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黒川さんとの距離がまた少し縮まったあの日から数日後、突然黒川さんからメールが届いた。
『私とお友達になってくれてありがとうございます。
さて、友達がどういうものであるか知るために、一般的な友達どうしがする行為を私たちもやってみたいと思います。
一緒に遊びませんか?』
メールの文体はきれいな敬語だった。友達なら、もっと軽い口調じゃないのかな。ちょっと違和感を感じる。
『友達らしいことがしたいのは同意だけど、男女二人で一緒にいると、それは恋愛になるんじゃないかな?』
『遠藤さんとは、付き合っていないのにいつも一緒にいるでしょう?
何か問題でもあるんですか?』
美奈は幼なじみで慣れているから、友達だとも、恋愛だとも思わないけど。
社長の話から推測すると黒川さんには幼なじみはいないようだから、説明しても無駄だろう。
『じゃあ、何をして遊ぶの?』
『一般的な高校生が何をして遊ぶか私もよくわからないので、つぎの土曜一時にジャスコの駐輪場で待ち合わせて、そこで何をするか考えましょう』
その『一般的な高校生』が、ぼくたちにはわからないんだよな。
知るためには、とりあえず真似事をするしかないか。
『わかりました。じゃあまた土曜日に』
黒川さんが何を考えているのか、考えてもやっぱりわからないけど、とりあえず従ってみよう。
行動しないより、する方がきっといい結果が得られる。ぼくは、いつになくアクティブだった。
そういうわけで、ぼくは今ジャスコで黒川さんを待っている。
ジャスコはこの地方では唯一のショッピングセンターで、土曜は子供連れやお年寄りに加えて学生たちも入り混じる。
ぼくは待ち合わせに遅れて黒川さんに迷惑をかけないよう、三十分前に駐輪場でスタンバイした。数分後、黒川さんが現れた
「あら、早いわね。まだ三十分もあるわよ」
「黒川さんこそ」
黒川さんは黒字に英語のフレーズがプリントされたTシャツにジーンズ姿。手のこんだ服装ではないけど、顔もスタイルも綺麗だから、何を着ても似合う。初めて見る私服姿に、ちょっとドキッとしたのは秘密にしておこう。
「さて、一般的な友達どうしなら、まず何をして遊ぶのかしら?」
「えっと、まずはゲームセンターとかはどう?」
一般的なみんなのように、「ゲーセン」と言ったらぼくの真面目なイメージが崩れると思って、言えなかった。
「そうね。騒がしいのは好きじゃないけれど、みんなよく行ってるから、ちょうどいいわ」
黒川さんの了解をもらって、二人でゲーセンに向かった。いつも一緒に歩く美奈より歩く速さが倍くらい早くて、歩きづらかった。
ゲーセンに着いた黒川さんは、ちょっと目を輝かせていろんなゲーム機を見回っていた。どうやらゲーセンに来ること自体初めてらしい。楽しそうなのはいいけど、ぼくのことをあまり気にかけてくれず、話しかけるタイミングもわからなくて、無言でついていくだけになった。
店内をひと通り回った黒川さんは、やたらとリアルな猫が座っているポーズのぬいぐるみがあるクレーンゲームの前で足を止めた。
あまり表情は変わってないけれど、このぬいぐるみが欲しいことはさすがにぼくでも気づく。
「これ、欲しいの?」
「欲しいのだけど・・・どうやって取ったらいいのか考えてるわ」
黒川さんは真剣な表情でぬいぐるみを見つめている。
「そんなに大きくないから、ちゃんと掴めたら取れると思うよ」
ぼくも数えるほどしかクレーンゲームをやった経験がないから、わからないけど。
「そうね。とりあえず挑戦してみましょう」
黒川さんが百円玉を入れてゲームを開始した。クレーンはうまく誘導され、猫のお腹を両側から抱える位置になった。
「操作は上手くいったわ。これで大丈夫なはず」
クレーンが降り、猫の腹の下に爪先をもぐりこませた。しかし、クレーンが上昇すると、頭の部分が持ち上がらず、クレーンからするっと抜けてしまった。
「・・・っ!」
悔しそうな表情に変わる黒川さん。
「失敗の原因は二つ。一つはクレーンの力が予想以上に弱かったこと。もう一つは、ぬいぐるみの重心が胴体ではなく頭にあったことね」
「な、なるほど」
「ようは重心がクレーンの腕の間にあればいいのね。次は失敗しないわ」
