、おそらくはスピーカーでも使っているのだろう。見付けたら文句の一つでも言ってやりたい所だというのに――。
ここが洞窟であるという事と、もう一つ分かった事がある。
視界の下方面には、石製にも見える巨大な立方体の台座らしき物があり、どうやら俺はその上に乗っている形で位置しているようなのだ。
最初こそ戸惑いはしたものの、ある程度『全方位視界』の特徴を感覚的に掴んでくると、かなり利便性の高い代物だと感じ始めてきた。
どういう原理かは不明だが、今まではおおよそ百八十度が視野限界だったのに対し、まるで後ろにも目が付いてるかの様に、周囲の状況を死角無く逐一把握出来るのだ。それも眼球を動かすことなく、上下すらも鮮明に把握出来る程だ。
一体、俺の身に何が起こったのだろうか。アメコミヒーローの様に、超能力が宿って超人にでもなったか? いやいや、そんな馬鹿な。
そういえば、オリジナルスキルとやらはなんだろうか。確か『観察眼』との事だったが、これは鋭い観察力を意味していた言葉だ。
観察眼、観察眼――と心の中で繰り返す様に意識していると、ふと周りの壁面に変化を感じた。いや、視界の変化と言った方が正しいかもしれない。
【『封印の祠の壁』:材質―発光石、チタン鉱石】
デジタル表示の文字列が浮かび上がるかの様に、壁面付近の虚空へと表示された。
おそらく壁の材質を現しているであろう事から、ふと自分の下に存在する台座へと意識を向けてみる。
【『神之欠片、核の台座』:材質―ミスリル鉱石。効果魔法―多重結界(物理攻撃無効、魔法攻撃耐性)】
どうやら壁面と違い、この台座は何か特別製のようだ。
当たり前の様に空想上の鉱石や魔法なんて言葉も羅列している様に見えたけど、これはきっと理解不能な状況に陥ってしまった為に疲れているからだろう。きっとそうに違いない。
――超人の次はゲームの世界ってか? はは、凄いじゃないか。だったら自分の事だって見れるんだろ?
内心、引き攣る乾いた声を漏らしながら、やっつけ半分で『観察眼』を自分自身へと意識してみる。
ステータス
『核性視覚生命体』
特性(物理攻撃無効、魔法耐性、状態異常無効、自己再生、性質変化、核性強化)
[レベル]:F
[スキル]:『全方位視界』、『探究』
[ユニークスキル]:『高速思考』
[オリジナルスキル]:『観察眼』
え? ちょっと待とうか。
『観察眼』で自分を見ようと意識した所、ステータスという謎の羅列が浮かび上がったのまでは寛大な心で受け入れるとしよう。
しかし――、だ。
一緒に映り込んでいる、この世の物とは思えぬ不気味な巨大球体は一体何なのかという話である。
外周は白を基調とし、中央に赤い丸がある。さらにその赤丸の中央には、申し訳程度に輝く黄金の光。それはまるで、赤い瞳に黄金の瞳孔を宿した――、”目”の様にも思える。いや、”目玉”と言ってもいい。
物凄く嫌な予感が脳裏を駆け巡る。
今にも飛び出して地球の反対側にまで行ってしまいそうな衝動を落ち着かせるべく、一旦目を閉じて気持ちを整理する。
――落ち着け落ち着け。大丈夫、疲れているだけだ。きっとこれは悪い夢なのだから。
思考が冷静になった所で、もう一度目を開き、自分の事を再確認してみる。
パチクリパチクリ――と、俺が瞬きをすると、”それ”も合わせるように瞬きをする。
まるで鏡合わせの現象に、その時俺の中で壊れてはいけない何かが崩れ落ちた気がした。
――うわぁああああああ! これ、俺!? うそでしょ!? うそって言ってよ! はあぁああああああん!? キモいんですけど! キモいんですけど! ありえないんですけどぉぉぉぉぉ――っ!
さて、どのくらいの時間が経過したのだろうか。整数にまで達した純情な感情をおとなげも無く全解放してからは、時間を忘れる程に放心していたのだ。
《ユニークスキル『絶対体内時計』を取得しました》
狙い済ましたかの様に登場する謎の声。もはやこれにも慣れた。
そして、俺は事の事態をようやく理解したのだ。いや、あんな衝撃的な物を見せられた後じゃ、理解せざるを得ないだろう。
そう、俺は――。
巨大な目玉の姿に生まれ変わったのだと――。