76/85
2-13
報告によると、皇甫嵩が曲陽城を落とした時にはすでに張角は死んでいて、張梁がその指揮をとっていたが、連戦連勝し、ついに追いつめて斬ったということだそうだ。
賊の棟梁、張角の墓は暴かれてさらし首となり洛陽の都へと送られた。
そして、玄徳たちにはもう一つの朗報があった。
董卓が数々の敗退の責任を負わされて解任され、皇甫嵩が総大将に任じられたというのだ。
そのおかげで恩師の盧植は無罪となり、功は認められなかったが現職復帰となったのである。
また、皇甫嵩に従っていた曹操は曲陽攻めでも数々の功を上げ、済南に領地を与えられ、そこへ既に赴任したという。