また百円玉が投入される。重心をつかむため、前回と違うぬいぐるみを狙う。ぬいぐるみはクレーンに対して斜めになっており、首筋をかすめるだけで終わったが、黒川さんの表情はそのままだった。
「今ので、クレーンに対してまっすぐに向き直ったわ。次で取れる」
予定通りだったらしい。
三回目。クレーンは全く思惑通りに猫の頭とお尻をつかみ、安定した動きでぬいぐるみを運んだ。
黒川さんはそれを見届けると、ぬいぐるみが取り出し口に落ちてくる前に手をいれ、ダイレクトキャッチすると、ぬいぐるみを自分の目線と同じところまで持ち上げ、無邪気な笑顔を見せた。
「やった!」
「すごいね、計算どおりだ」
ぼくは素直に感動する。
「楽をしようと思わず、確実にできる方法を考えればいいのよ。パパから何度も言い聞かされたわ」
笑顔で黒川さんが答えた。話を聞いていると、黒川さんとお父さん(社長)とは良い関係にあるみたいだ。
「・・・でも、これ一つに三百円では、遊びすぎるとお金をたくさん使いそうね」
「それはぼくも思った」
普通の友達どうしなら、お金とかはあんまり考えずに、好きなように遊ぶのだろうけど。
ぼくも黒川さんも、それを許容しなかった。こういう些細なノリができないところで、ぼく達は似ているんだ。
「どこか別の所へ行きましょうか?」
「ぼくは構わないよ」
「どこか、行きたいところはある?」
「えっと、実は音楽プレーヤーが欲しくて、ちょっと見てみたい」
「わかったわ。家電コーナーへ行きましょう」
めったに表情を変えない黒川さんが少し嬉しそうなのを見て、なんだかぼくもつられて嬉しくなった。
その後、ぼくたちは家電コーナーに向かい、いろんな商品を見物した。
ここの家電コーナーは規模が小さく、ぼくの目当ての音楽プレーヤーは数種類しかなく、値段もまちまちだった。
休み時間になにもしていない事を不審がられるのが嫌で、音楽を聞いているふうにするのがぼくの目的だから、正直どんなものでもいいんだけど。
「この品揃えなら、ネットの通販で買うほうがマシね。もっと種類もあるし、値段も割高だわ」
思いほか、音楽プレーヤーのことをよく知っているらしい。というか、あらゆる知識の平均値がぼくより高いのかな。
「黒川さん、通販よく使うの?」
「近くで手に入れられないものには遠慮なく使ってるわ。でも商品を手にとって見れないし、保証の問題もあるから、リスクを十分に比較してからね」
ぼくは近くにある店で適当に選ぶことしか頭になかったのに、購入する本人じゃない黒川さんのほうが、ずっと詳しく感じる。
一つのことに対して、思考がぼくよりずっと深いんだろう。
「なるほど。黒川さんって、すごく合理的だね」
「そうかしら?少しでもいいものを得るにはよく考える必要がある、というだけよ」
自分の考え方に、なんの疑いも無いんだ。『友達がいない』という点は同じでも、仲良くする自信がないぼくとは違う。きっと黒川さんは、心のどこかでぼくと仲良くできる確信があって、ぼくを遊びに誘ったんだ。
その後、ぼくたちは家電コーナーにあるパソコンとか、テレビとか、買いもしないものをぶらぶらと見てまわった。
ぼくはめったに外出しないから、ものめずらしく見ていたけど、黒川さんは慣れたふうにまず価格と製品のスペックを確認し、性能のわりに価格が高いとか安いとか教えてくれた。知らないことばかりのぼくは、興味深く拝聴した。
家電コーナーを一通り見終わったあと、そのまま近くの雑貨屋を見てまわり、そこも見終わると女性服コーナーに移った。ぼくはちょっと恥ずかしかったので少し離れて見ていたけど、黒川さんが気にしていたのはデザインじゃなくて、サイズや値段のようだった。
二人で並んで歩く時、黒川さんからは今まで知らなかったいい香りがした。何だろう、甘い感じだけど、食べ物の香りとはあまり似ていない。多分、いちごの香りが一番近いけど、やっぱり違う。シャンプーかもしれないけど、化学的に作られたものじゃない気がする。これが女の子の香り、なのかなあ。
場所を変えるたびに、雑談が減っていった。ぼくは自分の興味がかなり限定されていて、ふらっと歩いても商品にあまり興味を示さなかった。黒川さんはいろいろな商品に興味を示すけれど、いちいち感動もないらしくて、すぐに別の店へ移動してしまう。ゲーセンでぬいぐるみを取ったあとはとても機嫌が良くて、二人とも口数が多かったけれど、その後あまり刺激のないウインドウショッピングではいつもの冷静で無口な黒川さんに戻っていった。
そのうち、ぼくたちはほとんど必要な会話しかしなくなった。黒川さんは学校での無駄のない振る舞いに近くなっていった。
「なんとなく店を見てまわるのも、飽きてきたわね」
何件かブティックを見まわったあと、黒川さんがため息混じりに言った。
ぼくも黒川さんも、口数が少ないままお開きになるのは避けたいと思っているようだ。
「それじゃ、マックで休憩しようか」
「どうして?お昼は食べてきたし、休憩ならベンチがあるじゃない」
「そうだけど・・・みんな、『マック行こうぜ』ってよく行ってる気がするんだ。理由は、わからないけど・・・」
なんとなくマックに行く友達なんか、今までいなかったから。
「そう言えば、マックにたまってる学生はよくいるわね。そうしましょうか」
黒川さんが合意してくれた。ぼくはバニラシェイク、黒川さんはホットコーヒーだけ頼んで席についた。黒川さんはミルクも砂糖も断った。
「よく、ブラックで飲めるね」
「これが普通じゃないの?」
「ほとんどの人はミルクか砂糖を入れるよ」
「私、パパがいつもブラックで飲むのを真似したから、気づかなかった」
黒川さんが両手でカップを持ってコーヒーをすする。ちょっと熱かったらしく、舌先にコーヒーが触れた瞬間ぴくっと震えた。飲み物をのむときは、黒川さんであれちょっと無防備だ。
ふと、いまの状況が客観的にぼくの頭に浮かんだ。
ぼくは今、女の子と二人、マックで休憩中。クールで、頭もよくて、外見も美しいのに、友達がいない不思議な子。あがり症で、頭はそんなに良くないし、決してイケメンとは言えない容姿のぼくと、なぜか友達になってくれた。
そして、こうやって落ち着くと、ぼくはいつものように雑談のネタを失ってしまう。
こうなったら、相手が新しい話題を振ってくれるか、相手が興味を失ってどこかへ行くのを待つしかないんだ。
友達と『仮定』したって、コミュ力が上がるわけじゃないから・・・
「そういえば、メールって話し言葉で書くものなの?」
「えっ?」
「佐藤くんはいつも話し言葉で書いてるじゃない。メールって文書だから、私は書き言葉で正しいと思うけど」
「美奈は話し言葉で書いてるから、ぼくはそれを真似してる。みんなそんなこと考えないと思うなあ」
「そうかしら」
それで、あんなに堅苦しい文体のメールを書いてたのか。
そういえば、黒川さんは言葉遣いも綺麗だ。ほかの女子と違って、品がある。『お嬢様』のそれだ。
「ねえ、今日の私たち、『友達』だったと思う?」
ちょっと間が開いて、黒川さんが問いかけてきた。
「えっと、ぼくは今日、黒川さんと遊べて楽しかったよ」
『友達』だったかどうかは、ぼくにはわからない。到底わかりそうにない。
「黒川さんは、楽しかった?」
「ええ、普段は一人で買い物するから。誰かと一緒に店を回るのは気を使って大変だろうと思ってたけど、話し相手がいるのは案外いいなと思ったわ」
「うん、ぼくもだいたい一人だし、黒川さんは頭が良くて、考え方が洗練されてるから、すごく刺激になった」
「私、そんなに賢いと思う?」
「すごいと思うよ。一つのことに対して、すごく合理的で深い考えを持っているし、他の人とはひと味違う視点をもっていると思う」
「違う視点ねえ。私、よく生徒会とかで言われるの。鋭い意見だなあとか、独自の視点がすばらしいとか。でも、私自身はそういうつもりで言ってるつもりはないの。普段の何気ない会話のときは、一般的な話題を提供したと思っていても、相手はちょっと困ったような顔になって、『私の言うこと、普通じゃないんだな』って気づいてしまう」
黒川さんのクールな瞳が、いまは寂しげに見える。
「自分が普通じゃないことに気づくと、とたんに人付き合いの方法がわからなくなるの。少なくとも、普通の相手ならね。みんな、何も意識せずに『普通』に日常会話したり、一緒に勉強したり、ご飯食べに行ったりするのに、私は『普通』じゃないから、くだらない会話に興味がわかない。勉強は一人でする。ご飯も、一緒に食べる必要はないと思ってしまう。私には、独自の視点はあるけれど、『普通』がないの」
黒川さんは両手の肘をつき、両耳を押さえ、うつむいてしまった。
「ぼくも、友達はいないから、上手いことは言えないんだけど・・・普通って、自分の思うままに生きることじゃないかな?今は個性の時代とか言うし、雑談ができなくたって、個性的な視点があったほうが、むしろ得なんじゃない?」
いつも孤高な黒川さんが、ぼくに自分の弱いところを見せている。
ぼくはどうしても答えなきゃならないと思って、浮かんだ言葉をとにかく文章になるよう並べた。
「・・・その話だと、佐藤くんは今の友達がいない状況が『普通』で、そのままでいいのね?」
黒川さんが、肘をついたまま顔を上げる。
「それは・・・そうじゃないけど・・・友達は欲しいし・・・」
勢いで口走ったためか、言ったことはめちゃくちゃだった。
「佐藤君って、けっこう喋れるのね」
「えっ?」
「クラスで見る限り、誰かに話しかけることもないし、話しかけられても焦ってヘンな答えしか言わないから、ぜんぜんしゃべれないのかと思ってた」
「そりゃ、ぼくは口下手だけど、いちおう自分の考えもあるし、思い切って口に出すこともあるよ」
「慣れている相手には、落ち着いていられるのかもね」
確かに、ぼくは初対面の人と話すのはことごとく苦手だけど、美奈やEK運送の人みたいに慣れている相手とは、雑談もできる。
「佐藤君は、きっと大丈夫よ」
どういう意味なの、と口にだす前に黒川さんは席を立った。その時の黒川さんの、少し寂しげな表情のおかげで、どう大丈夫なのか、聞こうとは思わなくなった。
その後、特にすることも思いつかなくなった二人は、そのまま別れて帰路についた。
ぼくの言葉は黒川さんに届いたんだろうか。
あの時、ぼくは本音を語ってくれる黒川さんの心になんとか答えようと思って、浮かんだ言葉をなんとか並べて文章にして、黒川さんにぶつけた。
結局、ぼくの言ったことは論理がなくて、簡単に言い返されちゃったけど。
でも、これだけは言える。本音の黒川さんの言葉に、ぼくが共鳴して、内容はめちゃくちゃでも、全力で黒川さんに言葉を返した。そのおかげで、ぼくの中で何かが変わった。黒川さんも、たぶん。
『友達』の真似事をしてみて、『友達』がどういうものか、わかったわけじゃないけど、それとは別の大事なことが、なんとなくわかった。
どんなに口下手でも、人と視点が違っても、本音で語れば、言葉は共鳴して、通じ合えるんだ。
『友達』って、誰でもいいんだと思ってた。
同じクラス。同じ部活。家が近所。本人の意思とはとくに関係のない理由で、人は友達になる。
それは偶然であって、必然ではない。ならば友達をつくることは必然ではない。ちょっと前は、そう考えていたように思う。
けど、今日の出来事を振り返ってみるに、それは違うらしい。
私と佐藤くんとの出会いは、もともとロングホームルームが進まないのが嫌で、仕方なく佐藤くんを副委員長に指名したことだった。この出会いに必然性はなかったと、思っていた。
それは違ったんだ。私が佐藤くんを指名したのは、きっと私が佐藤くんの優しさと純粋さに気づいたから、四十人のクラスの中で佐藤くんを選んだ。
佐藤くんじゃなければ、私の『友達』とは何であるか、という一見意味不明な疑問を一緒に考えてくれることもなかったと思う。私の悩みは、いつも人からあまり理解されないけれど、佐藤くんは私がその悩みで苦しんでいることに何の疑いも持たなかった。
私の悩みには、いつも裏の意味がある。
この、『友達』とは何であるかわからない、という悩みは、私にとって本質的にはそこまで深刻な悩みじゃないの。
多分、本当は私、みんなと同じように友達が欲しいだけ。
もとの悩みはすごくシンプルなんだけど、そのまま言うのは恥ずかしい。だから複雑な問題を用意して、それを解決すると見せかけてもとの悩みをどうにかしたい。
どうして私、こんなに人付き合いが不器用なんだろう。
まあ、そこを解決できるのなら、悩みなんて無いか。
佐藤くんは私と友達になってくれたけど、それはみんなと同じような他愛もないコミュニケーションばかりの友達じゃない。佐藤くんは私の悩みに、真剣に本音で答えてくれる。
何だろう?一言で表現するなら、親友?
当初の、みんなと同じような友達がほしいという悩みは、直接解決しそうにはないけれど。
佐藤くんと出会ったことで、私は根底から変われる気がする。